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傍島康始|ブログ

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選び方とその速度

 

おそらく多くの人がそうなのだと思いますが、一日に「何かを選ぶ」ということを何万回と繰り返していることでしょう。

朝起きるところからはじまって、出かける用意をする場合、ネクタイはどれにしようかな?着るシャツ・ブラウスはどうしようかな?選ぶことが続くばかりです。

"いつものように"と思いながらも少しずつの差異はあって、駅までの行く道/車線がいくつかある道路を進む時に、右の方に寄るとか、追越車線に入るとか、あるいはその逆を選ぶなんてことがあるかもしれません。

そのようにして、何かやることをひとつ決めれば同時に他のことができないように、何をどのように選んでいくのか、それによって行き着く先は大きく変わっていくように思います。

ビジネス的には、何をするにも「拙速であっても構わない=スピードが大切」と考える傾向があって、特にベンチャーであればそうでないと生き抜けられないというものになります。

そして、それが普段の何事においてもあてはまっていくように、選ぶことと決めること、それらと時間の早さの関係を、意識しないよりかは意識していく方が良いのかもしれません。

身近なところでは、誰かと一緒にレストランや食堂に行った場合、メニューを選ぶ内容だけでなく、選ぶ早さがどうであるのか、自分自身の特徴を知るとともに、同じようにして相手のをも知ることができるわけです。

一体何を選ぶのか?その内容も気にはなるところですが、まずはメニューの選び方の、特にスピードに注目してみると良いかと思います。

それによって、ビジネス的な感覚があるのかを測っても良いですし、その選ぶことを通じて相手の特徴を見出すのでも良いでしょう。

逆に、メニューを選びきれない、しかも遅いみたいなこともあるでしょうから、推し量るべきことは変わらないかと思います。

アメリカかどこだか失念しましたが、じっくり悩むように考えて出した答えと、その場でパッと言ったことでは、結果はあまり大きく変わらないという研究の成果があるそうです。

それは、考える時間を短縮することで、他の、会話や食事そのものなど、楽しいことに時間をかけることはもちろん、前提として無駄を極力生じさせないということも期待できるわけです。

自分自身においてももちろん、他の人にとっても、こういう時間の感覚を持ち合わせていると良いのかもしれません。

何はともあれ、それぞれの人の決断の早さと内容を見ていくと、信頼に足るのかどうかの判断にもつながっていくので、決しておろそかにできることではないのです☆

 

 

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執着を手放す

 

普段日々を過ごしていて、「こうなったら良いな」と思い描きながら取り組んでいることや、心の中で願っているようなことは多くあるものです。

それは、「大金が舞い込んでこないかな」、「高級レストランでデートしたいな」とか、どちらかというと手の届きにくいものが最初の方に浮かんでくるかもしれません。

それが「たくさんの、かつ、オシャレな洋服(それも高価な)に囲まれていたい」でも良いわけですが、それでも無謀な要求ばかりでもなくて、ささやかなものであっても構わないわけです。

お金はもちろん生活するのに欠かせないものだけれど、多くあるから幸せとも限らないなというのが、最近の発想のひとつになっています。

もちろん、あるに越したことはないけれど、それをどのように使うのかがより大切な気がします。

そして、「明日の朝、無事に起きれるか」、「プレゼン、自分の案が通ると良いな」とか、身近なところでの願い、こういうものだって十分に果たしていけたら良いものになるはずです。

それらは自分の心がけや行為に対する結果のところなので、早く寝たから良いとか、準備に一切の怠りなしだから完璧だということでなくて、あくまで取り組みに対してのその反映でしかないように思います。

今のことをやる、後がどうかは二の次というところで、その時々での最善を尽くさない限りは、続くものも生じてこないわけです。

あとは、やることなすこと多くある日々において、一喜一憂するということから離れて、「そうでなくても何とかなるだろう」とか、「これだけやったんだから、後のことは任せる」とか、無用な心配を、それも先回りするようにして覚える必要はない気がします。

どうしても、原因があるから結果がある、結果が出てしまうものだから原因を追求してしまうとか、ひとつのセットとする傾向はあるかもしれません。

そういう考えは、一貫した論理性でもって迎えられるわけですが、たとえば「願い」を「念ずる」と置き換えて考える場合、字の成り立ちを見ると「今の心」となっているわけです。

原因に対して結果があるように、現在・過去・未来と時間の流れがありますが、それを"今は今"と区切ることで、まさに今のこの瞬間やるべきことや判断すべきことがわかるし、そのそれぞれに集中することができるかもしれません。

テストの解答欄を埋めない限りは、得点がもらえるかがわからないように、何かしら行動を起こすということが、何より大切なように思います☆

 

 

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振り返ってみれば

 

髪型とか、着る服とか、頻繁に変える人もいるでしょうが、だいたいは同じようなテイストや雰囲気を保つように思います。

食べるものや行く場所も似たようなもので、一年通してずっととか、2〜3年はだいたい同じように行動する人が多い気がします。

その中でも少しずつ変化をつけていくのでしょうが、世界が一変するほどに大幅に変わったという印象は、なかなか持ちづらいものです。

それが良いとかそうでないということでなく、日々の営みにあっては維持することの方を選ぶ傾向はあるだろうということです。

それゆえに、最近思うことのひとつに、たとえば、"あの夏は、こうだった"のように、そういうことがあっても良いかもしれないということがあります。

人との出会いや、コンサートやイベントのような催し物は一期一会の部分があって、後に長く続いたり、何度も行われたりするかもしれませんが、基本的には一度限りの限定的なものになります。

その時だから巡り会えたということがあれば、「ひと夏の恋」があっても、それはひとつの思い出(メモリー)ということになるかもしれません。

それはその時のことだけに、とても甘美で濃密な日々を過ごすことができるかもしれませんし、記憶としても強烈に残るということもあるでしょう。

もしかすると、今に続いていないという点において後悔や慚愧の念を抱くかもしれませんが、その時に思ったり感じたりした感情の機微・起伏は、今をもって鮮やかに思い出すこともできるはずです。

それが人との関わりであっても、読んだ本の冊数でも分野でも構わないのですが、時に集中して何かに取り組むことが良いのかもしれません。

そして、自ずと熱中することもあろうが、意識的に集中するのも良いのでしょう。

普段の、安定しているともいえる状況を抜けてみるというのは、新たな発見や体験をもたらしてくれるはずです。

"コンフォート・ゾーンを抜けてみる"という発想のもとに何かを行えば、当然何かを得ることができます。

それが意にそぐわないものとか、相性がそうでもなかったということであれば、また元の位置に戻れば良いだけのことです。

それでも、何かを行おうとして実際に行ったという意志と経験があるのだから、何もしないでいるよりかは学ぶべきところは多いことでしょう。

身近なところの気がついたところからで構わないので、いろいろと試してみる心意気があれば、それで十分に良いように思います☆

 

 

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