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傍島康始|ブログ

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それを何と心得る

 

何人かの人で、同じものを見ているはずなのに、いささか異なるように見ているということがあるように思います。

人は見たいものを見るように、たとえ幕の内弁当のように、色とりどりに"おかず"が並んでいたとしても、好物のものを真っ先に見てしまうようなことがあります。

こういうことは、目に入るものということだけでなく、身近な持ち物でもそうで、現代のケータイ電話(スマホ)は、その最たる例のひとつではないでしょうか。

基本的な機能である電話と見るか、メールやLINEなどのメッセージのやり取りのためのツールと見るか、あるいは、動画や音楽を楽しむ端末と見るかで、主な使い方が変わってくることがあります。

さらに個別に見ていくと、Twitterもそういうことのひとつであるような気がしていて、それはどういうことかというと、次のようなものになります。

自分の思ったことや気づいたことを、あくまでメモ的に投稿する場合や、自分のひとまとまりの考えを述べて思考や施策を深めていくとか、他の人からもらったコメントを取り入れてみるのは、真っ当な使い方であると思います。

自分ではあまり発しないけれど、見ていて学びになる人や、興味深い意見を並べる人もいて、電子書籍のように、こちらからは見るだけという使い方でも良いかもしれません。

または、口悪く言葉を投げかけたり、論争の火種を巻き起こしたりして、なかなか剣呑なことになることも、残念ながら最近では増えているような気がします。

同じ言葉を扱うにしても、脳みその活動を活発にするアクセルとなるのか、お互いに傷つけ合うナイフとなるのかは、その人それぞれがどう使っていくかによって、手にするものが変わってくるということです。

こういうことは、自分のモノを見る見方のクセとか傾向であるとともに、自分がどういうものをそこから得たいのかという心持ちによって変化するはずなので、自分はどうとらえているのかを確認すると良いと思います。

健全な意見を交わらせながら、前向きな人たちと交流を持ちたいと思うのであれば、そのような使い方をして、徐々にそれを実現させていくのが賢明と言えるでしょう。

自分自身と世界の向き合い方、自分の場合ではどうなのか、しばし見つめてみることをオススメいたします☆

 

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生活を設計し直す

 

12月に入って年末の今頃になると、一年の仕事の労をいたわって、「忘年会」が多く開かれることでしょう。

"例年では"と前置きがつくように、今年はなかなか盛大にやるという雰囲気ではないし、派手にやらない方が賢明であるように思います。

この習慣もいつからはじまったものか、100年前ではそんなことはなかったようにも思いますし、案外ここ50〜60年くらいものもかもしれません。

自分が当たり前のようにやっていたり、それが長年の習慣となっていたりすると気づきにくいものですが、ずっとそうであったというよりかは、いつの間にかそうなっていたということが、身の回りのことでは多いような気がします。

人付き合いにしてもそうですし、興味や関心の移り変わりなどを見ても、いつまでも同じであることは稀で、その内実は少しずつ変わっていっているはずです。

「思えば遠くまで来たもんだ」とは、単なる感懐ではありますが、今はまた、自ら今までやってきたことを見直して、ある意味では、暮らしの生活全般を見直すのには良い機会であるかもしれません。

当たり前のように、夏は花火だバーベキューだとか、冬はイルミネーションと温泉旅行みたいなことも、本当にやりたければやれば良いし、他のことでも楽しめるのであれば置き換えても良さそうです。

そこで、今までの通り楽しめるような状況になることを望む人もいれば、これを機に新しいものを取り入れる人もいて、それは個人の価値観であり、それぞれの判断であるように思います。

普段にしても、季節の変わり目とか、自分の進学・進級、配置換えみたいなことで、置かれる状況が変わることもあって、それにともなって変わってくることもあったことでしょう。

それが、世界全体を覆い尽くすようなことであれば、その「せーの」での変わりようの大きさとはいかほどであっただろうかと思うわけです。

さて、今後はどうなっていくものか、すべてを見通すことは難しいにせよ、こういう場合ではこうしようとか、自分の思うにはこういうことをしていきたいなど、いくつもの選択肢を持っているのが良いように思います。

そういうことをひとりひとりが考えていくことで、また新しいものや魅力的なものが出てくるかもしれませんし、生活の習慣においても似たことが予想できるはずです☆

 

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余計なことをしない

 

何かコトを上手にやろうとして、自分自身で考えるばかりでなく、先に上手にやっている人や、物事をよく知っている人に相談することがあります。

または、そういうよくわかっている人が見るに見かねてアドバイスしてくれることもあり、それはありがたく受けるのが良いでしょう。

そこで、まずは言われた通りにやれば良いものの、話をよく聞いていないのかどうか、その通りになっていないことがあります。

単に不注意で、うっかり聞き逃しているのであればまだしも、先に考えを巡らして、勝手に手を加えてしまうことがあります。

たとえば、豆腐の冷奴には生姜とネギ、合わせて醤油を出せば良いものの、やたら凝ってオリーブオイルとか生クリームやイチゴのトッピングをしてしまうようなことで、本来の良さを打ち消しに打ち消してしまっています。

あるいは、具合が悪くて入院している人を見舞って、心休まるようなことや無事を願う言葉をかければ良いものの、その症状の最悪のケースを言って、余計な心配を与えたり、不安に思わせたりすることもあるものです。

当の本人がどれくらい自覚的なのか、しばし問いただしたくもなりますが、そもそも余計なことをしようとおもっているわけではなくて、良かれと思ってやっているとか、ただ何も考えずにやっているということも多い気がします。

そういうあれこれを含んで考えていくと、たとえ常套手段であろうが基本に忠実に、それを突き詰めてやっていくのが先決で、その段階を攻略できたところで、自分なりの工夫を盛り込んでいけば良いわけです。

刑事が事件を調べるには、足を使って聞き込みを徹底的にする、現場を何度も訪れて、見落としがないかを見るようなことです。

そこで、いきなりネット検索をするとか、駅前で演説するようなことはしない方が良いのは、目に見えて明白なことではないでしょうか。

自分のことであったり、普段やっていたりするようなことで、こういう余計なことをしているケースは、思いの外多い気がするので、気をつけていくのが良いでしょう。

いくら歌って踊れる司会者になりたいとしても、先にやるのは発声や滑舌を良くする練習だということです。

それが、人前に出て恥ずかしくないくらいとか、一流に近づいていることを確かめてから、次の段階に進んでいくようにしましょう☆

 

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