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傍島康始|ブログ

Category: DAILY LIFE (page 1 of 146)

何を投げかける

 

自分の主観、自分の頭で考えながら自分の目で見ていると、目に映るもの、視界に入ってくるものに対してあれこれ意見を持ったり、注文をつけたくなったりすることでしょう。

これについて、もっと考えや思いを広げていかないと、どうして、自分の身の回りは今のようであるのか、時として不平や不満につながっていくかもしれません。

これは、知ってか知らずか自分の見たいように物事を見ているし、場合によっては、自分の望むものがただ目の前に現れているということが言えるわけです。

もう少しシンプルに考えてみると、楽しそうにしている人は楽しそうにしているがゆえに、何を見ても楽しい、何をしていても楽しいことになっています。

その"楽しい"という状態に行こうとして、実際にはその中にいるからさらに"楽しい"ことが訪れるということになっていきます。

また、"楽しい"こととは、それは自分の主観でとらえるもののため、決して数値で測れるようなものでなく、そう思えばそうであるとしか言えない気がします。

少なくとも自分にとって楽しいと思うとか、楽しいとしか思わないようにすることで、誰と比較することもないし、他のこととの優劣を見ても仕方がないものです。

これと前後するようにして、自分が楽しい方向かそうでない方向か見ていると同時に、どういう状況に自分自身が囲まれているかを知ることも大切かもしれません。

これも、自分が何を思うかに関係してくるし、それは何を思っているから実際がどうなっているかに関わってくるわけです。

もしも自分の身の回りであまり変化がないようであれば、それはあなた自身が何も変えようとしていないのではないか、変化をもたらすようなことを何もしていないと考えていくべきではないでしょうか。

何も思わないようであっても、きっと身の回りのことも時間の過ぎ方も、随分と平坦なままで成り立っているのでしょう。

中立的というか、ただ物事はあるだけですし、時間もただ同じように刻んでいるだけのように思います。

これは、あくまで自分自身がどのようにして、この今に関わっていくのか、その心構えや態度を含む姿勢ということになるのでしょう。

何を望むのかはあなた次第、そして、どのようにしていきたいのか行動につなげるのもあなた次第、つまりはそういうことなのかもしれません☆

 

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それぞれの戦い方

 

チーム戦と言いますか、複数人で組んで戦うような場合、単純に人が多くいれば良いわけではなく、役割とか得意を発揮するとか、それぞれがどうすれば良いのかを知らないといけないものです。

それでも必要な人数はあるもので、十分に足りていないところで一体何ができようかという問題があります。

これを、サッカーの場合で考えてみると、「よし、勝つぞ」と景気良く意気込んだところで、11人でやるべきところを7〜8人で勝負に挑むのは、試合前にして無謀であるとか、勝つ気をゴッソリ削がれるということになります。

わざわざ負けようとは思わないけれど、どうにも勝つ見込みもないというのは、どうにも気の滅入る自体で、少なくとも人数は揃えておこうよと進言したいものです。

だからといって、同じスポーツだからといって野球経験者を3〜4人連れてきたところで、普段の練習も連携もないところで、どうにもかみ合わないということになってしまいます。

また、「とにかく元気に走ろう」ぐらいの作戦では、走る距離は伸びるけれども、果たして得点に結びつくような動きはできているのか、守備に間に合うようになっているのかは不案内になるところです。

この事実に対して、それがどれほど深刻なのかの真意を汲み取れていない場合、試合には出場するけれど勝ち進むことはない、それを繰り返すことになるはずです。

いたずらに疲弊するばかりで、何のためにかとも思ってしまいます。

不満や不平を言うのではなく、実際そうですよと言うだけなのですが、これを監督やコーチがいまいち把握していないようでは、チームに勝利がもたらされるのはうんと遠い日のことになるでしょう。

試合に出場できれば良い、参加することに意義があるといったところで、何の価値を得ることもなければ、人は離れるばかり、チーム自体の存亡の危機ということにもなりかねません。

何かにたとえると、かえって実際に何が起こっているのかもわかりやすくなるものですが、こういうのは避けて通るようなもの、次第に距離を置きたくなるものです。

移籍するもよし、名門チームのトライアウトを受けるでもよし、しっかりと戦えるチームであるとか、勝利の喜びをかみしめられるようなチームにいたいと思うのは当然ではないでしょうか。

こういうのを契機として、より良くなるように自分自身を導いていきたいものです☆

 

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類型をどう思うか

 

普段、自分なりの生活をしていると、同じようなパターンで寝起きし、そしてまた行動を繰り返しているものです。

もちろん、毎日が同じではなくて、そこかしこに小さな変化はあるものですが、おおむねは同じというのはあるでしょう。

それ自体何か問題があるわけでもないのですが、そういうパターンのうちに自分がいるということは、それとなく知っておくのが良いと言えそうです。

無論、そのパターンだから(寝坊や遅刻なしに)できていることもあるし、「継続は力なり」ということで、次第に深まりや広がりを持つこともあると思います。

その一方では、それゆえにできていないこと、やろうと思っていても機が熟さないようなこともあって、何かを得ていれば何かを手放しているということになります。

平日休みか土日休みか、またはお盆や正月に休めるのかどうか、または、働いている時間というのも、人によって異なるものです。

もしも何かを変えたい、生活のパターン自体を大きく変えるということもあるでしょうし、目に見えずとも感覚や気分の場合もあるでしょう。

自分で工夫して、いつもはお昼ご飯にはゴハンの定食が多いけれど、今日はサンドイッチにしてみようということはできますし、思いもよらぬということでは、誰かから誘われたら出かけてみるとか、一緒に何かをしてみるというのが良いとなるわけです。

たとえば、今の自分ではビリヤードをやろう、乗馬をしてみようと思っていないし、思っていないからやろうともしていないし、どこでできるのかも良くわかっていません。

これを、もしもそういう機会があるのなら、好きかどうかは関係なくて、実際にやってみるというのが何らか刺激になるはずで好ましいものです。

それによって、また新しい感覚や気分を味わえるでしょうし、そこにいる人たちと知り合って、それがまた新しい何かを知るきっかけになるかもしれません。

これもひとつのパターンができあがっていくことになるでしょうが、単に「同じようなパターン」という場合にも、"変わり続けること"を続けていくのであれば、これはいつも変化をもたらしていることになって、決して滞ることはないものです。

少なくとも自分が楽しくなるように、そして、周りも楽しくなるような、ステキなパターンのうちにいたいものです☆

 

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