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傍島康始|ブログ

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一夜にして大舞台とは

 

もしも目が覚めて、憧れのメジャーリーガー(野球)だとかボクシングの世界チャンピオンだとかになっていたら、一体どんな感覚になるのでしょうか。

それは、ハリウッドの映画スターでもビルボード首位を占めるミュージシャンでも構わないのですが、桁違いに活躍する人はどの分野においても存在するものです。

自分がそうなりたいかどうかでは、人それぞれの思いの強さや濃さはあるような気がしますが、人気や収入の大きさを思う時、少なからず羨望の眼差しで見てしまうようなこともある気がします。

特に、次にその地位にいるのは自分だと思っている人がいて、それが一夜にしてかなったらどうであるのか、あらかじめ想像を働かせておくことは、かなり興味深いことかなと思います。

そして、今の自分の状態で、状況だけが一変するというSF的発想で見れば、人気もある、手に入れる金額も大きいようでは、プレッシャーもまた計り知れないほどのものであることに気がつくでしょう。

あるいは、試合や演技などのパフォーマンスにおいて、技術、知識、経験は当然不足しているでしょうから、ひとつひとつの局面で相当に面食らってしまうとも考えられます。

そうなったら良いなと思い浮かべることは自由ですし、思いっきり想像を広げてみることは良いと思いますが、ひとっ飛びにそうなってしまっては、高い水準で力を発揮したり、プレッシャーを跳ね除けたりする術を持たないことにもなるのでしょう。

やはり、一歩ずつ階段を上っていくようにして、どんな状況にでも対応できるような、タフな自分を少しずつ作り上げていくしかないと言えそうです。

いつかはたどり着くものとして、ひとつひとつの日々の体験が糧として積み上がっていくように心がけ、結果ももちろん手に入れたいところではありますが、過程をいかに大切にしていけるか、コトの重点はそちらに置いていきたいものです。

そこで、観衆がたとえ少なかろうが、何万人いようがいまいが、目の前の人をいかに魅了できるかにおいては何ら変わるところはないように思います。

トークショーでも音楽の演奏でも、出し物を何にするのかも考えながら、今のところは両国国技館や日本武道館、さらには東京ドームといった大きな会場で、自分の名前を冠した公演をどう組み立て多くの人を魅了するのか、そこに想像を大いに巡らしています☆

 

 

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見た目と中身

 

少し込み入った話をわかりやすく伝えるとか、要点をしっかり伝えるように、こちらで伝え方を工夫することは必要だなと思います。

ただ、自分の中では、しっかり裏付けを取ることや何度も吟味することも大切ですし、言わないまでも複雑な理路を通っても良いかもしれません。

そういうことなしに、何でも話を簡単にしようとする人や風潮がある場合、どうも相容れないなと思ってしまうものです。

何か対象を見つめる時に、自分は横から見るとかどうしても斜に構えてしまうとか、あるいは、いくつかの視点を同時に持ち合わせているとか、自分で自分の考える傾向やクセを知っておくに越したことはありません。

いろいろと処理していかなければいけないことの多い普段ではありますが、どれもこれもスピードばかりを重視するのは、ややもすると迂闊なことになってしまいます。

どちらに偏ることもなく、結局はバランスの問題であるように思いますが、拙速が求められることもあれば、巧遅であることが功を奏することもあるので、その使い分けができることが好ましく思います。

自分自身は、どちらかというとしっかり考える方を好むので、話を手短に飛び進めるような「要するに」とか「簡単に言えば」というのをあまり使わない気がします。

絵の具のチューブから出したままを使うのは容易ですが、他の色を混ぜて味わいが増すように工夫するように、決してお仕着せのままでなく一旦は自分というフィルター(この場合では"感覚")を通すことが良いのかと思います。

漆塗り職人の、効率を求めるのであれば一回塗ればそれで良いのかもしれませんが、何度も重ね塗ることで得も言われぬ奥行きが出てくるのかもしれません。

少なくとも気迫や気概というものが塗り込められるように思うものです。

知識や知恵においても同様で、奥行きや広がりは相当に深遠であると思っているので、そういうものを知らずにいるというのは惜しい気がします。

それも、個人の好みであるので押し付けるようなことはしませんが、思考や感情の可能性としてアプローチできる手立ては十分にあるということはほのめかしておきたいところです。

自分なりに直面している日々のあれこれに対して、その都度しっかり考えるようにしておくと、その人の知的活動はきっと充実していくように思います☆

 

 

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思い浮かぶままに

 

勉強でもスポーツでも仕事でも、何をもって努力とか頑張りとするのかは、人それぞれにあるかもしれません。

不眠不休でやる、歯をくいしばる、血尿が出るまでやるなど、どちらかというと肉体的・精神的に負荷をかけることを思い浮かべることが多いように思います。

それがすなわち結果や成果となるわけではないですが、ある程度やらないことには達成することもありません。

そして、同じことを同じようにやっているようでも、人によって差が出てくるのはどういうことか、そういうことをつぶさに観察するのも興味深く思うところです。

前述の例で言えば、どれくらいの時間起きているのかとか、歯の割れたり損なわれたりした本数、血の混じっている割合や濃さなど、目に見える数字と相関して考えることがありがちですが、そこで競っても仕方のないように思います。

そういう迂闊なことは避けつつ、だからと言って手を抜くわけでもなく、やるべきことをやり、果たすべきことを果たしていく、単純にそれだけのような気がします。

緊張感を持つことも大切ですが、それとは異なるようにして力まないこともまた大切なことで、どのようにすればそうなるのか、それを知ることは本質的な何かをつかむことになるでしょう。

文章を書き記すにしても、ひたすらに文字数ばかりを増やすのではなく、何をもってひとかたまりのものとするのか、そちらに意識を傾けていくのが本態のところです。

そして、何を書こうか思っているうちは内容は展開せず、実際に少しずつ文章を伸ばしていくことで何かに行き当たるものです。

最初から確固としたテーマがある場合もありますが、アイディアが茫洋としていることの方が多いようにも思います。

果たして、そういう時にはどうすれば良いのか。

水に浮かぶにしても、身体全体の力をスッと抜くことが必要であるように、力まないところで頭だか胸中だかに浮かんできたことを、あくまで"さりげなく"記しているくらいが良いのかもしれません。

川の流れにおいても同様で、足のつくところで立ちすくんでは、自分に水が押し寄せるだけでなく、その後の流れ方にも影響が出てきてしまいます。

思いついたら書く、それくらいの構えで良いなと思います。

もちろん、目には見えないところで下支えしているような考えや仕掛けはあるものですが、その時々の情感をつかむような場合では、鼻歌交じりで軽快にやるくらいでちょうど良いのです。

そうやって気楽に続けていくうちに、自分なりのスタイルもできてくるし、取り上げるテーマも範囲がおよそ定まってくるものです☆

 

 

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