SOBAJIMA YASUSHI

傍島康始|ブログ

Category: JAM SESSION (page 1 of 2)

至高体験について<保存用>

 

あー、めくるめくる耽溺に浸りた~い、息もつかせぬ恍惚にまみれた~いと思ったとしても、

会った人にいきなり話を吹っかけるわけにはいかないし、実践においても…(以下同文)。

おっと、まずはお近づきになって、楽しくお話するところからですね。

行き着く先の希望はひとまず申し上げておきますので、どうぞお手柔らかにお願い申し上げます。

それはさておき、三砂ちづるさんの「オニババ化する女たち 女性の身体性を取り戻す」(光文社新書/2004年)を、この度読了。

男性には経験し得ない月経、妊娠、出産を通じながら、女性の身体の持つ可能性や女性自身の持つ力強さなどを、今一度考え直してみようというのが主な内容になります。

初版が2004年で、種々の取り巻く状況は多少は変わっているかもしれないものの、何かと効率や結果みたいなところが取り沙汰されることの多い昨今においては、

2018年の今でさえ、人の、生物としての生々しいところはどうも後回しになっていたり、あえて取り上げないで、あくまで個人のこととしてそのまま個人的に解決しなさいとなっていたりする気がします。

この頃は、私がひとりの人間として、女性に向けてお伝えしたいことが常にいくつかあるので、"あなた"は基本的に女性を想定して宛てているわけですが、

男性の場合は、自分のステディな女性とかスウィートに思う女性に伝えたいとなれば、話を受け取るにも受け取りやすいかなと思います。

冒頭のように、あなたと私がどうということとは別に、ひとりひとり、あなた個人としてどうなのかというところと、女性であるとはどういうことなのか、

男女限らずに広く考えてみることも大切ですし、さらには、他の誰かと意見を交わしてみるというのも大切なことのように思います。

少し言葉を選び、少し言いづらいようなことでさえも、「人間」として大切なことはそこに怯むこともせずあるがままに展開していきますが、

どうしても無理っ!と嫌悪を抱かないでいられるように、適切な配慮は随所に施していきたいものです。

たとえば、身体操作や身体技法において、時代や地域によっては、月経の手当てを、下着やナプキンがなくても支障なくできていた/できる人が、日本においてもいた/いるわけですし、

遠いブラジルといった国であったり、ある意味では他の未開の土地であったりしても、その集団特有の知恵や経験があることを知ることが大切かなと思います。

そう言えば、室町時代や江戸時代の女性はどうしていたのかしらと不思議に思うようなものです。

この、同じ日本においても、全員が同じような知恵や知識を有しているわけでもなく、自分の知っていることや知らないことが、そのまま他の誰にもあてはまらないことは想像に難くないところです。

せめて、その提案だけでもできたら良いなと思うので、これを契機と呼びかけているのが少しでも届くようにと、このまましばらく続けていくことにします。

武道・武芸の達人技もスポーツの高難度のプレイなんかもそうですが、自分がその方法を体得し、日頃からできるかどうかは、試しにでもやってみないことにはわからないものですが、

実際にどこかにできている人がいた/いることを見過ごすべきではなく、その事実をしかと認めるところから、何らかの参考にした方が良いのは、ことさら言うまでもないことです。

少しわかりにくい例かもしれませんが、体操の白井健三選手の高難度のパフォーマンスであったり、プロレスのスワンダイブ式のドラゴン・ラナであったり、目を見張るようなことをできる人は確かにいるものです。

フィギュアスケートにおいても、羽生結弦選手の4回転ジャンプが飛べているように、同じ「人間」として訓練の積み重ねでできる可能性が、他の人においてもまったくのゼロでないような発想になります。

再三思うのですが、この「オニババ~」は、女性はもとより、男性も一度は読むに値する一冊だなと思うわけですが、この一冊でもってすべてを網羅できるわけではないので、一読の後に早計な判断や結論に落ち着くのは控えておくようにも申し上げたいものです。

