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傍島康始|ブログ

Category: DAILY LIFE (page 2 of 118)

継続は力なりけれど

 

「継続は力なり」と言うけれど、何事も、単純に続けば良いというものでもない気がします。

同じことを愚直にやる必要があったり、愚直に続けるしかなかったり、そういう続けることでしか達成しないようなことは多くあるものです。

続けることで見えてくることやわかってくることも当然多くあるはずです。

それでも、額面通りにこの言葉を受け止めているようでは、時に危ういなと思うようなことも散見するわけです。

結構、これは人の集まりにおいて思うのですが、会社の創業期や何かの運動の立ち上げ期では、何か目標や目的を果たすためにメンバーが少しずつ集まってくるわけです。

そこで熱い思いをぶつけ合い、数々の試練に耐えていくうちに、人の集まりが強固になってきます。

人が集まるから何かがあるのではなく、何かを起こすために人が集まってくると、そのように言うこともできるでしょう。

あるいは、それが続くようにとばかり、内実が維持する方向に向かってしまっては、あとは衰微する一方のような気がします。

それが惰性であっては好ましくないもので、そこでは、人が集まること自体がかなっていれば良いのかもしれません。

しかし、物事は不思議なもので、そういうところには多く人が集まらないものです。

コマも回っているから安定するようなところがあるけれど、回り続けるためには新たに回すとか、より回るように力を加えないと、次第に回転が弱まってしまうものです。

時間がどんどん過ぎていき、決して戻ることがないように、あくまで進んでいくしか解決がないようにも思います。

そうしないと人の多くが引きつけられないという側面もあるでしょう。

その時々でやっていることや取り組んでいくことが多少なりとも変わろうとも、これは変わっていくしかないものですが、それでこそ活発さが生じてくるものです。

行動もそうですし、場所としてもずっと同じところにはいられないものですから、いつも動き続けるということが、実は根底ではずっと続いているというようなことになるのでしょう。

移動する距離が長いとか遠いとか、多く動き回っていることが活躍の度合いや必要とされている様子を測れるとする考えもあるくらいですから、そういう尺度を取り入れるのも良いのかもしれません。

このあたりの因果や前後を、巧みに入れ替えつつ、何を持って充実とするのかをいつも考えていきたいものです☆

 

 

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裏返して考えてみる

 

コンビニエンス・ストア(いわゆる、コンビニ)を利用していて、店員のレジ対応を見ていると、一日に多くの会計を済まさないといけないせいか、「ありがとうございます」、「またお越しくださいませ」の言い回しがおざなりになっていることが多いです。

「ありやしたー」、「また*@☆!$ませー」のように、聞き取れないし、何言っているのかという場合もあって、自然とそうなってしまうものなのかと思うわけです。

しかし、よく考えてみて、ひとつの発想の転換を行なってみると、一回ごとの会計の総額はそう高くない、多くのお客さまがあって成り立つシステムになっているのが現状です。

これが、もしも「ありがとうございます」がきちんと言えるのであれば、たとえ総額は数万円単位にならないとしても、また利用してもらえる、誰かと一緒に来るようなことにつながるかもしれません。

自分においても、対応が気持ち良いものであれば「また来よう」とシンプルに思うものですから、先にそういう姿勢や心構えをわかりやすく見せておくのは必要かもしれません。

そして、働いている店員個人において、キレイに「ありがとうございます」が言えないから、会計の総額の安い、多くのお客さまに来てもらう仕事に就いているのかもと思うものです。

業態云々もあるでしょうが、慌ただしい、繁雑なことに自らを引き入れていると思えば、また別の発想や行動を取ることができそうです。

ひとつの仮説として、収入が取れている、良い仕事ぶりをしている人は、極上の「ありがとうございます」が言えているのかもしれないというのを、いささか物静かに提案したい次第です。

たとえ多くのお金に直結しないようなことでも、人望がある、慕われるように、周りの人から引き立てられるとか、親切にされるとかがあるかもしれません。

松岡修造さんの言うには、浅田真央さんの「ありがとう」がとても良い印象のものだとあるので、確かに浅田真央さんが気になる、応援したくなるという点で納得のいく考えと言えるでしょう。

これにも他の要素が含まれ、清潔感がある、笑顔がステキだということはあって、そうでない人やお店には近寄ることがないものです。

普段の生活においても、自分自身が楽しい気分でいれば何事も楽しめるわけで、少しずつでも実践していくのが良いと思います☆

 

 

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不思議なもので

 

もしも自分のことに興味を持ってもらいたかったら、話す相手のことを先に聞くのが良いでしょう。

こうやっていろいろ聞いてくるこの人はどんな人なのだろう、そう思えば、何かと聞き返すことも出てくるように思います。

逐次聞かれたら答えるというのも誠実なもので、おおむね良いとは思いますが、そこで聞き返さないというのは、あーこちらには興味がないんだなと受け取ることになります。

「私を見て」、「私の話を聞いて」と引き込むばかりで出てこない、それだとこちらの興味が失せてしまうものです。

それは私でなくて、他の誰かでも良いでしょうし、本当に誰でも良いのかもしれません。

そして、どれだけ思うかの差はあるかもしれませんが、誰でも良いという向きで思っていると、誰も現れないということになります。

投げかけたものが返ってくるし、思っていることがそうなっていくような気がします。

このあたりの「あなた・私」の力学といいますか、関係におけるあれこれを知っていないと、仲良くなることもないでしょうし、知り合うことも難しいのかもしれません。

あと、先日の投稿でも少し触れているようなことで、自分はこうである、自分の主張を貫くとか、正しさを主張することもあるでしょうが、これは一時の言い合いでは優位に立とうとも、後になってみればそうでないということもあるでしょう。

相手の言い分を聞かないというのでは、言っても仕方ないと思ってしまい、ついぞ自分の意見も聞いてもらえないことにもつながってきます。

それに、こうすると良いのかなと率直に思うようなことでも、言わないでも良いかと済ませるようにも思ってしまいます。

そうなると、もしも状況が異なればこちらの方向に進んでいたことなのに、実は別の方向に向いていたということになって、そうすれば次に起こる事態・事柄もまた変容していくものです。

それが、より望ましい方向、よりステキな方向に延びていくのであれば好ましいものですが、損なわれる方向や取りこぼしの多い方向ではどうにも目も当てられません。

なかなか自分のことがわかるようでわからないし、見えないところも多いもの、その時々振り返って点検をしてみる、そういう殊勝な姿勢や態度が必要だなと思います。

出会う人や向き合う人は自分の鏡、自分においてはどうなのか、少しでも知っていくのが良いように思います☆

 

 

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