SOBAJIMA YASUSHI

傍島康始|ブログ

Author: Sobajima Yasushi (page 2 of 81)

新年の寿ぎを申し上げます

 

新年、明けましておめでとうございます。

 

今年もよろしくお願いいたします。

 

時間の流れにおいては、昨日と今日とで、

一年の区切りとしてまたいではおりますが、

ひと続きになっているものではあるものです。

 

そこでどうこう言うのは野暮ではあるので、

気持ち新たに、清々しく取り組んでいきましょう。

 

この年始にあたっては、年末を含む時間において、

振り返りながら前を見るようなことをしていて、

思い浮かべていけば、結構溢れ出てくるものだなと思い、

先の見立てを述べるには、年が改まっての方が良いので、

性急にコトを進めたがる我が身を自制もしていたものです。

 

あちらでプカリ、こちらでプカリと浮かぶために、

決して、大きなひとまとめになっておらず、

かなり散らばっているような状況ではありますが、

それだけ、トピックとしては数はあるとも考えられます。

 

そういう、ひとつひとつを取りまとめていきたいものですが、

根底に伏流するものは、きっとひとつに行き着くでしょうから、

あえて、かき集めるようなことはしなくて良いような気がします。

 

そうして、何を先行(≒優先)して取り組んでいくのかについて、

今年の、個人的なテーマとして考えてみれば、

それなりにいくつかは打ち出てくるものですが、

そのひとつとしては「対話」を重んじたいと思っています。

 

議論でも、会話でもなくての「対話」、

少しばかり心を深くしたところで織り成すもので、

声の大きさでも、話す内容でもないようなところでの、

「心の交流」にまで行き着く機会が多くなると良いなと思います。

 

今でも、単に声を発したい、誰かに声を届けるのみならず、

言いたいことは雑多にあるために、なかなかの我慢は必要です。

 

どうも饒舌と寡黙の、ちょうど良いところにいられないので、

話すための回路を開くなら全開、そうでなければ全閉というわけです。

 

まずは、自分のできることをやっていくのみですが、

どれくらいの"誰か"に届くかはわかりませんが、

少なからず、自分はこう思う/考える表明は、

そこかしこでやっていくことにはじまるでしょう。

 

上っ面ばかりなぞっていても、どこにも行き着かないし、

距離の近い・離れているのはあるかもしれないけれど、

平行線は、いつまで経っても交わることはないのです。

 

逆を考えてみれば、それは至極当然で、

自分が大切に思い、望むものがあるのなら、

それに向かっていくより仕方がないように思います。

 

あれこれ並べ立ててみても、いろいろな楽しみを胸に、

精一杯の毎日が多くあるようにしていきましょう☆

 

 

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有終の美を飾るにふさわしく

 

いよいよ今年最後の・・・。

 

はじまってしまえばあっという間の365日ですが、

こうして、無事に着地できるのかどうかというのは、

当たり前のことですが、予測はできないものです。

 

今年はまた、考えることの多い一年で、

考える続けることによって、打破できた部分もあるし、

実際でも本やネットの中でも、新たに出会えた人は多く、

しかるべきところに行き着いたなという感覚があります。

 

そして、これは結構大きな発見かもしれないのですが、

考えるにしても、いくつかの視点や観点があって、

本能、感情、思考 →  体、心、頭のどれで考えているのか、

それによって、とらえるとらえ方が変わる感覚がありました。

 

このあたりを、万全を期して書き記せるようにはまだなっていませんが、

そうして、自分がなってしまいがちな思考の道筋を、

根底から変える必要はなく、ただ改善はできるように思っています。

 

それも、日々考え続けていることの効果も大きく、

時期ごとに、考えていることは多少は変化していくので、

いつも書き記しておくのも大切なことはありますが、

せめて、その変化を感じておくことは大切ということなのでしょう。

 

あとは、思うのは、この世の成り立ちを十全に知り得るような、

ひとつの大きな規矩のようなものを知りたいのかもしれず、

それを追い求めているのが、自分の中にあるような気がします。

 

そうなると、あらゆる分野や領域のことに興味を持つし、

その背景にある成り立ちの経緯や文化のようなものも知りたいし、

ある意味では、縦横無尽に駆け回るがあまり、

一度なのか、一定の期間だかは混沌の過程にあるものです。

 

何かしらの結果に行き着くための過程ではありますが、

過程そのものの途中にいつもいることが、

もしかしたら成長の意欲も、成長の度合いもあるような気がします。

 

そういう現在進行形にあるような気持ちでいつもいて、

果たして、行き着く先が求めているところになるのかは、

今のところは見当もつかないところではありますが、

きっとそれはそれで良いのだろうと思います。

 

そうして、一年の終わりとはじまりとでは、

一旦は区切りを設けることによって、気持ちを改め、

また進んでいくことを選ぶことができるのでしょう。

 

それでも、今は今年の締めくくりを粛然として行い、

安寧な心持ちで過ごしていきたいと思います☆

 

 

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発想は豊かに広げていく

 

「来る者拒まず、去る者は・・・」

 

物事は、時間とともに流れていくものですが、

目の前を通り過ぎたり、脳裏をかすめたり、

思い浮かぶことの多くは、浮かんでは消えていくものです。

 

そのひとつひとつを取り上げて、

「はかない」と言ってしまえば、

途端に寂しい気持ちにもなりますが、

今、その時にしか感じることができない、

そういうものも多くあるような気がします。

 

そして、重要かそうでないかで切り分けて、

多くは忘れ去っていくのだとしても、

その発想の仕方自体は持っていても良いような気がします。

 

このところ、考えているひとつに、

たとえば、目で見て、耳で聞くように、

いろいろなことを知っていくうちに、

果たして、頭の中ではどうとらえているかは、

人によってそれぞれ異なるように、

もしかしたら、自分の中でも切り替えられのではないか、

そうすれば、また異なったようにとらえられるのではないか、

そういう仮説めいたものが浮上してきています。

 

発想の仕方、思考の仕方など言い方はいくつかあれど、

頭の使い方として、きわめて論理的に処理するのか、

感覚的に処理していくのかが大きくあるような気がします。

 

いつも論理的に処理する場合では、

理屈の筋道がスーッと通っていて、

何の矛盾も破綻もないのが理想ではあるでしょう。

 

それは、ある意味では言葉でもって説明できるもので、

逆に、感覚的に処理するような場合では、

何となくの景色や映像のようなものはあるかもしれませんが、

すべてを言葉ですくい取ることはできないかもしれません。

 

そのどちらが良いというものではなくて、

これにもっと瞬間的のようにも思う直観をも加えれば、

それぞれをギアを切り替えるようにして、

ひとつひとつに対応していくのが良さそうに思います。

 

目に見えるものばかりが正解とも言えないし、

気持ちばかり胸中にあるばかりでなく、

外に向かって示すことも必要でしょうし、

いくつもの組み合わせがあるということを念頭に置きつつ、

自分の中で、切り替えられると良い気がします。

 

自分の中での切り替えと、多く見知っていくことの豊富さと、

双方の組み合わせの多様さがあるほどに、

発想や思考はどんどん広がっていくように思います。

 

このあたりは、先日も似たようなことを書き記していますが、

結局、今の関心がそこに寄っているというだけであって、

そこにどれくらいの発想が集まっているかだけなのです☆

 

 

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