SOBAJIMA YASUSHI

傍島康始|ブログ

Author: Sobajima Yasushi (page 2 of 109)

かつての名残り

 

このところ、当たり前のことと言えば当たり前の、そういうことを改めて思っていました。

そのひとつとして、かつての同級生が、どこかの空の下、同じ年齢でそれを重ねているということ。

もう会わなくなってかなり久しいけれど、今の自分の年齢がいくつになっている一方、あの人は一体いくつになる?

それは、特に高校までのことであれば、だいたい同じ年齢になるはずなので、一年を通して考えてみるまでもなく、少なくとも同年代であることは言えるでしょう。

それぞれに歩む歩み方は異なるだろうけれど、同じ年齢で日々を送っていることを思うと、自分にとってもそういう歩み方があったのかとふと考えることにもつながってくるものです。

相通じるところもあるけれど、異なるところも多くあるわけで、似て非なることの不思議さをそれとなく思うものです。

今のところ、そんな彼ら・彼女らと再会したところでどうにもならないだろうけれど、そっと無病息災であれと願う、それくらいはできるものだなと思っていますし、そういう思いは持っていたいものです。

それでも、何があるのかわからない、思っている以上に"良いこと"も起こるのがこの世のひとつの真理であるので、思わぬところでばったりと会うこともあるでしょう。

それはその時になってみれば考えれば良いことで、一旦は脇に置いておけば良いように思います。

あるいは、「縁」とか「友だち」とかは、お互いの普段の心がけや態度からはじまっていくものです。

出会いはちょっとした偶然なのかもしれないけれど、それを偶然に留めるだけでなく、次につなげるとか、長く関わるとかしないことには何にもなることはないかもしれません。

具体的には、電話番号にはじまる連絡先を知らないことには、約束を取りつけることもできないものですから、気持ちのところとは切り離して行うべきことになります。

最近では、FacebookやInstagramなど、"実名・顔出し"のメディアもあるので、そこから連絡を取るということも考えられます。

出会ってすぐに意気投合することもありますが、ある程度の年数を経ないとわからないこともあるものです。

そして、こういうものは自分で力んで成り立たせるようなものでなくて、紙飛行機のそっと風に乗るようなのがひとつのコツでもあって、つながる時にはつながるし、そうでない時にはそうであるくらいに構えておくと良いように思います。

時には、積極的にドアをノックする、そういうことも必要な場面はあるものです☆

 

 

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遠く伝わるもの

 

普段あまり読んでいる本について取り上げたり、内容を紹介したりするようなことはほとんどしないのだけれど、今読んでいる本が面白くて、それは真っ先に言っておきたいことになります。

長らく読みたいなと思っていたものだけに、その感動も相まっているというのもあるのかもしれません。

詳しくは、また長い文章にて表すかと思いますが、序盤のところでは古くより伝わる口述伝承の類を引き合いにして展開されています。

それも、どちらかというと都会から離れた田舎の方の、しかも山奥の地域で伝わっているようなことも多く、今の自分たちからすれば奇異に映るかもしれない内容かもしれません。

お年寄りの昔話と言ってしまえばそれまでのものかもしれませんし、具体的な教訓を含むならまだしも、少しばかりかいくらかのファンタジー要素もあれば、荒唐無稽だなんて思うのも避けられないところです。

しかし、感覚や価値判断に関する戒めとして、"新しいもの=良い、古いもの=良くない"というような傾向や風潮がありますが、場合によっては単に古いということでなく、かえって人間にとって本質的なことが含まれていることもあるでしょう。

長く伝わっているにはそれだけの理由や背景があるのだろうし、今の自分たちの見ているモノの見方が絶対に正しいというのは決して言えないだろうと思うからです。

時代の流れもあるでしょうし、身近な人たちとの関わりもあるでしょう、何となくの傾向や風潮のバイアスはかかってしまうでしょう。

それらはどうにも免れ得ないところです。

西暦の2000年あたりでは、スティック型から折りたたみ式のケータイ電話が"旬"であったにも関わらず、今では画面をフリックするのが当たり前になってきているように、10年かそこらの時間を隔てているだけでも、随分と様子が異なってきていることはわかるでしょう。

また、時代の今昔ということに加えて、これが海外と比較してみるのも興味深く、ゴハンを食べるのに箸でなく、手づかみで食べるとか、必ずスプーンとフォークだみたいなことだってあるわけです。

今のこの場所ではそうなのだということを踏まえながら、それだけに留まるわけではないということを知る必要があるものです。

そのためには、多く書物を読むこともそうですし、旅行によって多くの土地を訪れるということが大切になってきます。

いろいろ思いを馳せながら、先人の知恵を知っていく、もしもそれが有用だと思うのならば大いに取り入れていきたいものです☆

 

 

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その人の真性を探る

 

人と人が出会い、次第に知り合っていくわけですが、お互いに性格や考え方の特徴をつかむのに、何をもって「わかった」となるのか、今回はそれについて考えてみようと思います。

履歴書か、もう少しカジュアルなプロフィール欄だかを埋めるようにして、名前・年齢・出身地、職業などを尋ねるかと思いますが、それらを知っているだけでは十分と言えないような気がします。

これはまた、血液型や星座を尋ねることも似たようなもので、あくまでその人を取り巻く状況のいくらかを知ったということに過ぎないはずです。

一応、多くの人と知り合っていくうちに、何かしらの傾向はあるかもしませんが、「埼玉県出身だからこうである」、「愛媛県出身の人ってあれだよね」みたいなことは一概には言えないでしょう。

話の切り口としては良いとは思うので、そういうものを取っかかりとしながら、もっとその人なりのものを知る方がうんと有益であるように思います。

それは、ひとつには考え方のパターンみたいなことになって、こういう時はこうするという、もう少し漠然としたところでとらえるのが良さそうです。

たとえて言うと、絵画の作品にうんと近づいて細部にまで目を凝らすというよりかは、少し後ろに下がったところから作品全体の醸し出す雰囲気やメッセージを感じ取るといった具合です。

元々が前向きであれば、多少の困難があっても積極的に取り組むでしょうし、逆に、心配性であれば消極的なことになるかもしれません。

そして、そういうものはその人のベースになっているもので、何をするにしても何を言うにしても、ベースにもとづいてなされていきます。

自分で自分のことを知ることも大切ですが、周囲の人や新たに出会う人にも知ってもらうことで、もしも上手にコトが進まない場合にあっても、そっと背中を押すようなアドバイスや手助けがあるかもしれないものです。

これはまた、消極的なものは矯正したくもなりますが、それも含めてのその人自身なのだから、それも含めた上で問題を解消するのが良いと思います。

矯正というかは適応なのかもしれませんが、仕事でも何でも、ここはハズせない場合には、「普段自分はこうしているのだけれど、ここの場面はそれではないぞ」という風に考え、しかるべき対応を取ることでしょう。

深いところで大切にしていることや根強く思っていることはあっても良くて、あとはそれ以外の選択肢や応用の術を知っているのか、そちらの方が先にやっておくことのように思うものです☆

 

 

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