SOBAJIMA YASUSHI

傍島康始|ブログ

Category: HAPPINESS

幸福追求論・序説 <その3>

 

<その2>からの続き…。

 

 

だいぶ多くの分量を費やしてきて、

言いたいことの多くも出し切ってきたところで、

ひとつ締めくくりに向けて続けていこうと思います。

 

付随すれば、内田樹さんの「人生はミスマッチ」とか、

結婚と合気道」とかの内容を知ってもらうことで、

言いたいこともあるのですが、今回は紹介に留めておきます。

 

ここからは、何かを取り上げながら進めるというよりかは、

いろいろなことを考えながら、私はこう思うというところを、

多く書き記していければ良いなと思っています。

 

 

今回、言いたいことばかりが増えて溢れただけなので、

タイトルはほとんど即興的に考えていましたが、

内容に照らし合わせてみれば、"幸せなセックス"とは何か、

"心身ともに深いつながり"を持つにはどうすれば良いのか、

こういうことが主題として掲げているわけで、

それを追求しながら考えるのが良いだろうと思ったことと、

あとは、「天使論序説」というものの影響もあります。

 

身の回りで、あまり知っている人はいないけれど、

なかったことにするにはできない話のひとつです。

 

 

代々木忠監督のブログでもあったのですが、

トラウマのセラピーとかカウンセリングとかで、

突き詰めていくと性的なことに関わることが多く、

それだけに、自分自身の自我とか存在に対して、

セックスというものは大きい影響をもたらしているわけです。

 

自分自身の場合、それがあてはまるのかはわかりませんが、

確実に、長く心の中で抱えている事柄はあって、

必ずしも性的なところはないのかもしれませんが、

何となく推測するに感じ取ることはできる気はします。

 

特に、こういう10月や11月を迎えようとする時期は、

思いが溢れて、目が潤うようになってくるものですが、

これは誰に対しても言えるようなものでなく、

容易にわかってもらえるようなものでもないだけに、

私は私の口を閉ざし、心も閉じるようになるのだと思います。

 

ある程度わかっていて、そうでないように振る舞いもしますが、

根底だとか、背景だとかに思いを持つような人がいれば、

それはまた、ありがたいことだなと思うし、

自分も少なからずそうでありたいと思っています。

 

代々木監督の場合では、セックスで負ったものは、

セックスで解消するようなことも多くあるようで、

恋愛の痛手は恋愛で埋めるとか、

仕事の失敗は仕事で挽回するように、

決して同じ轍は踏まないようにしながらも、

逃げずに立ち向かっていくことの勇気を思うものです。

 

そういうものは、言わなくても伝わるようなもので、

普段の心がけや姿勢が問われているなと思います。

 

 

あとは、自分の人生の運命のようなところで、

今は、高円寺で「居酒屋・竜ちゃん」を経営している、

山本竜二さんのこれまでの歩みが強く胸を打ちました。

 

著書の「男優・山本竜二」が今は絶版になっていて、

中古でも定価よりも少し高いくらいなのですが、

何かを成し遂げたような時に手に入れようと、

今は(今もずっと)思案中です。

 

機会があれば、手に入れて読んでみたい一冊です。

当時、この刊行を記念したインタビューがあって、

これだけでも相当の内容の濃さがあるので、

ついつい引き込まれて読んでしまうものです。

 

どれもが壮絶とでもいうようなエピソードばかりなのですが、

山本竜二さんは、それでも前向きといいますか、

特に悲嘆に暮れていないところが素晴らしく思います。

 

体を張っている、その張り具合が人並みではないのですが、

ウ⚪︎コは食べるもの!?かを知るきっかけにもなるので、

決して諦めない「自転車理論」も知ってもらいつつ、

詳しくはインタビューを参照してもらいたいものです。

 

 

果たして、"幸せなセックス"ができるとか、

"心身ともに深いつながり"を持てるとかを、

自分なりにとことん突き詰めて考えていくと、

行為としてのセックスをしないよりかはもちろんしたいけれど、

そこだけを求めているばかりではないなというのがあります。

 

自分の性欲がどれくらいだなんてわからないものですが、

まったくの皆無ではないので、少なからずあるとしても、

それ以外の要素、会話や心の通じ合いなども求めており、

そういうものを大きくひとまとめにして、

全体的につながれる人が、異性であればより良いものか、

それが"幸せなセックス"につながるとか、

"心身ともに深いつながり"になっていくように思うわけです。

 

多くの場合では、仕事の話はこの人、趣味の話はこの人と、

それぞれを分けて話すことが多い普段の生活においては、

むしろそれがほとんどであって、当然かと思いますが、

たとえば、今の仕事をしているのはなぜなのか、

趣味にしても、どうしてそれを好むのかなど、

自分自身の存在の全体を知り合う機会は少ないものです。

 

医療の現場では、それぞれの専門や得意な分野があるにしても、

患者の全体を見て、診察しましょうという考えもあって、

咳が出るのは、肺の疾患ではなく別のところであるとか、

足が動かないのは、脳の腫瘍が原因だということもあるので、

特定のある部分ではなくて、全体で見ることで、

その人全体を良くしていこうという考えになります。

 

普段から一緒にいるような人や身近な人であっても、

部分でなくて全体で見るようなことが好ましく、

断片的に言えば、自分自身の興味もいくつもありますが、

それを個人でとらえると説明がひとでできるように思います。

 

先ほどのトラウマの話ではありませんが、

たとえば、順風満帆に生きているように見えても、

違うところでは物足りなさを感じているかもしれませんので、

家族構成、趣味・特技、生まれ育った環境や、

これまでに受けてきた影響などを多く知り合って、

それでどうなのかということが大切にしたいところです。

 

 

それに関して、セックスについても考えてみれば、

生殖、快楽、安心=孤独の克服のどのセックスなのか、

私が求めているのは、3つめが多く占めるように思います。

 

森林原人さんの「セックス幸福論」が刊行されたのを記念し、

二村ヒトシ監督と行った対談が非常に興味深く思いました。

 

これまで書き記してきたようなことを凝縮したような内容で、

たった一度でも、"幸せなセックス"ができ、

"心身ともに深いつながり"を持てるのであれば、

もうそれだけでも生きていけるくらいの感覚になるそうです。

森林さんも、二村さんもかなり哲学的に考えているし、

理論も実践もあるところに説得力があるものです。

 

 

総じてということになるのでしょう、

どうにも物事がうまくいっていないとか、

自分は恵まれていないとかを考えるような時には、

気持ちが過去に行ったり、未来に行っていたりするものです。

 

これまで何度か取り上げているように、

呼吸を意識することで、これらの解消になることもあり、

瞑想が良いとされるのは、これにも関連するところです。

 

呼吸の仕組みとしては、意識をしていようがいまいが、

息を吸って吐いてを繰り返しているものですが、

どうしても緊張しているような時には、

呼吸が浅くなりがちで、交感神経が優位に働いています。

 

これを意識的に深く呼吸することによって、

副交感神経とのバランスを取って、

気持ちがリラックスしてくるものです。

 

ここでの、呼吸の仕方で言えば、

意識/無意識、呼吸の浅さ/深さとともに、

交感神経/副交感神経に働きかけることができています。

 

また、何か心配があるような場合には、

過ぎ去った過去を思い悩み、まだ来ない未来を憂いと、

気持ちが"今"に来ていないことが大きい理由のようです。

 

そこで、意識的に呼吸を意識することで、

"今、ここ、私"と、時間的にも空間的にも、

そして、自分自身にも意識を向けることができるわけですね。

 

これは、過ぎてしまったことは取り戻せないし、

起きてもいないことは手の施しようがないわけで、

私は、今まさに何ができるのかということに目を向ける方が、

今のこれからをどのようにもできることにつながってきます。

 

そうして、その繰り返しで、昨日より今日、

今日より明日の気持ちで、前向きに取り組んでいくことが、

物事自体も好転していくことになっていくものです。

 

 

これはきっと経験のあることかと思いますが、

楽しい時には時間が早く過ぎるものだし、

そうでない時にはやたら長く感じるのは、

それなりに自分自身に返ってくるようです。

 

実際には2時間くらいが過ぎていようとも、

体感の時間で、それが2分だとするならば、

その人自身が生きている時間が2分ということになって、

だから、毎日を楽しく過ごしている人が若々しく、

いつも元気でいるというのは、ここに理由があるそうです。

 

