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傍島康始|ブログ

Author: Sobajima Yasushi (page 2 of 211)

荒削りで構わない

 

どんなことにおいても、物事の道理をわかっているに越したことはありませんが、わからないがゆえに生ずる勢いとか、得も言われぬ勢いというのも、他に代えがたいものかもしれません。

年齢を重ねるにつれて、相応の分別がついたり、目にするものの仕組みや成り立ちがわかったりしてくるものですが、それゆえに、もっと知りたいとか、もっと上手になりたいというような衝動が生まれにくくなることもありそうです。

言い換えれば、その道の専門でやるとか、追求するということとは少し異なる、やってみて楽しいかどうかを大切にしても良いということです。

やるからにはプロのミュージシャンを目指さなければいけないということでなく、ギターの音色や楽曲のコード進行に心奪われてみるとか、プロ野球の選手にならなくてはいけないということでなく、キャッチボールやバットの素振りを繰り返すのでも良い気がします。

そこでは、五感を働かせることやカラダを動かすことの喜びを見出すようなことで、目に見える成果や行動とは別種の理解、時には感動があるように思うものです。

これが、気になる人との会食やデートなどでもそうで、必ず友人関係や恋人関係に結びつけなければいけないということでなく、その時々での、いろいろな人との会話や交流を楽しむということであっても構わないでしょう。

自分のやったことがあるかどうかに関わらず、変に知った顔するよりかは、わからないことにどんどん身を投じて、そうしてもがいてみるのが良さそうです。

こういう発想を持っていくと、意外と億劫に思っていることの遠因が、最初から頭で考えすぎということもあるかもしれず、そういうものは一度取っ払ってみるのが良いかもしれません。

何も知らない時には、知らないがゆえの不安や心配があるものですが、一方で、知っているがゆえに足かせになっていることがあるようにも思います。

完成するとか、周囲を冷静に見れるとかは、もう少し後のことで良いという気がするので、知っていることは忘れることができないにしても、一旦脇に置いておくのが良さそうです。

文字通り、老成するのは後回しにして、荒削りなくらいの勢い任せで、ひと通りやってみるのはいかがなものか、そこで得るものはまた貴重であるように思います☆

 

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たとえ離れていても

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長らく連絡を取っていないとか、関わっていた時間より関わっていない方が長いとかなれば、それはもうほとんど他人ではないか、そのように思うこともあります。

もちろん仲の良さや睦まじさのようなものは、何かの数字で計れるようなものではなくて、たとえ関わる時間や機会は短くても親しくなることはあるし、うんと大切に思うことだってあることでしょう。

必ずしも、時間の長さや、関わる機会の多さばかりが仲の良さを表すものではないということです。

とにかく大切なのは、どれほど時間や距離が離れていようとも、また、実際に関わる可能性が少ないにしても、今も元気でやっていてほしい、どうか幸せな気持ちで日々を過ごしていてほしい、そのように思えるかどうかであるように思います。

時間があると、FacebookのタイムラインややLINEの履歴を見るなどして、ここで連絡してみるとどうなるだろうということも考えるわけですが、それも過去の思い出(のようなもの)にすがっているような気がして、結局はやらないものです。

そこで生まれる何か、はじまる何かがあるというものか、これまでも連絡を取っていないのだから、今後もそうなる可能性はどうにも低く感じる気がしてしまいます。

もしもそういうことがあるのなら、とやかく言ったり思ったりすることなく接触を試みているでしょうし、それが以前のどこかであれば、今に続いているということも考えられます。

一方で、連絡先すらわからない、今はどこで何をしているのかわからない、それでも大切に思う人もいるわけですが、この場合は具体的に何ができるわけではないので、また会えれば良いなとそこはかとなく思うばかりです。

そのために自分のできることは、心身ともに健やかであること、そうやって過ごせる日々を慈しむことくらいかもしれません。

自分でアクションを起こすにしても、大きなものによってもたらされるにしても、そうやって元気でいるというのが準備の最たるもののような気がします。

そこから、思いつくことのひとつひとつを活動として、これからの出会いも楽しみにしながら、また思わぬ再会にも期待をかけていく、あくまでも前向きに、これから起こるであろう何かに期待して進んでいくのが良いように思います☆

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気軽に尋ねてみる

 

今は、インターネットや本などを駆使すれば、知りたいことの多くを知ることができるように思います。

調べたいことがあって、どう調べれば良いかを知っている、それだけで随分と有用なことは多いものです。

個人的には、自分で調べてみないと気が済まないところもあるのですが、一方で、わからないことがあれば、誰かに"気軽に"聞いてみるというのも良いかもしれません。

ある町の、パン屋の場所を尋ねてみたら、その場所を教えてくれるのみならず、その店オススメのパンをも知らせてくれるような、自分で知る以上の何かを得ることがあるようにも思います。

またそれが、その地域で住んでいる人ならではとか、パンに詳しい人ならではの意見や知識もあって、こういうことは、実際に聞いてみないとわからないことでもあるような気がします。

本当に大切なことは、易々と知ることができないばかりでなく、こういう実際に聞くという行動でもって、はじめて知る状況に進んでいくとも考えられます。

自分が知っているかどうか、知らないというのはどうにも我慢ならないという考えの向きもありますが、そもそも聞いて、回答を得ていく、その会話自体が楽しめれば良いと考えることもできます。

そこでは、会話の内容自体が重要であるというよりかは、誰かと言葉を交わすことの方に重きがあって、それが時には、気になる人に声をかける口実ともなるかもしれません。

あまりに無知を装うのも不自然なことになってしまいますが、勉強や仕事の細かなアドバイスを得るようなことで聞くのは、かえって"気さく"な印象をもたらすように思います。

聞かれた方にとっても、誰かから頼りにされた、少なくとも今はそうであるという思いになって、しっかりその期待に応えようとか、いっちょ張り切ってみようとか思うこともあるでしょう。

とかく、生きている限りわからないことの連続でもあるので、自分の知っていることは増やしていくし、誰かに聞くことも上手になっておくに越したことはありません。

何かを知るというのは、それだけ自分の視野が広がるわけで、いろいろ知ろうとする姿勢はいつも持っていたいものです。

よって、自分で調べることもするし、誰かに聞いてみることもする、わからないことをわかりたいという素直な気持ちが良いということかもしれません☆

 

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