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傍島康始|ブログ

Category: DAILY LIFE (page 1 of 207)

上を見上げるように

 

何かに取り組む時に、足元の一歩一歩を着実に踏み出していくことも大切なことですが、それと同時に、果たしてどこに向かっているのか、そういう行き先をしっかり定めておくことも大切であるように思います。

ただ歩いているだけでは、どこに向かっているかわからないし、どこまで行っても限りのないことになってしまいます。

東京から歩いて北海道は札幌までとか、九州全体をぐるり一周するとか、ひとつの目安があって、それに取り組むといった具合です。

これは移動に限ったことだけでなく、普段の取り組みにおいても同様で、規模は大きく、目標も高いところに設定しておくのが良さそうです。

つまりどういうことかというと、バンドを組んだからには全国ツアーができるようにとか、日本武道館を満員にしてやるぞ、あるいは、アメリカのメジャーリーグを目指すからには、日本のプロ野球や大学野球でも目立つ活躍をしておくぞというようなことです。

もちろん、楽器を演奏して音を出すのが楽しい、キャッチボールやバットの素振りをして汗をかくのが楽しいと、それで十分に良いというとらえ方があるのも否めません。

その一方で、規模の大きい、高い目標を抱くことによって、より一層練習に打ち込むことができたり、周りにも吹聴していまったために、しっかりやらないと面目が立たなかったりする状況をつくることができます。

過度のプレッシャーがかかってしまっては、かえって萎縮してしまうものですが、思わず武者震いするような取り組みがいのある状況では、良い感じで身も心も引き締まるような気がします。

適度に自分を追い込んでいくことによって、その緊張感が目の輝きや雰囲気の良さにも現れるでしょうし、その本気に思う度合いによって、きっと周囲の人が次第に応援してくれるようになることでしょう。

そうなると、このまま懸命に取り組んでいくことで、自分の目指していることに近づく、はたまた見事に達成するということもあるかもしれません。

最終的に手が届くがどうかわからないくらい、または、小さくても次々と達成していくような、自分にとって少し無理なくらいを目標として掲げておくのが良いように思います。

このまま進んでどこまで行けるのか、そういう発想があることで日々に潤いが生まれることでしょう☆

 

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思わぬところに突破口

 

たとえば、仕事で成功するとか、多くの人に知られるような意味合いで、世に出るにあたり、何をするのが最も効果があるのかについて考えを巡らすことがあります。

歌手の人が、激しいロック調のバンド・スタイルでヒット曲を出すぜと思ったら、しっとりとしたバラードが受け入れられたとか、役者で主役を取ろうと思っていたら、落語家のような噺家がしっくりきてしまったというようなことです。

これは、自分のやりたいことと、ファンであるお客さまの求めるものが異なっていたり、自分の持ち味が自分のやりたいことではないところにあったりするなど、いくつかの要因が考えられます。

お笑いコンビがネタ披露している時に、思わず叫んだひと言が、その人の決めゼリフになるということも多くあるものです。

こういう、どこにチャンスがあって、どうやって突き抜けるのかについて、必死になってやるとか、日頃の練習を怠らないということはもちろんのこと、何がキッカケになるのかは、思いついたことを片っ端からすべて試すしか、わかる方法はないような気がします。

そうやって、自分の進もうと思っていた方向や、やりたいと思っていたこととピッタリ合致することもあれば、近からず遠からずのような、どちらとも言えないこともあるでしょう。

こういうことの何をやるかは別として、思いを浮かべながら何とはなしに考えていくと、自分の芸名やバンドの名前、コンビの名前をどうすると強い印象を残せるか、あるいは、自分(たち)の特徴を表しているのか、想像を巡らすのが楽しくなってくるのはあります。

もしも音楽やお笑い、各種アートなど、何かしらの表現を志すのであれば、無名なままであるよりかは多少知られるように、ヒットしないよりかはヒットする方が、活動においても有益であるように思います。

また、名乗る名前にしても、「初代・蓮華法院時貞」みたいな名前の方が、ただの「次郎吉」より華美で派手ですし、主役や大御所っぽい雰囲気を出せるもので、願うことなら名実ともにそうなりたいとも思うことでしょう。

ただ、そこでは、自分のキャラクターとしては「まりもあんぱん」という名前が合っているとか、多くの人がしっかり覚えてもらうのに良いみたいなこともあって、クールな二枚目とはほど遠いぜーと嘆息してしまうかもしれません。

それでも、それで仕事が続くとか、さらに良い活動の機会が増えるようであれば、それもまた良いとして受け止められたら良いなと思います☆

 

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手に取るものは変わる

 

自分が10代の頃に憧れたものや良いなと思ったものが、年齢を多く重ねていくと、何らか様相が変わることがあります。

たとえば、スポーツ選手で長く活躍する人もいるにはいますが、野球やサッカーのチームで見てみても、10年、20年のうちに、運営会社が変わって名前が変わるとか、いくつかのチームが統合するようなことがあります。

それは、ファッションの流行ということでも同じようなことが言えるかもしれません。

今はどちらかというと服をピッタリと、あるいは、タイトめに着るというのが主流のような気がしますが、自分が中学〜高校に通っていたあたり、今から20年くらい前にはダボッとしたオーバーサイズのものを着るのが目立っていました。

そういうブランドやメーカーにも目を向けながら、いずれ自分も身につけるようでありたい、ぜひとも手に入れたいものだと(少しは)思いながら、しかし、今になってみれば、自分の気持ちも、巷の流行ということからも、「どうも今じゃない」という気もするものです。

面白い人が、以前であれば漫才師とかお笑い芸人を目指していたものが、最近ではYouTubeやTikTokなどから出てくるように、やっていることの本質は変わらずとも、いつの間にか主戦場が変わっていることがあります。

そういう、見かけでのあれこれに目を向けてばかりいると、どこか見誤ってしまうこともあるかもしれません。

ここで大切なのは、自分の憧れや良いと思うことの本質をとらえ、それを今の状況に照らし合わせるということのように思います。

今の時代にとっては何がそれに当たるものか、新しい動きや流行を見つける以外には、むしろ、自分たちで新しいものを創造していくようなことがあっても良さそうです。

極端に言えば、今から「サムライ」のように生きると言って、刀を振り回してはただの危険な人物と思われてしまうように、たとえば幕末に活躍した人のようになりたいのであれば、今は、何を学んだり、会得したりすべきなのかは変わってくるはずです。

それが、英語を学ぶことなのか、日本中を旅することなのか、料理を学ぶことなのか、見かけでのやっていることは多岐に渡る、そういうこともあるかもしれません。

たとえ、どのような技術や知識をこの手に得るとしても、瞳の奥のギラつきを見れば、それが「サムライ」の真髄を湛えているかもしれない、そういう人を見極められるようになっていきたいし、自分もそうでありたいものです☆

 

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