誰にも等しく1日が24時間であって、

一年ごとに年齢が増していくものですが、

それと体感の時間が異なることによって、

年齢の割に若いとか、その反対とかがあるので、

そういう意味では、"年齢は数字でしかない"のは、

理屈が通っているなと思うわけです。

 

そうして、"今、ここ、私"が生きることに夢中であれば、

まさに今にしか気持ちや意識が向いていないわけで、

時々は目が回るほどに目まぐるしいとか、

記憶にないくらなこともあるかもしれないけれど、

それはまた、幸せな状態なのかもしれません。

別の言い方をすれば、"今に集中する"ことが幸せであり、

その積み重ねが、大きな幸せになるような気がします。

 

 

そして、「序説」とも謳ってはいますが、

これは今回いっぱい考えたことは終わりでなくて、

全てのはじまり、続きはこれからだともいうようなことで、

これからも引き続き追い求めていこうと思っています。

 

あくまで、ここがはじまりというようなところなので、

「序説」の次が何になるのかはわかりませんし、

続きをどうするかということは、今のところは未定です。

 

これまで、ひとつのことをいくつかの要素に分けて、

それで取り上げて考えてきましたが、

だいたい3つに分けてみると、わかりやすくなる気がします。

 

そうして、最後に(なるかは少し不明ですが)考えてみると、

"幸せなセックス"、"心身ともに深いつながり"のためには、

理屈ばかりでもなく、感情ばかりでもなく、

行為ばかりでもないような気がしてきて、

これを簡略化すると"頭、心、体"の要素になるかと思います。

 

これは、個人差はもちろんあるものですし、

ひとつの大きな傾向だなと思うのですが、

男性はどうしても頭で考え、女性は体で感じるのが、

どちらかというと傾向として強いのかなと思います。

 

そうして、男女の関係でしばしば問題が起こるのは、

理屈っぽいのと感覚的なところでの衝突・摩擦があるのかなと、

今後のために、心に留めておきたいなと思いますし、

お互い配慮ができると、より望ましいなとも思います。

 

"幸せなセックス"や"心身ともに深いつながり"のためには、

どれもが必要で、どれもが欠かせないわけで、

どれかひとつばかりがあっても、成り立たない気がします。

 

私の場合で言えば、考えるのが好きで、その傾向が強いので、

動いていくのと、感じていくのを念頭に入れながら、

もしもそれが行為としてのセックスであるのならば、

そこに没頭していくのが良いということになります。

 

どんなことでもそうですが、知って、やってみて、

それでわかることが多いわけですから、

その流れや順序を意識していくことが大切なことです。

 

 

これまで、セックス、セックスと何度も書き記していますが、

"幸せなセックス"や"心身ともに深いつながり"のように、

私の求める、セックスが安心=孤独の克服とすれば、

それを追い求めていることを言い換えてみるならば、

「性欲」や「セックス」→「生きる力」としても良さそうです。

 

「性」の漢字の成り立ちが「心が生きる」ことでもあるので、

まさに、心が生きていく「生きる力」を賦活して、

それがまた"生命力の強さ"みたいなことになれば、

そのときには、少なからず"幸せなセックス"を体感し、

"心身ともに深いつながり"を持てているように思います。

 

頭と心と体とを駆使していく今後においては、

考えるばかりでもなく、感じるばかりでもなく、

そして、動くばかりでもなく、

そのそれぞれが三位一体となっていくことが、

何か理想に近づいていく道程のように思います。

 

 

これまで述べてきたようなことを考えたり、

体系的に知っていたりする人がいるのかは、

機会を見て、個別に尋ねていくしかないわけですが、

人と関わることの可能性も感じながら、

本当にひとりでも構わないので、

そういう人=異性と知り合ってくことを望みます。

 

少なくとも、これだけの(感覚的な)紙幅を費やしているので、

私が、口を閉じていても頭で考えていることの何割かは、

これで何かは伝わり、わかってもらえるような気がします。

 

本当の最後には、しみけんさんのプロ魂を感じられる、

プロフェッショナル 仕事の流儀(風)」(PCのみで閲覧可能)を、

ここに紹介して、締めくくりとしたいと思います。

 

<終>

*シェアはこちらから*

幸福追求論・序説 <その2>

 

<その1>からの続き…。

気がつけば、かなりの(もちろん感覚的な)紙幅を費やし、

<その1>で早くも12,000字以上になっているので、

ここはぜひとも適度に休憩を挟み、トイレに行ったり、

コーヒーを淹れたりしながら、読み進めてもらいものですし、

場合によっては、少しずつ時間で区切って、

読める時に読み進めるスタイルでも構いません。

 

そうして、読む態勢になったところで、

続きも、張り切って書き記していきますので、

しばらくの時間を、どうぞ楽しんでもらえたら本望です。

 

 

そうして、ここでひとつ公式のようなものがあって、

「好きーセックス=愛情」というものがあります。

 

たとえば、誰かのことを気になって、好きになったとして、

それが感情の純度100%の好きなのか、

距離を縮めて、その唇や肌、髪にに触れてみたいという、

性的なことも含む身体接触を望んでいるのか、

そういうものを加えたり、差し引いたりしてみてこそ、

愛情の度合いがわかるというものです。

 

確かに、このあたりは先ほどの恋愛と結婚の例のように、

感情と行為を分けて考えつつ、愛情を考えるのがわかりやすく、

もしも、好きな気持ちばかりがあるのでは、

どうにも現実的な距離は縮まりにくそうですし、

逆に、肌を重ね合わせたい性欲全開では、

何か、身も蓋もない欲情のみということになりそうです。

 

片思いは純粋であるなんて言い方もあるのは、

こういう肉体接触を介在しないことがあるからなのでしょう。

 

そうして、これの3つうちのどれも100点までですよとか、

愛情の総計1,000ポイントでバランスを考えてくださいという、

限りのあるようなものでない極めて相対的なものですし、

どこの割合を大きくするのかどうかは、

個人や相手の考え方に応じて変わってくるものだと思います。

 

それでも、好きな気持ちを推し量るには、

セックスの要素を分けてみるというのが良いと、

そういうことになるのではないでしょうか。

 

 

それに付随して思うのですが、

人間が、特に日本においては一夫一妻制で、

一応、特定の相手と性行為をするのが望ましいとされていて、

結婚という制度に、全部を詰め込もうとしているのですが、

文化的・社会的な生物として、成り立たせるためには、

先ほどの恋愛、結婚、セックスのそれぞれの要素を、

できるだけこの順番でこなすのが良いとされている気がします。

 

逆説的に言えば、行為としてのセックスでは、

その人の日頃のものの考え方や振る舞いが、

それこそ裸の状態でありありと現れてくるので、

スタイルやテクニックだけにと留まらないわけです。

 

そこでもしも物足りないなんてことになれば、

愛情としての部分や、人としての情感がない、

単に、動物的で即物的なことになってしまいます。

 

そういう意味では、一定の好意=好きな気持ちがあってこそ、

ある程度は、相手のことを少なからず大切に思えるのだし、

別の観点で、他の良いところを見つけることができたり、

その後に人間的な魅力を増したりすることもあるので、

基本は一期一会としても、ある程度の時間の長さを伴うように、

時間的な射程を長く見積もってみての、

お互いのやり取りが必要だなと思うわけです。

 

そういう長い時間の流れで物事を見る見地というのは、

そのまま、即物的なものだけで物事を判断しないことで、

人間だからできることなのかなとも思います。

 

 

ここで、少しライトな内容も取り上げようと思うのですが、

女性の胸の大きい/小さいところではないところで、

ひとつ申し上げておきたいことがあります。

 

そもそも、内容が内容だけなのもありますが、

果たして、女性が読んでいるのかという疑問も生じつつも、

もしも少しでも今より大きくしたいとか、

場合によってはカタチを良くしたいとかあると思いますが、

そこで、自分でマッサージをしている人もいるかも思います。

 

しかし、それでは逆に縮小してしまうらしく、

ここでは、意中の男性にマッサージしてもらうことで、

女性ホルモンが多く出て、より女性らしいスタイルや、

カラダのラインになるそうです。

 

おそらく、スペンス乳腺のことを知っていると、

ここのあたりに密接に関係してくるように思います。

 