また、本を読む順番というのも結構重要で、いつ出会って、どう読むのか、それまでの読書体験の積み重ねが自分の人生的な歩みとも深く関わっているとも考えられるからです。

自分のこれまで経験したことや日頃考えていること、そして、本を読んだり、話を聞いたりして価値観やモノの見方ができていくし、

そういったものを背景や土台として読み進めていくことで、共感したり、納得したりすることになるのは、おそらく同意してもらえるかと思います。

個人的には、今のこのタイミングだからわかることが多くて、巡り合わせというものの因果をそこはかとなく感じるものです。

簡単に言えば、代々木忠監督の著書「つながる セックスが愛に変わるために」(新潮文庫/2016年)やブログにある言説や、

八木龍平さんの「成功している人は、なぜ神社に行くのか?」(サンマーク出版/2016年)を参照しながら読み進めると、

切り口や語る人は変われど本質はほとんど同じところに行き着くのだなという思いが強まっています。

ここで余談ですが、今は、ひとつに"宇宙を感じる"とも集約される発想を自らに敷いているのですが、

その過程で、黒田有彩さんという宇宙飛行士を目指しながら活動をしている方を知り得たのは、最近の個人的ファインプレーのひとつと申し上げても良いでしょう。

もしもお目にかかることができるのなら、それはまた光栄なことで、そこでどう私は私のことを名乗り、お知らせするのが良い印象となるかを、内心そわそわしながら今のうちより考えておきたいところです。

そして、そもそもなぜ"宇宙を感じる"ことを心がけているかの理由はいくつかあって、そのひとつには次のような背景があります。

直接それがこうであるわけでもないのですが、引用を表しながら何かを感じ取ってもらえたら良いなと思います。

三砂ちづるさんの「オニババ化~」では、医療介入をする病院でのお産でなく、助産院で女性が自分の"からだ"に向き合ってお産を経験すると、その後に記した産婦の方たちの手記では溢れるように文章が出てきているし、そこにはいくつかの共通点があるとのことです。

たとえば、次のようにして、

"「宇宙との一体感を感じた」「自分の境界線がないようだった」「大きな力が働いてそれに動かされているようにゆだねていた」…..など、いわゆる心理学でいう「至高体験」に近いような経験をしています。"(P.101、102)

これが、長年本質的なオーガズムを追求しながら映像作品を撮っている代々木忠監督の「つながる~」にも似た記述があって、その一部を引用すると、

"オーガズム体験を言葉にすれば、

「相手の体が自分の体」(小沢なつみ)

「人間の手と手は合体しないけど、水とジュースは混ざり合うでしょ」(栗原早記)

「男って私、きょうまで私は自分を敵にまわしていた。男の人も女の人も、私なんだ。私だから一体になって当然なんです」(姫ゆり)

これらの言葉は時間も場所も異なるところで発せられたものだが、三人に共通しているのは、自分の体と相手の体の境界線がハッキリしないくらい「溶け合う」感覚を持つという点である"(P.33)

三砂ちづるさんにおいては妊娠・出産において説いているものが、代々木忠監督においては、その前段階である性行為(セックス)において説かれています。

それでも、女性にとって、どこかの段階で"宇宙を感じる"ような体験ができやすいことが考えられるので、そのような至高体験が瞬間的にでも自らにも感じられるよう、粛然として臨みたい気持ちが今は発露しています。

こういう、少したどる経路は異なっていても、同じような体験や表現に行き着くのは興味深く、他の分野や領域においても、言っていることや取り上げていることは異なっていても、

その理路や本質が似通っていることが多いので、それを見出だすためにも、自らの集中力をさらに増すように耳を澄まし、眼光は一層鋭さを帯びるようになるものです。

人間誰しも、個人においては生きて十数年~数十年の年月ではあるものの、連綿と続くようにして存在する人類においては、何百万年とか何千万年とかの気の遠くなるような膨大な長さがあって、

