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傍島康始|ブログ

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制約のあるくらい

 

年末年始、時間があるからまとめて何かをしようと思うものの、かえって暇を持て余すようなことがあるものです。

本の一冊とか映画の一本でも見れそうですが、ケータイ電話(スマホ)を何となくいじっているうちに時間が過ぎてしまうこともあるわけです。

何もしない、そういう無為の時間も、心身ともにリラックスしているからできる側面もあるわけですが、果たして時間の上手な使い方ができているかというと心もとない気持ちになってしまいます。

"締め切りがあるから頑張れる"みたいに、このタイミングであれをしよう、ここでしかできないコトがあると思うのが良いのかもしれません。

こういうことは往々にしてあって、ルールがあるから遵守しながらやるとか、予算やスケジュールに限度があるから工夫するということになるでしょう。

人と人との関わりにおいても、誰とも関わらないでいては新たな刺激や出会いも生まれないわけで、多少「ちょっと、それどうなのよ」と思うこともありながら、適度にしがらみがあるというくらいが、ちょうど良いのかもしれません。

それまはた、過度になり過ぎてはいけないものの、何でも自由にして良いよとなれば、これはまたその果てしなさに手を煩わせてしまうとか、途方に暮れることがあるかもしれません。

とらえ方次第ということもあるのでしょう、何も不自由ばかりが良くないわけで、そういうものだと受け入れるのが良いように思います。

たとえば、背の高さにしても、2mくらいあると高いところにも易々と手を伸ばして、何かを手に取ることができるでしょう。

しかし、それほど背が高くない、むしろ小柄で不利かもしれないとなって、そこで不安になってしまうかもしれませんが、異なる発想で挑むのが良いように思います。

必ずしも背が高くない、ならばジャンプ力を養って届くようになれば良い、そうなれば背が高くないというひとつの制約が、別のところでの力や技術につながっていくのかもしれません。

結構大変な状況だから踏ん張れるとか、今が耐え時と思うから、強い気持ちを持つことができたり、それを乗り越える知恵が浮かんだりすることでしょう。

そういうことがあって、また次なる展開に飛び込んでいけるものですから、思いのままにならないこともそれなりに楽しめると良いように思います☆

 

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画像を撮り溜めて

 

ケータイ電話(スマホ)の便利さ、身近さにあやかって、ことあるごとにパシャパシャ〜とやっていますが、どれくらい見返したり、活用したりするのかは定かではありません。

今は本当にスゴイもので、画像や機能の質において特にカメラでなくても十分なくらいに果たせるために、現像もしない、プリントアウト(印刷)もしないので、ある意味では、データが増える一方ということになります。

これは最近不思議に思うことのひとつなのですが、現像する/しないでわかれるのか、何をもって「写真」、また、何を持って「画像」というのか曖昧になっている気がします。

誰かの姿や何かの景色が撮ることができればそれはもう「写真」なのか、どこが線引きの対象なのか、わからないなと思いながら話している場面があります。。

これも、言葉の定義云々よりも、実際にどうであるのか、そこに画面と(たとえ画面上であっても)シャッターボタンがあればカメラであり、写真であるのもかもしれません。

こういう使う機器とか成り立ちの変遷のうちに、言葉の変化をもそれとなく同時に思うものです。

いずれにしても、気の向くまま・思うままに記録していくにあたって、何をどれくらい大切にするのか、そういう問題も生じてきます。

撮りたいものを撮るけれど、それも容量次第とか一定の期限が来たらどうにか整理する、そういうこともあるかもしれません。

あるいは、貴重な瞬間を撮りたいとか、千載一遇のチャンスを逃さないとか、そういう時に撮るのも良いですが、そういう時こそ目を凝らすとかじっくり眺めるのもまた乙なものです。

言い換えれば、目に焼き付けるとか、心に刻むとか、そういうことにもなって、それはそれでとても大切なように思います。

便利さや身近なことに甘えるあまり、いつでもどこでも誰に対しても気軽にケータイ電話(スマホ)を構えてしまうものですが、しかるべき配慮や注意は怠ってはいけないものです。

プライバシーとか肖像権のような問題もあれば、気持ちや気分の問題もあるでしょうし、何が何でも良いというわけではないでしょう。

そういうのもここ何年かで移り変わっているだけのことですから、基本的な節度も守りながら、上手にやっていけるのがより良いように思います☆

 

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あなたに届けと思いつつ

 

日々誰かに届けと思いながら、コツコツと思うことを綴っているわけですが、やっている当人としては、バットの素振りのように思っている部分が多くあります。

試合で打つことも大切ですが、それは時の運みたいなこともあるわけで、そういう勝負の時に限らず、普段の練習から手を抜かないとか、より上手になろうとするのも大切だなと思います。

このブログにおいても、これもひとつの試合、同時にひとつの練習、割合は決まっていませんが、そういうふたつの側面を抱えながら、地道にやっていくことで何かしら見出せるようになっていきたいなと思っています。

そうやって、自分の思うように好きにやっていながらも、意外と身近なところで目を通している人はいるもので(実にありがたい!)、そうなると試合でヒットを打つような嬉しさがあるものです。

それは"手応えがある"と言っても良くて、それこそ、しっかり打席に立って勝負に挑んでいるから得られる感覚なのかなと思います。

これが非公開であるとか、実名でないとか、本当にひっそりとやっているようでは、日の目を浴びることがついぞ訪れることはないでしょう。

打てるかどうかわからない、練習もこれだけやったから安心だということはなくても、自分の部屋でとか、夜な夜な誰も見ていないところでやるのではなく、絶えず視界のどこかに入るようであるというのが大切ということです。

これは、たとえ控えめであっても挙手しているとか、大勢の集まりにはまめに顔を出しているということも当てはまるかもしれません。

自分はこういうことを思っていますよ、こういう考えをするヤツですよとアピールしていかないと、誰も見向きもしないし、耳も傾けてくれないでしょう。

内容が有用であるかどうか、それも十分に大切なことですが、ある程度のまとまりを持っているとか、何が書いてあるのか見てしまうとか、そういう枠組みのところでも提出するようでないといけないものです。

なかなか(比喩的に)ボールを芯でとらえることは少なくても、何度でも&いくつでも挑むように回数を重ねていかないとヒットも生まれないわけです。

引き続き、気合いは入れていくけれど、決して気負いはしないところで続けていく次第、時々は見て、時々は気晴らしになってもらえたら本望です☆

 

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