ここでは、私が女性の胸が気になるということはさておいて、

極めてライトに受け止めてほしいなと思うところです。

 

また、男性諸氏に伝えておきたいことで言えば、

意中に女性に対して、「好き、かわいい、キレイ」と、

言葉にして好意を何度も伝えることで、

そういう人と一緒にいられることをかみしめて、

自分の幸せの実感が高まりながら、

より好意を持つようになるそうです。

 

そして、それを多く言われている女性は、

これまた女性ホルモンが多く分泌されることによって、

より多くの魅力を発揮することになるので、

あるところでは「一石十鳥」の効果とも言われています。

 

 

そうして、世の中の夫婦やカップルで、

本当に、お互いのことをわかり合っているような人たちは、

どれくらいいるのだろうかと、質問したくなってきます。

 

あるいは、かっこいい/かわいい人と知り合いたいと思い、

いつもそれを願っているのだとしても、

自分もそういう魅力的な外見や容姿なのかというのは、

相手を知るようにして、自分を知る機会にもなるものです。

 

こういう、相手がどういう人であるのかは、

友人関係においてもそうで、自分の合わせ鏡のように、

自分の内面を反映するところが興味深く思うところです。

 

そうして、どちらが先ということでもなく意気投合し、

一緒にいる時間が多くなるにつれて、

どこかで行為としてのセックスも介在してくると思います。

 

そうでなくても、デートに出かけるとか、

会話を楽しむようなことが多くなるでしょうが、

相手に多くを求める人もまた、多い気がします。

 

自分を幸せにしてほしい、楽しませてほしいというように、

受け身の態勢で、それでコトの正否ばかりをいうようでは、

何となく対等な関係でないように思えてしまいます。

 

ここでは、内田樹さんがレヴィ・ストロースを引用しながら、

"官能"についてブログで取り上げているのですが、

自分の官能は、相手の官能によって賦活されるように、

そして、相手の官能はまた、自分の官能に賦活されていると、

あなたと私の、どちらが先でも後でもないようにして、

いろいろな喜びを得ていくのだろうということです。

 

簡単に言えば、私が笑うのはあなたが笑っているからであり、

あなたが笑っているのは私が笑っているからで、

そうして、高め合っているというのは見て取ることができます。

 

行為としてセックスをする場面だけでなくても、

会話やいろいろなやり取りをする時に、

ただ相手の出方を待つような態度・姿勢であったり、

あまり反応がないような"マグロ"では良くなくて、

お互いの参加意識とでもいうような積極的な態度があってこそ、

あなたも私も楽しい時間を過ごすことができる、

そのように思えてならないのです。

 

そうして、二人が交互に組み合うようにしている様子は、

DNAが二重の螺旋構造であるように、

顕微鏡の世界のミクロで成り立っていることが、

身近な普段のところでもあてはまるようにも思い、

これもまた、非常に興味を覚えるところです。

 

 

生物学者の福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだ」で、

DNAの二重の螺旋構造を研究しているのが、

二人のペアの生物学者だというのがあって、

これまた内田樹さんのブログに言及があります。

 

こういう発想を男女ということに置き換えてみれば、

自分の個人としては主観ではあるけれど、

客観的に、どういう人と一緒にいるのが、

生命的な振る舞いとしては良いのだろうと思えば、

単純に、気持ちがドキドキするだけではないところで、

魅力を感じ取るキッカケにもなるのではないかと思います。

 

そして、自分の主観があるのと同様に、

相手の主観も当然あるわけですが、

自分の主観を相手の主観に置き換えてみる、

そうして、お互いがお互いの立場に立ってみれば、

自分で思う以上に、あなたと私のことがわかるかもしれません。

 

結構、こういう主観と客観とか、あなたと私のように、

どういうところに立脚するかによって、

物事の見え方は異なってくるのはありますので、

これまた、柔軟かつ多様に考えられるのが、

自分の理解や相手の理解が、促進されるような気がします。

 

 

あとは、だいぶ以前に目にしているもので、

スタンダールの「恋愛論」があるのですが、

そこで、"感情の結晶化"みたいなことがありました。

 

ここでは、お互いが一緒にいない時間であっても、

相手のことを大切に思う気持ちがあれば、

それは結晶のようにして、少しずつ大きくなるような話で、

だから、郷ひろみさんの「よろしく哀愁」での歌詞が、

"会えない時間が、愛育てるのさ"とあるのは、

非常に理にかなった歌詞なのだなと腑に落ちた経験があります。

 

 

男女の多く、まずは出会うところからはじまって、

会話や電話、お茶をする、映画を観るようにして、

次第に親密になっていくのが好ましいのですが、

そのためにも好意を持ってもらうことが必要になります。

 

そこで、ひとっ飛びに交際や結婚を申し込むわけにいかず、

少しずつ段階を経るのが良いと言えそうです。

 

好きとか愛されるとかでは、"好きの5段階説"があって、

1. 愛されている

2. 惚れられている

3. 好かれている

4. 興味がある

5. イヤではない

多少の言い方の違いはあっても、

上記のような段階で考えることができるというのです。

 

そして、5番目以降では、嫌われる方向に向いていくので、

最初の段階としては、嫌われていないところから、

イヤではないというように進んでいくのが良いわけです。

 

そうすれば、あとは好きになるかどうかの流れになるので、

その分岐点をどう乗り切るかなのですが、

ここでは3つ心がけることがあって、

挨拶ができる、清潔感がある、自慢話をしないとなり、

日頃接していて違和感を感じないのが前提にあるようです。

 

何事も焦らずじっくりと続けるのが良いものですし、

基本のところを忠実に守るのが、

かえって近道ということにもなりそうです。

 

 

そうして、ここでは異性ということなるのですが、

男女問わず誰とでも仲良くなれることは、

結局良い出会いを運んでくるような気もするので、

前述の坂本龍馬を取り上げながら、

このあたりを考えていきたいと思います。

 

坂本龍馬を取り巻くあたりでは、言いたいことは多くあって、

それでも伝わるようにはどうすれば良いのか考えるのですが、

まずは、福岡伸一さんの「生物と無生物のあいだ」に、

原子の"平方根"の発想があって、

それを読んだ内田樹さんが武道的に応用できると思い、

そして、さらにこれを読んだ武田鉄矢さんが、

坂本龍馬を説明するにも役立てるとあって、

最後に、私がこれらを通じて読んだところで、

それぞれの内容を理解するとともに、

たとえば、異性と行為としてのセックスをするのにもさえ、

取り込んで応用できるのではないかと思った次第です。

 

このあたりを詳細に繰り広げていくと、

引用に次ぐ引用、言及に次ぐ言及になったり、

それぞれが取り組んでいる課題の内容であったりと、

かなりコトの順番とその行き来がややこしくなりそうなので、

大きいところでの枠組みの構造を伝えることで、

少しでも簡素にまとめることはできないものかと思うわけです。

 

手がかりとしては、内田樹さんのブログと、

武田鉄矢さんの「私塾・坂本竜馬」を参照してもらいたいです。

 

そういうものを踏まえつつ、相当に簡単に言ってみるならば、

原子や細胞の数が多いほど、行動の誤差が少なくなるし、

ある意味では、同調する割合も大きくなってくるというもので、

仲間や恋人など、一緒にいる時間が多いほど、

気が合うとか、息が合うとかのそういう話になります。

 

武道やスポーツの合宿や、寮での共同生活などもそうで、

同じ時間や空間を長いこと共にすることで、

次第にあなたと私の境界が薄れ、同じような感覚になって、

意思疎通も図りやすいということで、

これが、大人の場合でいうところの、

一緒にお酒やご飯を共にすることが多くなるのと、

根底の部分では繋がっている発想かと思います。

 

お互いの気の合うことを"息が合う"ということもあり、

吸っては吐いての呼吸にもそういう効果があって、

全員で呼吸を合わせるようにしてみるのも、

同じような効果を得ることができるわけです。

 

そうして、武道における"無敵"を考える時には、

全員を打ち負かすことで生き残るのは自分一人という、

まさに"敵がいない"ということではなくて、

そもそもが"敵となる人がいない"のが、

実際のところで、目指す境地になります。

 