その年月の遺伝的叡智が誰の体内にも組み込まれているのであれば、やや言葉を荒く申し上げるならば「人間、ナメんなよ」とあなたひとりひとりにある底力や可能性を深く信奉したいものです。

また、計量・計測可能なデータばかりに頼るのでなく、目には見えないけれど、自分はこう感じるとか、目には見えない何かはあるだろうとの信憑性を疑わないとか、そういう姿勢や態度が同時に必要であるようにも思います。

見えるものばかりが必ずしも信用・信頼に値するものでなく、どこか「直観」にも似た自分の感覚であったり、

心の声とか内なる声に耳を澄ましたりすることが、かなり妥当であるのも、人間が生物(なまもの)であることの証左なのかもしれません。

具体的には、医学的見地に依る知識や技術も大いに活用しながら、各種医療機関で診察や診断を受けるし、

同時に、自分自身でも内面を見つめるようにして、自分の身体がどのような状態なのかを普段から能動的に知る、

そのどちらも同じように必要なものとして、相互補完的に取り入れるのが良いように思います。

そして、それもまた宇宙の広大無辺なるスケールとか人類の膨大な歴史とか、とてつもなく大きなものの内にあるのだと感じながら推し進めるのではいかがでしょうかと、ここに申し上げる次第です。

なかなか言いたいことの多くはあるものですが、理路を整えるようにして割愛もしながら進めていくことにします。

三砂ちづるさんの「オニババ化~」の途中に、「愛のヨガ」からの引用でも出てくるルドルフ・V・アーバンは、医師として一生セックスについて探求を続けたようで、それは大いに敬意を表し、ぜひとも後塵を拝していきたいものです。

現場における実践においては、しみけんさんや森林原人さんの(まさに)精力的な活動に注目しながら、親しい人とも気軽にこういう話ができることをやっていこうと思います。

民俗学者・赤松啓介の研究を知るのも、大いに啓蒙を得るところとなるでしょう。

冒頭にも申し上げましたが、卑猥にもならず、淫靡にもしないようにして、私は「人間」の話をしているのだと、ただ、そのためにはちょっぴりエッチな話にはなるよということはあるでしょう。

この手のエッチな話がそもそも苦手な人もいるので、一定の配慮や気配りは必要ですが、もしも「人間」の根源に関わる話が一切できないのであれば、

それは日頃の生活(ご飯を食べる、トイレに行くなど)の話もしにくいようにも思いますので、一緒に時間を過ごすことはあまりないように思います。

家庭生活において「メシ、風呂、寝る」しか言わないのはやや問題があるとも思いますが、いつも楽しくゴハンを食べることができるような相手とは、エロス的な関係においても、同様に楽しく入浴し、さらには楽しく…(以下自粛)。

自分の大切に思う人、それがパートナーとなるような人であれば

より一層、自分はこのように思いながら、その思いを伝えたいということを、まさしく伝えていきたいなと思うわけです。

また、機会があるのなら、少なくとも同年代の人たちにはもちろんですが、10代~20代の人たちにもそうですし、どの年代の人たちとも、わりとフランクにこの界隈の話を共有していけたら良いなと思います。

普段より、私は"私はスケベである"と高らかに公言していきたいのですが、はじめよりこう言い募っておくことで、

実際には言っているほどでもないなとか、言っている以上にこいつはスケベだとか、何かしらは判断が下されることを望んでいるわけです。

それでも、このいかなる判断が下されようとも、すべては"スケベ"の範囲でなされるものなので、度合いはさておきスケベな印象を持っていただくことは間違いのないところで、ありがたく思うものです。

なかなか収束しそうで話が広がるのは、私の話すのと同じクセなので恐縮なのですが、

ここで思いついたついでに申し上げておきますと、きっとライトに「いい恋しなよ~」みたいに言う時には、心がときめく≒心臓の鼓動が高まるようなことだけでなく、

身体(からだ)の接触をもって体温が高まるとかホルモンが分泌されるとかのことも含むのかなと思います。

それが一糸まとわず行うような性行為(セックス)だけでなく、唇を重ねる(キス)とか熱い抱擁をする(ハグ)とか、

そうでなくても手をつなぐとか腕を組むとか、相手の存在を"からだ"を直に感じることが良いことのように思います。

ありていに考えて、大っぴらに「いいセックス(性行為)しろよ~」とも言いにくいですので、恋愛と性行為とでは感情と行為との軸足の差異はあっても、一部は重なることを担保に言い替えているのでしょう。

