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傍島康始|ブログ

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懸命に取り組む

 

人それぞれにおかれた状況に対して、勉強とかスポーツ、恋愛など、その時々で懸命に取り組んでおくのは大切かなと思います。

テストで良い点を取るとか、大会で勝ち進む、交際や結婚に進むなど、目に見えるようなところに現れることもあるでしょう。

そして、そればかりが成果や達成でなくて、日々どのようにして取り組んでいるのか、それもまた大切なことのように思います。

何もしなくては何もなし得ないわけで、少しでも良くしていこうという試みは必要なことになります。

当然目に見えている方がわかりやすいし、賞賛や賛辞を送りやすいというのはありますが、そこにとらわれてばかりでもいけないような気がします。

自分自身においては、上手にコトが進むかどうかと同じようにして、何かにたどり着こうとするその途中をどうとらえているか、そういう視点も持っていたいと思います。

それが、何かしらの成果や達成になるかもしれないし、たとえそうでなくてもそれまでに力を振り絞って取り組んでいたのか、どれだけ懸命になれたかどうかで、自分自身のことを信頼することになっていくものです。

言わば、毎日少しずつの積み重ねをしていくことでしか、ひとまとまりのことはなし得ないわけで、愚直かもしれないけれど一定の堅実さというものが身についていくはずです。

個人においては自信がついたり、懸命に取り組むことの楽しさを覚えたりすることでしょう。

それと同時に、周りの人もそういう姿勢を見ているから応援してくれるでしょうし、予期せぬチャンスをもたらしてくれることもあるでしょう。

こういうことは、最初から道があるようなものでなく、進んでいくからできるところもあって、懸命に取り組むから次の扉が開かれるというような気がします。

想定しているようなところに手を伸ばすのも大切ですが、手を伸ばしているうちにまったく異なる、それでいて素晴らしいところに届くかもしれません。

自分では登山家になろうとしていたところ、山に咲く草花に詳しくなり、植物の専門家になるような、あるいは、サーフィンを楽しんでいるうちに海洋学者になってしまうようなものです。

好きなことや目指すものを追求している、目の前の興味や関心の赴くままに取り組んでみる、そういう前向きな姿勢が新しい何かをもたらしてくれるので、自分の置かれている状況においてできることをやっていきたいものです☆

 

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想像以上のものさし

 

世の中には、自分の思っている以上のことがある。

このように考えることができるのか、自分の知っていることや想像の及ぶ範囲というのは増やしたり拡げ続けたりすることもできるけれど、その埒外もあるということを当然のように自覚しておくべきだなと思います。

また、地続きで物事を知っていくことが大半だとしても、ある地点においては大きく跳躍・飛躍しないとたどり着かないこともあるような気がします。

自分の持っている価値観や判断基準など「モノの見方」があるでしょうが、たとえばそれは日本という場所においてであるとか、今という時間や時代において成り立つものかもしれません。

江戸時代の人に、今のケータイ電話(スマホ)を見せたところで奇っ怪な面妖な箱であるしか思えないでしょうし、逆に、こちらにとっては着物やちょんまげ姿で生活するというのは、どうにも実感がわかないようなものです。

これが海外になると、生活様式や習慣のようなところで、こちらの常識とか当たり前のように思っていることが、向こうにとっては異なることことは多々あることでしょう。

そういうことで思うのは勝海舟や坂本龍馬、吉田松陰らの「モノの見方」で、当時は自分たちの藩や地域がどうだとやっているところで、日本という国であったり、世界から見ての立ち位置であったり、もっと大きな視点で見ていたということが挙げられます。

極端かもしれませんが、今で言うと宇宙でどうこうするような発想なのかもしれません。

ビジネスにおいて、こういう広い視野であるとか先取りをするような姿勢が大切になってくるわけですが、最初はどうにも受け入れられるものではありません。

ただ、このように物事を見ることができるとか、見ることのできる人たちが多くいるから、また新しい展開がはじまっていくわけです。

自分自身においても、今のところ知っていることは大切にしながらも、まだ知らないことは数多あるということにそれぞれ敬意を表しながら、目の前のことに取り組んでいきたいものです。

おそらく個人においてもそういう心がけはできることですし、そう思っているからより良くなっていくものだと思います。

今のところはそれで十分と思いながら、思っている以上に良くなるはずだとか、もっと良くなる、そういうことをいつも思っていたいものです☆

 

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どこに属しているか

 

今の状況がそうだというのもあるでしょうが、時々、自分が一体どこの所属なのだろうという気持ちになることがあります。

学校でも会社でも、何かの集まりでも良いわけですが、何かしらその人にとってメインとなるような場所や機会というものがあると思います。

幸いなことにどこもつまはじきになっていないのだけれど、いくつか関わりを持ちながらも、それでもずっといるのかどうか問われればどうにも不如意な気持ちになってしまうものです。

この感覚としては、学校の類がわりとそういうことになっているかと思いますが、学ぶ側・教えを乞う側としてはもちろん熱心に通うけれど、それでも数年という期間になるでしょう。

学ぶのが好きだ、ずっと学んでいたいということで長く居続けるというのは、研究員になるとか先生・教授にならない限り、結構難しいような気がします。

プロのスポーツで考えてもそうですが、好きであるということとは別に、良いパフォーマンス、良い成績を収めないと次のシーズンの契約につながらないということがあります。

このあたりは突き詰めると、所属することが、何らかの成果と引き換えに報酬が発生するみたいなことになりそうですが、さらり触れておくに留めておこうと思います。

とかく、自分の席や籍があるとしても、時間が経てばどうなるかわからないものですし、その所属しているところがいつまでもあるというわけでもないものです。

最終的には自分自身がどうしていたいか、どこにいたいかということでもあるでしょうし、自分ひとりに立ち戻ってみれば、所属どうのこうのと考えなくて済むことなのかもしれません。

移ろいながらも、自分の歩む道は自分で伸ばしていくもの、足元を踏み固めるようにして、自分自身への「肯定」も確たるものにしていきたいものです。

あるいは、他所に所属先を求めるのではなく、自分から名乗りを上げるようにして、所属先を立ち上げることでも良いのかもしれません。

自分ひとりそこにいるだけでも良いし、趣旨に賛同してくれる人がひとりふたりいるとか、限られた一定の期間だけいるとか、かしこまらないでやるくらいが適当のようにも思います。

人付き合いにしても、近づいたり遠のいたり、増えたり減ったりしながら、それでもどうにかなるものなので、それに似ているとも言えるでしょう☆

 

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