そこでは、勝ち負けだけの勝負論ではなくて、

どれだけ自分の状態を高めるかということで、

相手の懐に飛び込むことであるとか、

他の人も多く巻き込むのかというところになってきます。

 

ここでいきなり舵を切るようにして戻ってみると、

"幸せなセックス"であるとか、

"心身ともに深いつながり"を持つ場合に、

あなたと私が溶け合うように同調しながらも、

官能をお互いに高めることができるのであれば、

彼我の境地に行くことすらも可能かなと思います。

 

相手に自分を明け渡すようなことでも、

ここに含まれるのかもしれません。

 

あとは、坂本龍馬で言えば、

残っている写真を見ても、非常に"なで肩"なんですが、

これは武道的な「居着き」がないことで、

無用な力みがなく、大いにリラックスしている状態で、

どういう状況に対しても、次の動作に移りやすい点で、

かなり理想の状態になっていることがわかります。

 

リラックスということでは、副交感神経が作用しており、

危機的状況になって、キュッと集中する時には、

もうひとつの交感神経が作用するので、

剣術も免許皆伝を収めている坂本龍馬としては、

いざという時の切り替えが巧みであろうと考えられるわけです。

 

逆に言えば、相手が居着いているような状態では、

こちらから見れば、生かすも殺すも自由であるような、

"活殺自在"の状態であるのですが、

もちろん、命を奪うようなことはしないで、

いかに生きることができるかを考えるのが、

今の状況では良いような気がします。

 

そして、こういう英雄は色を好む傾向もあって、

特に坂本竜馬では、妙齢の女性ということだけでなくて、

広く女性や子どもに親しまれていたことが記されています。

 

坂本龍馬は、非常に開明的なだけに、

いろいろな顔を持っているのですが、

そのひとつには、亀山社中→海援隊と、

日本の株式会社の先駆けとも言われていますが、

こういう社長となるような人はセックスも上手だと、

何かの本だか記事だかで見かけたことがあります。

 

確かに、細かいところにも気配りができるし、

多くの人と会って、スマートが振る舞いができるとあって、

かなり的を射ている指摘ではないかなと思います。

 

 

そうして、坂本龍馬を例に挙げながら、

会社の経営とかリーダーシップを考えると、

多くの人の気持ちをひとつにして、

大きな目標に向かうことが望ましいわけです。

 

それが、薩長同盟という歴史的な偉業にもなるのですが、

幕府の側とも、脱藩をした土佐藩とも、

新撰組を含むような、ありとあらゆる人たちの中で、

お互いの立場も利害も異なりながらも、

その間を颯爽と駆け抜ける坂本龍馬は、

仲間からは慕われたり、新たに誰かと誰かをつないだりして、

大きな動きを見せているのは驚異的だなと思います。

 

これを、武道的"平方根"とか"居着き"とかと絡めると、

たとえば、会社のトップであるとか、

何かのグループの筆頭である場合に、

自分の思うように考えて、同じように動ける人が多い方が、

自分ひとりの何倍もの動きを見せることができます。

 

まるでそれは、脳みそが自分のものひとつでありながら、

多くの人が、自分のまさしく手足であるように動けば、

それだけでも巨大な運動体となることが考えられます。

 

指先にまで神経が行き渡っているかのように、

一緒に働く人たちとつながっているのかということです。

 

そのためには、ひとりひとりとの関わる度合いや深さはある、

しかも出会ってからどれだけ短い時間でできて、

どれだけ多くの人とできるのかということを成し遂げてこそ、

大きいことを成し遂げられるように思います。

 

このあたりが、いろいろな要素を含みながら成り立つもので、

簡潔にするにしても、伝えきれないような感覚はありますが、

自分の中では言葉にできていないだけでつかんでいるだけに、

あとは、それを実際の場面でできるのかというだけのことです。

 

 

武道とか、坂本龍馬を手がかりにして考えてると、

たとえば、西洋のスポーツでは、

勝ち負けだとか、優劣を図るような側面が大きく、

単純に言えば、腕力の強さがどれくらいであるのかが、

影響力や発言力みたいなのを決するように思います。

 

しかし、柔道、剣道、合気道など、

もちろん筋力や瞬発力みたいなのも必要ですが、

「道」が名前になっているように、

長く続けることや、続けることでわかる境地があるのが、

スポーツとは異なる大きな特徴かなと思います。

 

そこでは、人間的資質の涵養であったり、

いろいろな感覚的な能力の開花であったりするようなことを、

自分の身に起こすことが重視されているようにも思います。

 

誰かに勝つとか、打ち負かすということではなくて、

克つべきのは自分自身ということで、自分に負けない、

"克己"という言葉は、実に言い得て妙だなと思います。

 

 

会社経営のトップとか、各種リーダーとかの資質を思う時、

そこにも多くの要素や側面はあることでしょうが、

ありあまるようなエネルギーがあることが、

理屈を抜きにして、何よりも前提になるように思います。

 

それはまた、健康であるということにもつながりますが、

普段の生活において配慮するべきことは、

食事、運動、睡眠の3つをバランス良く成り立たせることに、

秘訣が詰まっているようになっているものです。

 

エネルギーの多寡はまた、魅力的であるかにも関わるので、

そういう人の元には、同じように魅力のある人が集まるのは、

こういうことからも言い表せられるように思います。

 

内面的な状態というのは、気持ちの浮き沈みや、

脳の働き、内臓の状態など多くを含むかと思いますが、

そういう内面で起こっていることは、

毛穴なのか、肌の表面からにじみ出るようなもので、

いくら外見を着飾って、取り繕ったところで、

どうしても看破されてしまうのではないでしょうか。

 

肌の滑らかな様子であったり、整っている様子を、

「肌理(きめ)細かい」というのは、

肌の表面にも、本質的な原理はあるというのが、

どこか関わってくるように思うものです。

 

 

心身にまつわる、この健康に関わる、

食事、運動、睡眠の3つの要素は、

そのまま三大欲求の充実にもなりそうで、

行為としてのセックスを行うにあたっても、

筋力トレーニングをして、日焼けをすれば、

かなり健康体になり、準備も万端ということになります。

 

男性では特にスクワットをすることで、

男性ホルモンが多く分泌されるということで、

女性にしても、足のラインをキレイに保つには、

特に太ももの内側の内転筋を意識すると良いとされています。

 

また、呼吸ということで考えても良いのですが、

特に男性では、"勃って、出す"プロセスが、

行為としてのセックスの過程にはあるわけで、

交感神経、副交感神経を行き来するのが自由であれば、

自分の肉体もそれに連動するようにして、

自由にコントロールすることができると考えられています。

 

わかりやすく言えば、行為としてのセックスの最中では、

勃起ラインと射精ラインの二つがあって、

興奮して勃起するのには交感神経が強く作用し、

逆に、射精ではリラックスする副交感神経が作用します。

 

こういう緊張と弛緩みたいなのは、

呼吸の仕方にもよるし、集中の仕方によっても、

かなりコントロールができるようです。

 

 

行為としてのセックスを考える時には、

肉体的なところでわかりやすいのは、

男性が"勃って、出す"ことになるのでしょうが、

女性の場合では、また異なる指標があるものです。

 

それでも、一回の行為がどのようにして成立するのかでは、

男性側に責任というか、主導権が渡されているようなもので、

単純に、挿入して射精すれば、ひとまずは良さそうです。

 

しかし、女性の側からしてみれば、

自分ではどうにもコントロールできないわけで、

男性次第になる部分が大きいあまり、

必ずしも自分の快感や満足が得られない場合もあります。

 

もしもこういうところに固執してしまうのであれば、

行為としてのセックスが、挿入や射精ありという、

挿入主義、射精主義でのセックスになってしまうそうです。

 

その場合では、行為としては成り立って入るけれど、

"幸せなセックス"をするとか、

"心身ともに深いつながり"を持つことからすると、

少し離れてしまう発想のように思います。

場合によっては、男性の気持ちや体調によって、

勃起が維持できないとか、射精にまで至らないとかあって、

それを女性が、自分の責任と思ってしまうようでは、

悲劇の上塗りになってしまうこともあるようです。

 

ここでまた、打開策というわけではないのですが、

ひとつ興味深いことを聞いたのですが、

必ずしも挿入する、射精することだけではなく、

もっと他の過程や行程を楽しむようにしてみれば、

逆説的ですが、行為としてのセックスが成り立つのでは、

そのように考えるのも良いのではないかということでした。

 