報告する方も、「いいデートだったよ~」と包括して、ややもすれば抽象的にも表すのが礼儀なのかもしれません。

そこんとこどうなのよと率直に知りたい(けど、自分は言わない)ように、そこは人間的修練が必要であるように、私としては思われてなりません。

ここまで、希望を託し込めながら、ひとつ文章を練るようにしていたのですが、それは何のためなのか、

より自分の望むもの、自分の進みたい方に思いを重ねていく方が、とても愉快であるので、そうしたまでのこと、

あるいは、そうして希望を多く表す方が、実際にそうなる捷径という向きもあるので、それを実践している今日この頃なのです。

だいぶ多く(ヴァーチャルでの)紙幅を費やしたので、言いたいことのいくつかはまた追ってお知らせいたします☆

 

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タモリについて<保存用>

 

ここ何週かは、週末に来るとひとつ文章ができる感じで、

特に決め込んではいませんが、そうなっています。

 

そして、本一冊は8万字〜10万字程度あれば、

300ページの内容でできあがるアイディアに、今はしびれています。

 

字数ばかりを重ねるだけでなく、充実した内容が必要ですが、

今回は3,000文字でお届けとなります。

 

テーマが必ずしも前景化していない点で、

どういう話の筋なのかは、パッと見にはわかりづらい、

それでも読み応えはそれなりにあると思います。

 

これで今月は<保存用>×3で、8,000文字程度となり、

似たようなペースで1年続けていけば、

分量としては、一応クリアということになります。

 

以下、どうぞゆるりとご覧くださいませ。

先日、しみけんさんのTwitterを見ていて、"一番の変態は「一人の女性を浮気せずに抱き続ける男」"ということで、その数がおよそ1,000人中の3人らしい(@avshimiken:2018年1月18日 3:32)。

これが日本国内でのことなのか、あるいはどの年代なのかといった、どのような道筋を経て導き出されたデータなのか、対象の選定や調査の方法など、細かいところは気になるところですが、

そこばかりが今回の主題ではないので、随所に冴え渡る"しみぺディア"の信憑性に、今回もまた頼ることにしておきましょう。

男性自身がひたすらに一途であるとか、女性がそれほどに魅力的であるとか(いわゆるファム・ファタルなのか?)、しかるべき理由や背景があるにしても、

そうして話を進めていくに、上記の割合は0.3%を前後するあたりで、これは全体から見るとその数字のまま、だいぶ少ない≒少数派と呼んで差し支えはないように思います。

ここで問いたいのが、もしもこのカギ括弧内にある前提が理想のひとつとされ、全体的に望ましいと(およその)合意がなされている場合、

それにも関わらず少数に留まっているのはどういうことなのか、その望ましいと思うことの理想の高さや崇高さ・険しさゆえに、到達することの困難さを物語っているということなのかもしれません。

あるいは、そうなっていることが、少数派である多くの帰結であるように、むしろ異端であるとか、異常であるとかとらえられている場合(今回では"変態"と称されているように)、

