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傍島康始|ブログ

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旋回的思考方式

 

スポーツ選手が試合中に我を忘れたプレーをしないように、怒りを抑えるとか冷静さを保ち続けるために積む、「アンガーマネジメント」というトレーニングの方法があります。

ゴルフのように自分のコンディションそれ自体が大きく作用する競技や、テニスのように相手と一対一で向き合うような競技において、特に意味を持つように思います。

高い技術や身体能力があるのはもちろん、勝敗を分ける瀬戸際では精神的な部分がどうであるというのがより重要になってきます。

そういう精神的な働きによって、消耗した体力を補ったり、持てる以上の実力を出せたりするようなこともあるでしょう。

生活の、もっと身近なところでは、カチンとなりそうなら"5秒数えて、落ち着いてみましょう"とか、"背伸びをして、深呼吸をしてみましょう"みたいな例があります。

感情豊かにむき出しにするのも、自分に正直で良いのかもしれませんが、多くの人との関わりを考えていく上では、一方ではしっかりと制御することも必要であるように思います。

なかなか相容れないことも多いですし、意のままにならないことをわかっていても、どうしても解消しきれないことが出てきて、少しずつ澱のように溜まっていくかもしれません。

そういうことを見越してみると、うんと手前のところで解消したり、そもそも消極的にとらえることをしなかったりして、適切に回避できるようであった方が良いわけです。

そのためのひとつとして、考え方自体を大きく迂回するようにして、時には回りくどいくらいに物事を考えるようにしていると、感情に火が着くようなことにはならないのかなと思います。

たとえば、何か納得しがたいような事態・状況に直面した時に、"むむっ、これは第六天魔王・織田信長公の所業たるところの…"のように考えるような感じで、大仰であるとか、どこか笑いを誘うようにするとか、内心のところで試してみると、いくらか効果を発揮するでしょう。

こう考えると、いかに語彙や知識が豊富であるとか、想像力を賦活できているとか、そういう頭や思考の使い方ができることになってくるのかもしれません。

怒りを覚えるような事象や物体があるわけではないので、ブーメランを投げ放つように、受け止め方を変えるための時間を稼いでみたり、やがて考え方が向上して自分がステキになってみたりと、これを試さない手はないように思います☆

 

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あわいにたたずむように

 

"あわい"というのは「間(あいだ)」という漢字を使うのですね、しっかり調べてみたのはこれが初めてかもしれません。

境界線、狭間、境目など、言い方は多くあるでしょうが、共通して言えるのは「間(あいだ)」という漢字が示すように、何かの途中とか、中間地点というような意味合いになる気がします。

自分の思い込みとして、グラデーションという意味合いでの「淡い(あわい)」なのかと思っていたわけですが、そういう、明確にできない"あのあたり"ということも言えるのかもしれません。

そういう、白か黒か決めきれず、何とも言えない"あわい"、自分を取り巻く状況や気持ちにしても、今はそこにいるのだなというのを強く感じます。

普段から、昼と夜、表と裏、右と左など、物事を対比して考えるのが自分の中の傾向としてあるのですが、そういう考えを持っているということだけでなく、自分自身がそういうところに身を置いているとか、身を寄せるようになっていることも見受けられます。

どのように考えるかによって、どういう現実を引き起こすのかという観点において、ここでは部分と全体のところでの平仄はあっているわけです。

現実において、今がどうであるのかというところと、今後どうしていこうかなというところで、ここでも現在と未来という対比が行われているとして、「歩哨(センチネル)」という発想がひとつにあります。

「防人(さきもり)」という言い方でも良くて、字義的には自由な解釈を含んでしまうのですが、どちらからも「あちら」から来るものから「こちら」を守るという雰囲気を感じ取ってもらえたら幸いです。

そして、自分のいる場所の比喩として、海に対して陸側にある灯台(か、それに類するもの)を理想のひとつとして連想していました。

ただ、今の感覚で言えば、一目見て違いがわかる海と陸とを隔てるところやその近くにいるのではなく、たとえば、地続きの陸のある地点と別の地点の「間(あいだ)」にいると言った方が良いのではないかという気がします。

物事は総じて、微妙な均衡(バランス)によって成り立っている気がしますし、そういうものをどれだけ感じ取れるかという意識の傾け方がまた重要な気がします。

何かの拍子に崩れてしまうのでは好ましくなく、事前に防ぐとか、普段からの点検を怠らないというのが大切になってくるので、一層、自分自身はそこにいるのが良いのかという気がしてなりません☆

 

 

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今の立ち位置として

 

積極的か消極的かということではなくて、実は問題の次元が異なるということがあります。

切り口が異なるというようなもので、野球のピッチャーでなくキャッチャーの方が力を発揮するとか、体格的にウェイトリフティングより長距離ランナーが合っているとかいうものです。

本人が何を望むのかも大切なことですし、身近な人やその周りがどう見ているのかも大切になってきます。

また、スポーツの試合もそうですが、仕事やプロジェクトにおいては、他の人との関わりによって進むものもあるので、誰がどんな役割を担うのか、お互いのバランスを見極めることも必要です。

いくつもの視点や観点があることを知り、多くの組み合わせによって何が良いものかを知るものです。

自分にとっても、誰かにとっても意外な一面があって、それが好ましいものであればさらに良いものです。

あまり気にしない場合では、それに気づかないこともあるわけですし、どういうことなのか部分ばかりを見て、全体が見えていないということもあるでしょう。

これは、自分に直接関係ないことだと冷静に見ることができても、自分が当事者である、あるいは物事の渦中にあると、どうしても視野が固まってしまいがちです。

そういう、考える切り口自体を多く取り上げつつ、自分の主張ばかりをするのでないところで、周囲の意見にも耳を傾けつつ、収まるべきところに収まるようにしていきたいものです。

そのひとつとして、「適性」みたいなものを考える時に、自分自身の"やりたいこと"と"できること"が重なりつつ、誰かに"喜ばれること"も考えていくと良いというものがありました。

この場合では、"やりたいこと"ばかりを押し出すのでなく、自分は何ができて何ができないのか、得意と不得意を知っておくことも必要です。

苦手と思っているようなことも、取り組んでみたり長いことやっているうちに解消される場合もあるので、周囲の方がよく見えているということもあります。

基本的には、自分自身精一杯やるということは前提としてありますが、目の前に現れたことをひとつひとつやっていくうちに、何か"道"のようなものになっていくのかもしれません。

少しずつ遠くも見渡せるようになってきて、行きたい方向が見えたとしても、そこに行くばかりが正解でなく、何かに向かっているそれ自体が素晴らしいということもありそうです☆

 

 

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