寄り添っているだけでも良さそうに思いますし、

肌の温もり、呼吸の息遣いなどの他のところで、

相手を感じることもできるのではないでしょうか。

 

そうすれば、いくら年齢を重ねたところでも、

あるいは、体調が優れていないような時にでも、

気持ちを行き交わすことができるように思います。

 

 

また、行為として行い、挿入するにしても、

相手との神経をつなぐようにして、

気持ちを集中させることによって、

肉体的なつながりを越えたところでの、

"つながる感覚"を得ることができるそうです。

 

日々、現場でも行っているしみけんさんの言うには、

「コンセントをプラグにつなぐ」イメージだそうです。

 

脳の中の動きも、突き詰めれば電波の信号ですから、

シナプスをつなぐようにするというのは、

体においてもあてはまる考えだなと思います。

 

 

この<その2>では、かなりいろいろなことを、

あちこちに飛び跳ねながら書き進めているように思うので、

進むために振り返るようにすることもしてみると、

また、発見や気づきがあるように思います。

 

あるいは、行為としてのセックスを考える時に、

結構スキルやテクニックに傾倒する場合が多いらしいですが、

相手と高まるとか、つながるような場合では、

気持ちの部分も大きいことを感じ取ってもらえたら、

そういうところでも気持ちの良さも味わえる気がします。

 

そして、恋愛でもそうかもしれませんが、

行為としてのセックスも、あなたと私のもので、

基本的には、個人同士の問題であるとすれば、

もしもお互いの意思が離れて、関係を解消するような時に、

果たして、どういうところが至らなかったみたいな、

フィードバックや反省する機会があるとは限りません。

 

時々、試験や判定があるようなものではないですから、

よほど自分で気をつけない限りは、わからないことでしょう。

 

行為としてのセックスもそうで、

これをしたからポイント何点みたいな競技式ではないので、

自分や相手が上手か下手かみたいなことも含め、

全体的な振る舞いの、良いところとそうでないところも、

そう正面を切って伝えることはできないものです。

 

ましてや、第三者から伝え聞くということもないし、

だからといって誰にでも相談できることができない点で、

恋愛やセックスというのはデリケートになるのかなと、

それでも、誰もが多かれ少なかれ抱え込んでいることで、

そウいう部分では共通しているのかなと思いました。

 

逆に、あとから答案用紙が返ってくるように、

相手からの手紙が届いたら、目をむいて驚くことでしょう。

 

 

この<その2>の最後の部分として、

武道的な発想での、もうひとつを取り上げておきますと、

時間や動作の分節を区切るようなことがあって、

時間は過去から現在を経て、未来へと連続するものですが、

それをあえて区切ってみることで、

動きの精度や内容が変わるというのがありました。

 

何か、運動をする時には、体の各部位を連動させ、

ひとつの動きが、次の動きになっているのですが、

これを「ボールを受け取って投げ返す」とひとつにしては、

どこを良くすれば、もっと速く、遠くへ投げられるのか、

受ける前の位置取り、受け取る構え、受けてからの体のひねり、

そして、投げて返すというように、

そういう検証ができないことに関係しています。

 

他には、歌を歌う時にもそうらしく、

音楽や歌のメロディーもひとつの大きな時間の流れですが、

それを音符や小節で区切ってみることで、

音程やテンポをどこかのタイミングで修正できるので、

実践的で理に適っている考え方になります。

 

ここでは、一本の線で考えるのではなく、

ひとつひとつの点の連続で考えているわけですね。

 

行為としてのセックスにしても、

同じ相手と前回が良かったから今回も良いはずだとか、

逆にそうでなかったとか、つい比較をしてしまうものですが、

一回一回を区切って、次に持ち込まないことが大切だそうです。

 

そして、これまたしみけんさんのコメントであったのですが、

1日3現場あったとしても、毎回が今日の1回目ととらえ、

それが結果として3回続くというように、

発想を変えることで、乗り切っているそうです。

 

もちろん、相手と自分の体調、天候、気温や湿度など、

そば打ちの職人が気をつけるようなことでもありますが、

多くの要素を含みながらベストを尽くすわけで、

それでも、これは考え方や気持ちの持ち方によって、

そこに体を連動させて影響を抑えることなので、

まさに"気の持ちよう"は重要だということを示しています。

 

 

<その3>に続く…。

*シェアはこちらから*

幸福追求論・序説 <その1>

 

これは、特に日本でということになるのでしょうか、

普段の会話では、お金の話と性の話はしない方が良いという、

清廉潔白とでもいうような清貧・潔癖さがある気がします。

 

暗黙の了解とでも言うのか、表立って言う人は、

ほとんどいないようなことも聞きますし、

個人的なところでの実感もあります。

 

それでも、生きて生活をしていく上では、

お金を使わないことには、モノやサービスは手に入らないし、

性的なこともなければ、家族や子孫が増えることもありません。

 

そして、逆説的に禁忌的な扱いをしたり、

秘匿するようにしたりすればするほど、

人の興味がかき立てられるということがあります。

 

人の不幸の話や失敗の話は、蜜の味がするという、

仄暗いものにはより一層ということもあるのでしょう、

人の口に戸を立てることはできにくいわけです。

 

そうして、知ると行うとの順番が入れ替わってしまうだけに、

かえって、知識や知恵がないことになったり、

そのまま犯罪につながるようなことになったりと、

どこかしら"ゆがみ"が出てくるようにも思います。

 

最近はまたその傾向が強いのかもしれませんが、

聞くところによると、小学校での性教育に関しても、

肝心なところを迂回し、曖昧にして説明してしまい、

かえって、よくわからないということにもなっているらしく、

伝えるべきことがしっかりと伝わっていないようです。

 

こういうお金や性に関することを、

決して崇めるだけでもなく、貶めるだけでもないようにして、

堂々と真正面から向き合ってみることで、

人間本来の資質や根源的な営みのようなことまで、

深く知り得るような気がしてなりません。

 

誰にとっても、知らないよりかは知っていた方が良くて、

最初から知ろうとしないのとは、一線を画するものです。

 

人の営みとしては、だいたい数千年に渡ることで、

こういうものを学問的に突き詰めると、

ひとつは、文化人類学にまで行き着くのでしょうが、

きっと多くの市井の人にとっては、

自分のことや身の回りのことで手一杯であったり、

今日や明日くらいのことにしか思い至らなかったりして、

個人の幸せとか満足とかには執着はするけれど、

果たして、市民的成熟とか大人としての振る舞いとかには、

興味を持つのかどうかは、わからないところではあります。

 

ここで言う"市民的成熟"の、言葉の意味合いとしては、

どこかの市町村の⚪︎⚪︎市に住んでいるということではなくて、

個人的な解釈を入れつつ、わかりやすくとらえると、

"生きる知恵と力のある人の状態"なのかなと思っています。

 

それがまた、"大人"でもあるということになるのですが、

たとえば、本屋でいうところの哲学や思想のコーナーや、

宗教や歴史のコーナーに立ち寄るのかどうか、

どちらかというとあまり足を向けない方面であるのは、

自分自身を振り返ってみても、当てはまるのはあります。

 

それでも、私自身はもともとが考えるのが好きで、

しかも小難しく考えるのもかなり好きなので、

どこの学派・流派に所属するようなものではなくても、

ぜひとも考察を深めて、普段に取り入れたいと思うのですが、

逆に、普段の生活でこういう深みを持つようにすると、

耳を貸してもらえないとか、会話が成り立たないとかあるので、

むやみに口を開けないというのはあるでしょう。

 

それだけに、興味はあって調べはどんどん進むほどに、

会話の成り立つ可能性もどんどん狭まるという、

対立することを上手に成り立たせられるかどうかが、

今の課題の大きなひとつとなっている背景があります。

 

そして、内容に関わることだけでもなくて、

話の深さみたいなことになると、当然話す人を選ぶので、

基本的には、自分は黙ってしまうのだなと思います。

このあたりの、話す内容を選ぶということと、

自分の話せるかどうかは別問題ではあるし、

個人としても、被害妄想的に陥ることのないようにして、

できるだけ客観的に分けて考えているわけですが、

どうしても不可分なところもあるような気がします。

 