そこを目指したい人は個人の判断や主義・主張で、他の人にとっては特にどうということのない案件なのかもしれません。

一顧だにしないとでもいうような…。

多数ばかりが正義ではないし、少数派を看過して良いわけではないけれど、大きな趨勢にはなかなか抗いにくいのも事実であって、

是なのか非なのか、世の中の雰囲気はどちらみたいなところが感じられると、鵜呑みにするわけではないところで、判断するためのひとつの指標となるのはあるでしょう。

ここで正常か異常かの、定義付け・使い分けもしておきたいところですが(もしかすると専門家がいそうだから)、地域や時代によって一括できないような多様さがあって、

その時々に、どのような価値判断の規矩を用いるのか、文化や歴史なども巻き込みながらそれに左右されるのは免れ得ず、

わかりやすいところでは、天動説と地動説との葛藤であったり、それぞれの宗教的戒律に従う生活様式であったりするのかなと思います。

自分の持つものの見方が、どのような文脈から採られているものなのか、あるいは、どのような影響を受けてそうなっているのか、

ものの見方それ自体を俯瞰するような、少し離れて観察する態度も時には必要だということになるでしょう。

最近では「チーズダッカルビ」が話題になっており、"意外とミーハー"な私も早速ご相伴に預かることができました。

結構、火が入るのが早いので、チーズが焦げないようにして、絶品なるところまで持っていくには、それなりに場数をこなすような、こなれた手腕が必要な気がしましたが、

ここでは、単純に自分が食べたいからなのか、周囲で話題になっていて、かつ"インスタ映え"もするから食べたいのか、

流行に乗ることの、自分との距離感もまた知っておくに越したことはないように思いました。

時代そのものが呼吸するように移ろうものでもあるので、その息づかいをそれとなく知りながら、合わせる/合わせないを鑑みて、ともに歩んでいくのが良さそうです。

なぜ、このようなややこしい理路を取り上げて、ここまで引っ張っておいたのかというと、

読む行為それ自体には、時間も要しますし、知的体力も消費することになります。

興味のが持てない人はそもそも通り過ぎているでしょうから、ここまで読み進めているだけで、大いに感謝を申し上げたい気持ちでいっぱいなのです。

まことに、ありがとうございますm(_ _)m

そして、最後まで到達した時には、少しでも新たな知見なり、異なった感覚なりを得てもらえたら本望なので、

こちらとしても腕まくり(今は寒い季節なので、意気込みとしてですね)をして、せっせせっせと文字を紡いでいくように臨んでいく次第です。

そうは言っても、はじめは硬い" スルメ"みたいなものなので、お茶やコーヒーを手元に置きながら、ゆるり楽しんでもらえたのなら、それこそ望外の喜びなのです。

少しずつやわらかくなっていかないと、深い味わいも訪れてはこないので、しばらくの辛抱は欠かせないような気もします。

ワインを寝かせることで、馥郁な香りが出るのにも、それとなく似ているものです。

これまた先日のことなのですが、タモリさんの1992年に出演した番組「講演大王」(スゴいタイトルですね:日本テレビ系列)の内容がまた感嘆を通り越して、驚嘆に値するものでした。

内容の本編自体は、それぞれの時間を用いてじっくり観賞していただきたいのですが、

なぜタモリさんが、若者のクリスマスイブやバレンタインデーの過ごし方に異議を唱えるのかを、哲学者のキリケゴールの言説を引用したり、当時のソ連の崩壊と重ねてみたりして、

