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傍島康始|ブログ

Category: DAILY LIFE (page 2 of 94)

伝えることの懊悩

 

決して「伝えることを諦める」のではなく、十全に伝えようと思っても、伝わりきらない(であろう)ことはあるなと思います。

それは、こちらの言葉や修辞の不足によるものではなく、話す人と聞く人とのお互いに、何らか共通する体験なり、知識なりがないことには、"腑に落ちる"ようなことがない類なのかなと思います。

知識や知見として知っていることと、自らの身体や存在を通して体験していることでは、大きな差異や隔たりがあることは想像に難くないのでしょうか。

自分においても、そういう"伝えたいけれど、(きっと)伝わらないであろうこと"はあって、普段話す機会もそのつもりもないので、特に取り沙汰しないものです。

さらりとほのめかすことはするかもしれませんが、多少パーソナルなことであるし、そういう大切に扱いたい記憶や体験は、よほどのことでないと自分ですら全容はつかめないかもしれません。

他のことでも、リアルタイムで過ごしていることが、年数を経るごとに重要であるように思う気もしますが、それでも個人それぞれ、まさしく固有のものであるから、一把ひとからげにもできないものでもあるのでしょう。

そういうものは、自分の胸中に抱いて、そっと暖めておけば良いでしょうし、心の中のフォルダの奥の方とか、何段重ねかの下の方とかにしまっておけば良いだけのことです。

裏表はないけれど、二重底、三重底みたいな構造になってしまうのは、どうにも免れ得ないことのように思います。

何かの折には、噴出するようにして外に出すかもしれませんが、いかなる反応なのかはあにはからんや、いずれにしても予測はつきにくいものであるでしょう。

また、世の中の物事のどれくらいかは定かではありませんが、普段の会話では登場することのない/なさそうなことは、それ相応に多い気がします。

ビジネスにまつわるものとか、人間の涵養・人格陶冶については、会話の俎上にはのぼりにくい、しかし、必要かどうかでは多くの人に当てはまるものでしょう。

今後は、個人的な思いとしては、知らなくても特に困らないようなものでも、できるだけ多く、自分の中に溜め込んでいきたいなと思っています。

何かに役立てるためということではなくて、いつか役に立つこともあるだろうと、あるいは、種々の体験を含む知識や知見は自分の身に備えることができるのだから、やらないよりかはやった方が良いわけです。

言葉だけでどれだけ伝えることができるのか、その限界を押し広げる意味においても、何につけ書きつけていくというのは同様にして実践していきたいことのひとつです☆

 

 

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適切な距離の測り方

 

"距離の測り方"と言っても、度量衡の問題でもなく、計測の問題でもないような事柄があります。

ひとつには、物理的な何メールみたいな距離が、心で感じる距離と重ねて考えられるということがあります。

近いから良いというものでもないし、離れているからもっと近づいた方が良いというものでもありません。

ここでは、「近いこと」自体が正解なのではなく、近い方が良いと考えている人が多いという、単純にそういうことのような気がします。

野球で言えば、外野席で観るのか、あるいはバックネットで至近距離から観るのかの違いのようなものでしょうか。

または、好きが昂じて、自分自身がプレーヤーとしてグラウンドに立っても良いわけで、そのどこにいるかで見える景色が変わり、どれを選ぶかで楽しみ方が変わるというだけのことです。

もちろん、テレビで観たり、翌日のニュースで結果を知ったりするのも良いかもしれません。

また、スタンディングの音楽ライブやフェスティバルにおいても、前の方に行くか後ろでじっくり観るかは個人の裁量に任せられているところなので、必ずしも最前列だから偉いということはないのです。

野球の例と同様に、ステージに立つ側になっても良いし、運営を受け持つ役割に準じるという発想も同時にあるわけです。

どれも、そこでしか味わえない体験や感覚があるわけで、自分が満足できるのがどのあたりかというのを、具体的な距離でもって判断しておくというのが良いように思います。

それ以外というか、こういう考え方を「人との関わり」において置き換えてみると、また別の感慨を抱くかもしれません。

何かの対象において、もしも腑に落ちる部分が少しでもあれば、人間関係においても援用するのが良いのではないか、そんな風にも思うものです。

たとえば、誰かのことを気に入るとか好意を抱く時には、より近くで直接言葉や視線を交わしたいという思いに駆られるものです。

そこで、友人としてなのか恋人としてなのか、あるいは、知り合いくらいなのかなど、どういう関わり方をしていくかは、お互いの持っている距離感とどうしていきたいかの意思に従っていくと考えられます。

恋人としては関係が至極良好に進んでいたけれど、結婚するとなると近すぎて何だかギクシャクしてしまったような事例が時にあるのは、そういう距離感の発想である程度は判明することなのかなと思います。

これについては、広げて考えていくと多く知るところがありそうなので、日頃から念頭に置いて、より多くのことに気づいていけたら良いなと思います☆

 

 

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雨のしとしと降る

 

梅雨の季節、雨のしとしと降る日が続くようで、実際には終日とか数日に渡ってとか"降りっぱなし"みたいなことはほとんどありません。

また、どれくらいの間隔や頻度かは定かではありませんが、晴れ間ののぞくような日もあって、そんな日は天気の良さそれゆえに、とても過ごしやすいなと思うわけです。

より大きな視点で、地球の環境の変化を見れば、このタイミングでまとまった雨が降らないというのは、だいぶ深刻な問題であるように思います。

しかも、今は梅雨のはじまりそのものが遅くなり、いつはじまったのか、そして、いつ終わったのかが定かでないくらいに、あまり梅雨らしくない季節が何年も続いています。

雨自体、特に忌み嫌うようなものでなく、傘を持参する必要があったり、服や持ち物が濡れないように気をつけたりと、普段より手間や気配りがあるものの、花や植物に水分が行き渡り、作物にとっても立派に実るためには過剰でない程度に"多い"ことが望まれます。

髪がまとまりにくいとか、広がってしまうというのも雨の日ならではのことなのかもしれませんが、それでも、もしかしたら傘に思いを馳せ、傘にまつわる物語を思いついたり、歌の歌詞の題材(テーマ)となるかもしれません。

また、晴れの日には気がつかないようなことを、雨の日には異なる感覚になって、何かを知り得るかもしれません。

どちらかというと機会の少ない(気のする)雨振りの時々に、普段の日には考えないようなこと、それでも、その人自身にとっては何か大切なことが浮かんでくるということもあるでしょう。

日ごとに気温や空模様が大きな幅で変化していくので、それに対応して、長袖にするのか半袖にするのかは悩ましいし、より調節できるように着るものや着替えなどの用意も大切になってきます。

そういう、日によって気温や湿度の変化は大きいとも言える季節ですが、とびきり暑いわけでも寒いわけでもなく、意外と過ごしやすいのが今の季節と言うこともできるなと思っています。

長袖を羽織りながら脱ぎ着して、半袖になるも良いし、そのままでも良く、調節することをさほど苦と考えなければ、着たいものを着るということを積極的に楽しめるような気がします。

雨の降る/降らない、暑い/涼しいみたいなのをチェックしながら、それをもって一日ごとを充実していけたら良いなと思います☆

 

 

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