私の、個人としての資質というところと、

興味の持つ分野や領域というところでの、

免れ得ないものもあって、

どちらかというと少数というか、

目のつけどころの希少さとその組み合わせがあるのですが、

世のことを本質的に考えるということでは、

それはそれで、真っ当な気もするところです。

多数決ばかりが、必ずしも正解ではないように、

事実と真実がまた少し異なることにも似ている気がします。

 

そして、興味を持った分野なり領域では、

先行して、必ず誰かが携わっているという事実はあるので、

この世に生起している事柄である限りは、

こちらが後々になって興味を持つにしても、

携わっている人に敬意を表したいと思っています。

 

あとは、極端に言ってしまえば、

結構声を発することを厭わしく思うところもあって、

寡黙と饒舌の、ちょうど良い中間を保ちづらいのもありますが、

内容的に言えるかどうか、話せる相手かどうかの他に、

言葉を発することに伴う当然の反応とか反映とか、

口をついて出た言葉は取り戻せないところでの、

責任や自信があるかどうかも関わってくるように思います。

 

簡単に言えば、言葉は"言霊"と言われるように、

普段の考えている事柄や考え方自体が出てくるもので、

しかも、自分の身の置く環境や状況にも変化をもたらすので、

あまり迂闊なことばかりは言えないのはあります。

 

あとは、自分のいうことが曲解のないように、

言った内容がまっすぐに届いてほしいという、

願いの裏返しが、理由としてもある気がします。

 

あるいは、そういうことを話す自分のことを、

ほんのわずかでもわかってもらいたいとか、

興味を多少は持ってもらいたいのもあるでしょう。

 

内容や文脈にもよるので、ここでは単純化してみると、

赤色という場合に、自分は紅色の方を伝えたいのに、

どうしても赤色は赤色でしか伝わらないというのは、

こちらの伝える技量の不足を省みると同時に、

受け取る側の知っている範囲というのもあるかもしれません。

 

こういうのは言葉の問題でもあって、

そういう言葉があるから伝わるものですし、

そういう言葉を知っているから伝わるというのもあります。

 

それはそれで乗り越えられないところもあるので、

今は、静かに微笑んでいながら、挨拶はする程度で、

加えて、何かあれば気配りをするというところで、

波風のない、差し障りのないようにしている傾向はあります。

 

それでも、自分の中での風通しを良くしておいて、

滞りのないようにしておけば、

それはまた快活であるように思います。

 

そうして、ここまでだいぶ長く書き記してきて、

言いたいことの骨格はできてきたように思いますが、

実際には「まえがき」の段階の、今はまだ途中で、

これからどのように展開していくかも重要なのですが、

基本的には、日頃は言えない、それでも興味のあることで、

しかも人間理解にとって、必要なことを書き綴ろうかと、

普段言えないのなら、いっそ書き記していこうと切り替えて、

ここ数ヶ月くらいで思っていることを思うがままに、

それでも、何かしらひとかたまりとなるように、

ガッチリとまとめていきたいなと思っています。

 

コトの発端が何に由来するのかはわからないものの、

今年の初めからほんのり思っていたのはあったのでしょう、

状況的に、前にも後ろにも進めないような時期に、

何かを打破したいと思いつつ、いろいろ探っていて、

チュートリアル・徳井義実さんの番組をきっかけにして、

AV男優の「しみけん」さんの存在を知ることになりました。

 

こうして、はっきりと知った=認識した今年の2月以降に、

性的な内容を真ん中にしながら掘り下げていって、

これは男女それぞれの理解とお互いの性差に基づく理解と、

人間そのものの理解に大いに役立つことであるし、

少し派生もして、お金の流れや人との関わりを考えるのが、

日増しに、どんどん加速したのがあります。

 

そうして、今年の8月から10月のあたりではまた、

多くの人に言えない内容が、自分の興味の強いところで、

少し気持ち的に行き詰まったことをきっかけにして、

何とか打破すべく、あれこれ手がかりをつかもうとして、

興味のあることを、興味のあるままにとことん突き進んだら、

ひとつの興味が次の興味にどんどんつながる体験を得て、

その後に、何とかすっきりする感覚を得ることができました。

 

あくまで、個人の見解にはなってしまうのですが、

ここから考えられることで、実際の検証をしつつ、

これはかなり本質的なことなのではないかということもあって、

上手に伝わると良いなということがあります。

 

今一度、繰り返しながら確認してもいきたいのですが、

内容的には、露骨・露悪的な表現に偏らないようにして、

かなり大人向け、しかも市民的に成熟している人に対してか、

ここ最近で強く思うことを思うままに言葉にして、

必ずしも論文調ではないけれど、引用も随所に取り入れつつ、

大きくひとまとめにしてみようと思っています。

 

下世話にならず、下ネタでもないようなところで、

思わず首肯してしまうような内容になるのが理想です。

 

このブログの読者ということを考えてみて、

日頃から読んでいる人はいるのか定かではありませんし、

まー、読んでいる人もいても少ないでしょうから、

自分の頭の中をできる限り再現できるように、

自分にとっては、文字で可視化できるようにして、

今年の、個人的な"ありったけ"としたいと思います。

 

そして、"ありたっけ"ということでは、

脱線や寄り道も意図的に多くすることでしょうし、

少し関係のないことなのかなということも散りばめても、

何かしらは関連があるし、考える糸口となるように、

計画的な無計画を実行していきたいなと思います。

 

分散しながらも、ひとつのところに収束するように集まる、

そういう、ひとつひとつの星の瞬きは個別であっても、

夜空に架かる銀河のようなものを連想してもらえれば、

これから続く内容は、ロマンもありそうだなと、

そこはかとない期待も、それとなくあるものです。

 

また、これもまた意図的にやる場合もあることでしょう、

重複や繰り返しはどうしても何度もあるでしょうし、

逆には、どこかが抜け落ちているかもしれませんが、

全体の領域を押し広げながら、深みをもたらすようにして、

できるだけの範囲を網羅できるようにしていきます。

 

そういうところでの、色合いの濃さの違いはあっても、

それもまた味わいのひとつとして読み進めてもらいたいですし、

そして、どうにも前段と繋がらないとか、

思いつきのように話が飛ぶような場合には、

章立てを変えるとか、別の項目にするとかして、

無理のないように、できるだけ読みやすいように、

配慮をそこかしこにしていくように心がけていきます。

 

あとは、自分の知的な依拠としては、

内田樹さんの影響がかなり大きいので、

そういうのも自ずと浮き上がってくるであろうことも、

加えて、伝えておこうと思います。

 

 

そうして、長く「まえがき」を書いているのにも、

確かに理由があって、ここまで引っ張っていて、

ただ単に冗長にしているわけでもないのです。

 

少しずつ気持ちをほぐして、読む態勢をつくってもらいつつ、

徐々に、言葉や文章の連続に慣れてもらいながら、

ここから本題にガッツリと入っていこうと思うのですが、

それでも、わかりやすいように特定の筋道を辿って、

しかるべきところにストンと落ち着くような、

完璧な計画や準備が、事前にあるわけではないです。

 

タイトルすらもどうしようかなと思いながら、

とにかく内容ありきで考えていこうと思っています。

 

そんな内容に関して言えば、

さしあたっては、考えたい主題を掲げておくことで、

それほど見当はずれなところには行かないだろうとは思うので、

それを全体を支える背骨のようにして、

自分自身も頼りにしていこうと思います。

 

これは、しみけんさんとは盟友の、

つまりは、AV男優の長年の仲間のひとりである、

森林原人さんの著書、「偏差値78のAV男優が考える セックス幸福論 」にあるようなことに付随して、

果たして、"幸せなセックス"とはどういうものかであるとか、

"幸せなセックス"をするにはどうすれば良いのかとか、

このあたりを主題と掲げていきたいと思います。

 

これを、自分なりの願望として置き換えると、

"心身ともに深いつながり"を持つにはどうすれば良いのか、

私は、分類上ヘテロ(だと思う、今のところは)なので、

そういう女性と知り合いたいし、そうなりたいなと思って、

そういうところとも結びつけていこうと思っています。

 

森林さんの「セックス幸福論」では、

ページを開けば「セックス」の文字がたくさんあって、

ともすれば"僕"、"あなた"、助詞の"てにをは"くらいに、

相当に連呼しているのが、相当に他の本とは異なることを、

異様な異質さをどこか発揮しながら明らかに示しています。

 