額に汗を浮かべながら、それこそ20分の持ち時間たっぷりに"情理を尽くして語る"姿勢に大いに心打たれるものがありました。

何かと移ろいの早い普段にあっては、表面をなぞることで終始しまったり、結果ありきみたいなところで、どんな心中なのかまで思いが寄らなかったりして、

そうなると、こちらとしても言葉を飲み込んで、ほとんどを削ってしまったり、そういうことがあることすらほのめかすこともしなかったり、

自分以外、所詮は他人であるかもしれないけれど、"わかり合う"スタートラインにもつけないのは少し残念な思いがするものです。

そうなれば、極限まで削除を尽くしたひとこと、ふたことで済ませる他はなく、そうでしかないのならそうするしかないのは、それ以上致し方のないところです。

しかし、個人において、思索を深めることは、地下に井戸水の水脈を掘り当てるような作業に近く(石油でも可)、

脳みその限界に挑むようにして、知恵の地表なるものにスコップを差し込んでいくことは、誰しもやっていくと良いことのひとつであるように思います。

そうして、何か掘り当てた時の喜びを、自分の中だけに留めておくのは惜しくも思うので、きっと誰かには届く、その一心でどこかに表していくのも良いことだなと思います。

それにしても、人ひとりと言えども、生きている年月の重みや厚みは誰しもあるもので、まずはそこに敬意を払わないといけない気がします。

それが自分自身に取り入れたいことや追体験したいことなのかは、相性とか波長みたいなのもあるので、それ相応の態度で臨めば良いとは思いますが、

一見だか一聴だかして、そんなに即座にわかるような、浅薄なものではないと思っています。

浅いとか、即座にわかると思っているそれ自体が、ややもすれば浅慮なのかもしれないと懐疑する、そんな姿勢も頼もしく目に映るかもしれません。

冒頭の話に戻りますが、「一生、あなたのことを愛し続けます」と言葉にできるような出会いがあると良いなと思い、絶えず求めてもいきますが、

そのためには、直接の因果関係はないものの、手元のところではキリケゴールを読むところからはじめていくのも良さそうです。

あとは、「メッセージの宛て先」とか「好き-□ッ□□=愛」みたいなトピックも興味をそそられるところですが、それはまた別のお話になりますので、今日はこの辺で切り上げたいと思います☆

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ラブレターについて<保存用>

 

Facebookに上げたものを、ここでもお披露目。

 

書きたい時に書くだけのことですが、

これは、かなり良い訓練になるものです。

 

 

【LOVE LETTER】

正月も終われば、次は何なんだ。

2月の某日があるとなれば、やおらハート・マークだとか赤やピンクの色合いが視界に飛び込んでくる気がしますが、

"不器用ですから…"とクールを決め込む不肖・ソバジマにとっては、(今のところ)特段何の予定があるわけではありません。

心浮き立つようなハプニングがあったら良いな < あった方が良いな < ぜひともあってほしいなど、思うのは自由なので、それもまた良いことなのかもしれません。

言うのもまた自由であれば、そこで誰に問う、ひそかに希望を持っても良いですか?

あー、ドキドキ(*´艸`)

