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傍島康始|ブログ

Category: DAILY LIFE (page 2 of 106)

名盤たる所以

 

いつも何かしらの音楽を聴いている身においては、時にはCDアルバムにまつわる話もしたくなるものです。

このところ、これまでのある時期において頻繁に聴いていたものを、引っ張り出すようにしてチェックし直しています。

ある一時期よく聴いていただけあって、今聴いてもなお、その魅力は目減りすることはなく、こちらの耳に胸にと飛び込んできます。

単に懐かしいということでなくて、いつ聴いても同じように興味を惹きつけるといった具合でしょうか、何度も聴いていた・聴きたくなっていたのが今でもほとんど変わらないわけです。

これは、ひとつひとつの楽曲の場合もありますが、この世には語り継がれるべき"名盤"というものがあって、個人においてもいくらかあるものです。

たとえば、"名盤"ということでは、どういう理由や背景があってそういうことになるのか、多くの事例と場合があるとはいえ、個人において何か共通するものはあるのだろうかと、それを考えてみたいと思います。

自分自身は、基本的には、できるだけ10曲とかそこらのまとまりとしてのアルバムを優先して聴いていきたいと思っています。

また、新作ということにおいては、世に出たタイミングということだけでなく、自分が手に取ったというタイミングがあって、あくまで自分にとって新しいかどうかが大切になってきます。

そのひとつで言えば、DREAM  THEATERの『METROPOLIS:SCENES FROM A MEMORY』が挙げられますが、これは発表してから数年後になって、デモ盤やライブ盤も合わせて念入りにチェックしています。

今から思えば、その数年の隔たりはそこまで大きいものでないので、まさしくリアルタイムではないけれど、決して遅いということでもないような気がします。

リアルタイムということでは、FAKE?の『THE ART OF LOSING TOUCH』や矢野真紀(当時)さんの『いい風』があります。

こうして挙げているうちに思い浮かんでくることといえば、自分自身の生活や心境の、どちらかというと大きな変化の渦中にいた時期にチェックしていることになっています。

はなはだ簡単ではありますが、自分にとっての"名盤"とは、自分自身への応援とか追い風とか、踏ん張るべき時期に出会っているということが、ひとつの理由や背景として考えられるように思います。

もちろん、作品自体の魅力や完成度の高さはあるにしても、そういうものと呼応するには、こちらの状況も左右している、あるいは、そういうことも言えるのかもしれません。

そして、これからも自分自身を鼓舞していく限り、新たな"名盤"にも出会っていくのでしょう、それが楽しみで仕方がありません☆

 

 

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かつての名残り

 

このところ、当たり前のことと言えば当たり前の、そういうことを改めて思っていました。

そのひとつとして、かつての同級生が、どこかの空の下、同じ年齢でそれを重ねているということ。

もう会わなくなってかなり久しいけれど、今の自分の年齢がいくつになっている一方、あの人は一体いくつになる?

それは、特に高校までのことであれば、だいたい同じ年齢になるはずなので、一年を通して考えてみるまでもなく、少なくとも同年代であることは言えるでしょう。

それぞれに歩む歩み方は異なるだろうけれど、同じ年齢で日々を送っていることを思うと、自分にとってもそういう歩み方があったのかとふと考えることにもつながってくるものです。

相通じるところもあるけれど、異なるところも多くあるわけで、似て非なることの不思議さをそれとなく思うものです。

今のところ、そんな彼ら・彼女らと再会したところでどうにもならないだろうけれど、そっと無病息災であれと願う、それくらいはできるものだなと思っていますし、そういう思いは持っていたいものです。

それでも、何があるのかわからない、思っている以上に"良いこと"も起こるのがこの世のひとつの真理であるので、思わぬところでばったりと会うこともあるでしょう。

それはその時になってみれば考えれば良いことで、一旦は脇に置いておけば良いように思います。

あるいは、「縁」とか「友だち」とかは、お互いの普段の心がけや態度からはじまっていくものです。

出会いはちょっとした偶然なのかもしれないけれど、それを偶然に留めるだけでなく、次につなげるとか、長く関わるとかしないことには何にもなることはないかもしれません。

具体的には、電話番号にはじまる連絡先を知らないことには、約束を取りつけることもできないものですから、気持ちのところとは切り離して行うべきことになります。

最近では、FacebookやInstagramなど、"実名・顔出し"のメディアもあるので、そこから連絡を取るということも考えられます。

出会ってすぐに意気投合することもありますが、ある程度の年数を経ないとわからないこともあるものです。

そして、こういうものは自分で力んで成り立たせるようなものでなくて、紙飛行機のそっと風に乗るようなのがひとつのコツでもあって、つながる時にはつながるし、そうでない時にはそうであるくらいに構えておくと良いように思います。

時には、積極的にドアをノックする、そういうことも必要な場面はあるものです☆

 

 

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遠く伝わるもの

 

普段あまり読んでいる本について取り上げたり、内容を紹介したりするようなことはほとんどしないのだけれど、今読んでいる本が面白くて、それは真っ先に言っておきたいことになります。

長らく読みたいなと思っていたものだけに、その感動も相まっているというのもあるのかもしれません。

詳しくは、また長い文章にて表すかと思いますが、序盤のところでは古くより伝わる口述伝承の類を引き合いにして展開されています。

それも、どちらかというと都会から離れた田舎の方の、しかも山奥の地域で伝わっているようなことも多く、今の自分たちからすれば奇異に映るかもしれない内容かもしれません。

お年寄りの昔話と言ってしまえばそれまでのものかもしれませんし、具体的な教訓を含むならまだしも、少しばかりかいくらかのファンタジー要素もあれば、荒唐無稽だなんて思うのも避けられないところです。

しかし、感覚や価値判断に関する戒めとして、"新しいもの=良い、古いもの=良くない"というような傾向や風潮がありますが、場合によっては単に古いということでなく、かえって人間にとって本質的なことが含まれていることもあるでしょう。

長く伝わっているにはそれだけの理由や背景があるのだろうし、今の自分たちの見ているモノの見方が絶対に正しいというのは決して言えないだろうと思うからです。

時代の流れもあるでしょうし、身近な人たちとの関わりもあるでしょう、何となくの傾向や風潮のバイアスはかかってしまうでしょう。

それらはどうにも免れ得ないところです。

西暦の2000年あたりでは、スティック型から折りたたみ式のケータイ電話が"旬"であったにも関わらず、今では画面をフリックするのが当たり前になってきているように、10年かそこらの時間を隔てているだけでも、随分と様子が異なってきていることはわかるでしょう。

また、時代の今昔ということに加えて、これが海外と比較してみるのも興味深く、ゴハンを食べるのに箸でなく、手づかみで食べるとか、必ずスプーンとフォークだみたいなことだってあるわけです。

今のこの場所ではそうなのだということを踏まえながら、それだけに留まるわけではないということを知る必要があるものです。

そのためには、多く書物を読むこともそうですし、旅行によって多くの土地を訪れるということが大切になってきます。

いろいろ思いを馳せながら、先人の知恵を知っていく、もしもそれが有用だと思うのならば大いに取り入れていきたいものです☆

 

 

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