まさにタイトルに偽りなしと、感服する思いでいっぱいです。

 

ちなみに、いっぱいに語感の近い「おっぱい」とは、

授乳時に、お母さんが赤ちゃんに問いかける、

「もうおなかいっぱい?」という問いかけが、

赤ちゃんにとっては「おっぱい」と聞こえる説があって、

生まれて間もなく、耳も発達していない赤ちゃんにとっては、

そう聞こえることもあるのだろうと、納得のする限り。

 

このあたりは、しみけんさんの多種多様な雑学、

通称"しみペディア"が冴え渡ってくるところです。

 

とにもかくにも、ここから考えていくことでは、

しみけんさんや森林さんの著書にあることを土台にして、

セックスとは?みたいなところから掘り下げていこうと思い、

そのベースとなるものをここに挙げておきたいと思います。

 

そして、自分の身に置き換えても、

そうした"幸せなセックス"を体感してみたいし、

"心身ともに深いつながり"を持ちたいので、

なぜそれを追い求めるのかの背景みたいなところも合わせ、

いろいろ出していけるとリアリティーが出る気がします。

 

そうして、しみけんさんの著書では、

AV男優しみけん ~光り輝くクズでありたい

SHIMIKEN’s BEST SEX 最高のセックス集中講義

森林原人さんの著書では、

上記の「セックス幸福論」に加えて、

8000人を抱いたエリート校出身AV男優・森林原人のケーススタディで学ぶ 「人生最高のセックス」でもっと気持ちよくなる

あとは、各種インタビューとかコラムみたいなところで、

良いなと思うことを順次取り上げていきたいと思います。

 

おそらく、言っていることや考えていることは、

そう大きくは逸脱はしていないとは思うので、

もちろん時期ごとや表現の仕方で異なるところはあっても、

多くの、基本のところはそう変わらないと思っています。

 

そして、さっそく余談ではありますが、

なかなか元気が出ないな〜というような気分の時は、

しみけんさんのYouTubeチャンネルの、

しみけんチャンネル」を観れば、

たちまち元気になって、小さな悩みも吹っ飛ぶので、

参考までに、ここに紹介しておきます。

 

 

現在、AV男優は女優の約10,000人に比べて、

プロと呼べるとか、プロとして活動しているのは約70人程度で、

見方次第で、相当に稀有でプロフェッショナルな存在です。

 

しかも、しみけんさんも森林さんもキャリアは約20年くらい、

年間400本以上の作品にずっと出続けているので、

これまで肌を合わせた女性は、今は10,000人に迫る勢いです。

 

ここで少し強調しておきたいのは、

ゲッターズ飯田さんが、手相を見て占うようになって、

5,000人を越えたところから当たるようになって、

10,000人を越えてきたら外れなくなってきた逸話があって、

これは美談で、たくさんやるとわかってくるとなるその一方で、

しみけんさんや森林さんの場合では、

10,000人近くの多くの女性と肌を重ねてきていて、

そうしてタイプ別の性格や傾向みたいなのがわかってきても、

何となく手放しで素直に賞賛できない雰囲気はなぜなのか、

やっていることの是非は当然あるにしても、

わかっていること自体のスゴさはあるような気がします。

 

ここでは、AV業界がどうであるとか、

出演がどうとかの問題は議論の中心ではないので、

大きく紙幅を割いてまで取り上げませんが、

人のなすこと、どうしてもグレーなところはありますので、

そういう公正さは持っていこうと思っています。

 

そういう業界で、長きにわたって活躍している、

それ自体が、相当に説得力を持っているのですが、

このお二方は、うら若き女性のみならず、

時々は、男性とかニューハーフとかの場合もあるし、

年齢にしても、上は70歳くらいまであるそうです。

 

それだけの場数を、身をもって経験していることに加えて、

二人とも博学で、医学的な知識もあるということで、

知識と経験の豊富さは、他に類を見ないほどかと思います。

 

そうして、ひとくちに「セックス」と言うにしても、

考え方ややり方など、多くのいろいろなことを含むので、

できるだけ丁寧に解きほぐしていきたいなと思います。

 

この"ほぐす"というところも、

非常に重要なファクターですので、

できるだけリラックスした状態で、

無理のないように読み進めてもらえたら本望です。

 

そして、セックスとジェンダーの違いもあるし、

ここにフェミニズムを絡めるのは複雑になりそうだし、

初めは慎重に展開していきたいところではあります。

 

また、「セックス」自体、広義な意味合いを持つため、

その時々で、適宜言い換えをしながら、

言葉の持つ意味がそのまま伝わるように、

あまり誤解のないように同じことを思い浮かべるように、

工夫をしながら、やっていきたい気持ちもあります。

 

 

まずは、できるだけわかりやすいところから取り上げて、

人間の三大欲求とは、「食欲、睡眠欲、性欲」とあって、

前の二つは、基本的にはひとりで完結できるもの、

残りの「性欲」に関しては、相手の存在を必要とするものです。

 

それだけに、社会的な生活や、文化的な生活をするために、

欲望を丸出し全開にするわけにはいかないけれども、

丸ごと抑制するのも困難であるという葛藤があるものです。

 

それでも、今回の主題でもあるように、

誰かと肉体的や心理的につながれるというのは、

個人の存在にとって、満たされるのもあるでしょうから、

大いなる可能性を見出していきたいところではあります。

 

これを、少し置き換えて考えてみると、

何でも食べられ、どこでも寝られ、誰とでも仲良くなれる、

そういう資質にも当てはまるような気がして、

グローバルでもある今の世界にとって、

それぞれの能力を高めることは、有利に働く気がします。

 

これは、リスクとデンジャーの差異の話でもあるのですが、

とにかく何らかの危機的な状況になったとしても、

程度の限りはあっても、どこでも生き延びることができるし、

そして、誰とでも仲良くなれるのであれば、

助け/助けられることも多くなっていくことでしょう。

 

こういう時に「ワンピース」のルフィであるとか、

坂本龍馬のような人を思い浮かべてもらえると、

かなり具体性を持って、考えられるような気がします。

 

どこかで、武道的な発想を取り上げようと思うのですが、

そこを取り巻くいろいろなことを考えるにしても、

どうやら坂本龍馬のやっていたことは、

こういうことをかなり知っていたんだろうなと思うし、

だからこそ、歴史的な功績をあげることもできたのだろうと、

密かに思っているので、それも明らかにしていきたいものです。

 

予告的には、リーダーシップの真髄のいくらかが、

こういう発想でたどり着けるような気がしていて、

あとは、実践で試していくのみのところはあります。

 

 

この三大欲求の、特に「性欲」ということに関しては、

もう少し文化的なのか理知的なのかに置き換えると、

恋愛とか結婚とかと関係が出てくるものになります。

 

最近、耳にして明快に言い得ているなと思ったことの、

(たくさんあるのですが、その)ひとつとして、

恋愛と結婚とセックスは異なるというのがありました。

 

これらは、今はひと続きのものであるとか、

同じ枠に収められている傾向がかなり強いのですが、

それぞれ、感情、制度、行為と分類してみれば、

異なるカテゴリーの言葉を用いていることからも、

おそらく感じ取ってもらえると思うのですが、

含む意味合いも異なっているように思います。

 

ここでのセックスとは、性行為ということになるのですが、

現代の日本では、恋愛をして結婚をする、

逆に言えば、結婚をするために恋愛するところもあって、

そういう関係であるから、結婚を前後しながらも、

性行為をして、お互いを知ろうとなっています。

 

これは、近代日本の社会の歩みという観点からでは、

少なくとも1980年代半ばくらいまでは、

お見合いであるとか、両家の親が相手を決めて、

それで結婚に至る場合が多かったように思います。

 

結婚式の当日になって、相手の顔を知る、

結婚をしてから相手の人となりを知るようなこともあって、

その後に"好き"であるような愛情を持つことはあっても、

最初にそれがあるわけでもないことがわかります。

 

日本の伝統的というか封建的な制度のもとで、

もちろん、その是非はあるんでしょうが、

その反動かどうかも定かではありませんが、

欧米の影響も受けつつ、

恋愛をすることによって、

自分の相手は自分で見つける傾向が、

今では多数を占めているように思います。

 