なにとぞ、よろしくお願いいたします♪

えー、○○ちゃんは誰におネツなのよ~?とか、さっさとラブレター渡して告白しなさいよ~!みたいなところの"コイバナ"でキュンキュン♪盛り上がりたいわけですが、

それが口頭だったり、今はLINEだったりして、手書きの"手紙"にしたためることはあまり多くないのかもしれません。

今回は、手紙としての「ラブレター」について取り上げていきたいのですが(急に思い立った)、

たとえば、不肖・ソバジマの書くそのラブレターが"とーってもラブリィ~"な見た目・内容(ハート)ではイメージ的に何か違うし、

だからといって、無駄をとことん排して、まっさらでシンプルな便箋と封筒を用いてしまっては、

侍の、決闘を申し込む果たし状のようにもなりかねず、ロマンティックなムードもへったくれもないわけです。

果たして、「ラブレター」って突き詰めればどういうものなのか、追求して考えたくなるいつものクセが頭をもたげてきたところで、

単純に言えば、好きな異性(あるいは、同性)に対して、その好きな気持ちを伝える、

そして、一緒にゴハン食べたい、手をつなぎたい、デートしたいみたいな行動になったり、

その行き着く先には一緒に住んだり、結婚になったりとなる、

その取っ掛かりとなるためのアイテム、手段なのかなと思うわけです。

一番の目的としては、この気持ちをまっすぐにあなたに伝えたいし、それに対しては良い反応が得られるようでありたい、

逆に、伝えられた方では、自分の気持ちと照らし合わせながら、しかるべき反応・対応をする、

それがお互いに好意を持っているのであれば、とても喜ばしいことだ、

およそのところは、きっとそんなものかと思います。

愛のカタチは人それぞれで構わなくて、私としてはイチャイチャしたいのは基本的に女性だから、気持ちを伝える対象としては、主に女性ということになります。

ここまで綴ってきて、うーん、どうにも歯切れが良くないなと思いながら、

それはどこか遠慮があるのかもしれないのかどうなのか、

あるいは、どこか抽象的な話になっているし、差し障りのないことになっている気もします。

ひとまずは、個人的な"ラブレター"のひな型をひとつ仕上げるような意気込みで、

できるだけ具体的に書き進めていくのが良いのかもしれません。

読んでいる人にとっては、興味が少しでもあれば次に進んで、引き続き目を通してもらえれば良いですし、

そうでないのなら、ここで切り上げてもらって、コーヒータイムだかおやつタイムだかにしてもらっても構いません。

いずれにせよ、一旦ここで休憩とします。

はい、休憩終わりです。

読み進めたい人は、このままどうぞ(^-^)

そうして、相手の人を具体的に思い浮かべてラブレターを書くにあたって、

えっ!もしかして、あの人?とならないように、ここでは「エリ」さんに宛てるということにしておきましょう。

そして、思わず期待してしまった何人かの「エリ」さん(あなたです!?)、

申し訳ありません!

最近、気になるのが喜多村英梨さん(キタエリ)なのでそうしたまで、そこに関してはこれ以上…ムニャムニャ(以下、省略)。

これが「文乃」さんでは、木村さんのところのあのお方しか浮かばなくなるので、ひとまず「エリ」さんにしておきます。

ウォッホン、エ、エリさん、こ、こんにちは。

わ、私はソバジマと、も、申します。

いつもお仕事お疲れさまです。

今は同じ部署(営業企画部みたいなところ)で、日頃、あなたの一生懸命お仕事に取り組む様子に、

同僚のひとりとしてだけでなく、ひとりの女性として、「好き」という気持ちが少しずつ大きくなってきました。

僕だけでなく、いつも誰に対しても明るく接しているエリさんは、とてもステキな方だなと思います。

ここ数ヵ月は、どんどん気持ちが大きくなってくるのをとめられなくなってきました。

今度、部署での飲み会とか同期での飲み会でなく、ぜひ二人で一緒に食事に行きたいなと思っています。

お返事、お、お待ちしております。

よ、よろしくお願いいたします。

うーん、妙に緊張していて、面白味はあまりない。

それに、初々しいね。

二人の日頃の距離感がわからないのはあるけれど、真面目で良い人であるのはそれとなく伝わってくるので、

エリさーん!一回はゴハン一緒に行ったら、彼(ソバジマくん(仮))も喜ぶと思いますよ。

良い人なのは間違いなさそうだから、まずは一回、そこんとこよろしゅう頼みます(^人^)

ソバジマくん(仮)、あとはキミの頑張り次第だ、キミの持つ誠実さがそのまま伝わると良いね。

健闘を祈る!

こうして、ひとまず書いてみて思うのは、好きな気持ちを伝えるのと一緒にいたい気持ち・行動が伴っていることが大切なのだなと思いました。

好きだから一緒にいたい、一緒にいるから好きになるといった具合に、互いが互いに補い合うようなことで、

好きだけど行動として何もないのであれば、一体この人は何をどうしたいのかがわからないし、こちらとしても何の動きも取りようがないというわけです。

これが、出会って間もないとか、仲良くなるのはこれからという場合には、勇気を持ってしっかりと気持ちを伝えながら、ゴハンに誘うとか、何かしらの行動につなげていく必要があるわけですね。

また、このところ思うのは、上記のような、恋愛にあてはまるようなスウィートな関係に限らずとも、

夫婦でも親子でも、兄弟姉妹や親戚、あるいは、友人・知人であっても、

普段は、面と向かっては言えない感謝の気持ち、正直な伝えたい気持ちなどを、

こんな機会だから、その勢いに乗って、ラブレターにしてみるのも良いかもしれませんね。

あなたの書く、手書きのそれ自体もありがたいものですし、

愛溢れる気持ちを伝えるに、それに勝るものはないでしょうから、ここはぜひあなたの思う大切な人に届けてもらいたいものです。

と、意外と真面目に収まったところで、今回の内容はここまで♪

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