そういうことで、恋愛をする=感情の動きをもって、

それが、結婚という制度にそのまま進んで、

上手に成り立たせている人たちも多くはいますが、

常に恋愛状態になって、交際相手はいる、

しかし、結婚までは話が進まないとか、

恋愛はしていない、交際期間が短くても、

結婚が長く続いているような人もいるのは、

この両者が必ずしも同じでないことに理由がありそうです。

 

そして、ここに性行為ということでのセックスを持ち込むと、

そういう、一度でもお互いの肌を合わせたから、

相手(の心、気持ち)は自分のものと思っても、

行為と感情、行為と制度では、異なる枠組みなので、

相手が同じように思うのが最も好ましいものですが、

そうでない場合も致し方ないというのもあることでしょう。

 

逆に言えば、別のものとしても切り離せるので、

結婚しながらも同じ相手に恋愛感情を持つこともできるし、

あまり推奨はできないので、小声で言いたいのですが、

結婚の相手とは別に、他の相手に恋愛感情を抱くこともあるし、

場合によっては、肌を合わせる=抱くこともできるわけですね。

 

あとは、個人の感覚的に、妙齢の女性の7〜8割は、

行為としてのセックスはできると思いますが、

それをもって、そのまま好きになることはないし、

不謹慎かもしれませんが、頭の中のどこかでは、

別の人を思い浮かべていることもあるかもしれません。

 

行為は行為であるという、同語反復でしかないものですが、

行為によって、感情が引っ張られることもあるし、

そうでないこともある、制度にしても同じようにと、

それぞれを切り離しながら、結びつけるという、

相当に高度にかつ柔軟に考えることができる人か、

説明はほとんど不要で、直感的にわかっている人であれば、

恋愛沙汰で大きな問題を起こしたり、

抱えたりはしないのだろうなと思っています。

 

私は、もちろん前者の考える方ですし、

どちらにしても、そちらの立場を好みます。

 

そして、無事に?結婚にいたったとして、

ドキドキできるのは約2年とも言われていますが、

これはもう生物学的なところで致し方のないなと思います。

 

これはホルモンの分泌や作用によるもので、

それまでは、興奮すると分泌されるドーパミンによるもので、

どちらかというと刺激の強い快感が先行するものですが、

人はやがては刺激に慣れてしまうところがあるために、

ずっとはドキドキはしていられないものです。

 

そうして、相手に寄り添うことで得られる安心だとか、

相手がいることによって自分がいかに幸せかと思うことで、

関係が維持していくことがひとつの望ましいカタチで、

ここでは、セロトニンというホルモンに移っていきます。

 

同じ結婚という形式・形態でありながら、

時間の経過によって、成り立たせる方法が異なるのは、

お互いにいる時間の多さや、理解の深さなどは増すので、

ある意味では、当然のことなのかなと思います。

 

最近はまた離婚が増えているようで、

結婚している場合が少なくなっているのにも関わらず、

およそ3組に1組は離婚しているようです。

これはどういう基準で測定しているのかもありますが、

結婚自体が、全体の8割くらいすると考えてみると、

その3分の1が遅かれ早かれ離婚するのであれば、

独身と言われる人は、全体の半数くらいになるのかどうか、

そう考えると、結構危機的状況でもあります。

 

事実婚や再婚みたいなのも含めると、

多少は変動するでしょうが、

おそらくは、それも良い感じに相殺されて、

大きくは変わらなさそうです。

 

2050年には、日本の人口が9,000万人くらいになるそうで、

制度としての結婚が成り立ちにくいのであれば、

子どもが少なくなるのは、無理のないところです。

行為としてのセックスを、制度と切り離してしまえば、

自然な営みとして、子ども自体はできるとは思いますが、

ここで制度としての結婚を重視するのであれば、

心や生活、その後の子育ての準備ができていないうちは、

そういう子どもはできるだけ少なくした方が、

子どもにとっても不幸なことにはならないと思います。

 

そうすると、結婚をしたい/する人が減ることが、

人口の減少には、かなり直結して影響があることが、

ここから読み取れるのではないでしょうか。

 

 

ここで、行為とセックスを取り上げてみたいのですが、

人間の場合では、生殖、快感、安心の、

3つの目的に分けて考えることができるそうです。

 

子どもを増やすということでは、そのまま生殖になりますが、

最近の、ひとりの女性が生涯に子どもを産むのは、

だいたい平均して1.8人みたいなことなっていて、

そうすると、1〜2人が多いことになっています。

 

本当に、生殖ということだけであれば、

数年に一回とか、数回で済んでしまうので、

これ以外の意味合いがあるのが読み取れる余地があります。

 

これは、イギリスのコンドーム・メーカーである、

「Durex」の2005年あたりの調査結果なのですが、

年間のセックス回数では、1位ギリシャの138回に比べ、

日本は45回で、平均して1週間に1度程度になります。

 

また、相模ゴム工業の調査では、年代関係なく、

平均して1ヶ月に2回程度で、年間は24回になります。

 

これらは、どういう世代とか、調査の仕方とかで、

結果が変わってくるのはあるでしょうが、

生殖だけでないセックスはあるにしても、

諸外国に比べれば少ないということがわかります。

 

これは回数を多くしたから良いものでもないですし、

国や地域による、お国柄みたいな特徴もあるでしょう。

 

日本においては、労働時間の長さが指摘されることもあって、

そういうところまで意識や体力が向かない傾向もあって、

結局は、どう読み取るのかが重要なのかなと思います。

 

1回あたりの内容の濃さやかける時間の要素もありつつ、

それでも、肌を重ねる回数が生殖である場合以上に多いのは、

快楽とか、安心とかによるものなのかなと思います。

 

行為としてのセックスでは、性病の心配もあるし、

女性にとっては、妊娠やそれに伴う体型の変化という、

少なくないリスクもあるし、心への影響も当然あるので、

避妊にまつわるようなところでも、十分に注意は必要です。

 

そうして、快楽を求めるのも良いのですが、

そこでは、刺激の強さみたいなところが強調され、

まさにプレイとしての側面が強くなりそうなので、

ひとまずは安心について考えていきたいと思います。

 

安心というのは、根源的には孤独の克服であるという、

そういう埋めがたいものを埋める行為という考え方もあって、

自分がひとりでないということを、行為をもって知り、

場合によっては、生きていて良かったという感情を持って、

それが、生きる希望となり得ることもあるそうです。

 

肉体的につながることが、精神的にもつながるという、

相関関係があることが感じ取れそうではあります。

 

ここでは、ひとつ"幸せなセックス"とか、

"心身ともに深いつながり"を持つヒントがあるようで、

しかも、こういう感情が湧き上がることに憧れを思います。

 

これはまた、自分ばかりが快感や満足を得るばかりでなく、

相手にとってもそうであるということが大切で、

コミュニケーションということで言うのであれば、

自分のしたことや言ったことが、相手にとってどうなのかが、

ひとつの答えであると考えられています。

 

これは、セックスに限らず、人との付き合いの中で、

自分ばかりが得をしようと思っているのでは、

相手からの反応は良くないのは当然ですが、

もしも相手のことを思って、いろいろやってみた結果、

返ってくる反応で最上級とされるものは、

「気持ち良かった」とか、「良かった」ということでなく、

どうやら「ありがとう」になるということです。

 

これは他の場合で考えてもそうであるようで、

それだけ、相手が欲しいと思う状態なのか、

あるいは、モノとかサービスとかになるのかはありますが、

相手の欲しいものがほとんど完全に満たされる時には、

「ありがとう」となるわけですから、次には引いて考えてみて、

自分は何をするのが最も良いのだろうとなるわけですね。

 

結構、独りよがりの人は、周囲の人からは、

「マスターベーション」だとか「オナニー野郎」だと言われ、

どちらかと言えば、自己満足の世界に浸っていますが、

まさに、先にセックスにおいてそうであるのは、

他のことでもあてはまるのだなとしみじみ思っています。

 

もしも自分が得たいものがあるのであれば、

まずは相手のことを思いやっていくというのが、

ここでは、ひとつ強調しておきたいところです。

 

そして、多くの「ありがとう」を集めることが、

自分にとっても、とても有利・有効なのは、

そういう理由からも言うことができそうです。

 

 

<その2>に続く…。

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