SOBAJIMA YASUSHI

傍島康始|ブログ

Author: Sobajima Yasushi (page 2 of 197)

自分の真ん中

 

自分を形成する性格や、好きなもの、特徴などを端的に表せれば、他の人にとってわかりやすいのかなということを思います。

自分はひたすら木を彫るのが好きだとか、自分の特技は山道を駆け抜けることだとなって、それが仕事とか活動のメインであればなおさらという気がします。

個別に、自分自身は何が好きなのかなとか、何をしていると楽しいのかなということを思い浮かべ、当然該当することはあるわけですが、それはあくまで一部であるとか、多くあるうちのひとつだよなという思いが強いです。

自分の真ん中にあるもの、興味や関心、多く時間を過ごすこととしてとらえてみても、生活全般あいまって、それで形成される真ん中あたりということなので、特定の何かとか、限定されたものではない気がします。

たとえば、恋人と一緒にいるのは楽しいけれど、仕事をして、ゴハンを食べて、そういうこともきちんとしているから、一緒に過ごす時間が楽しくなることに似ています。

これさえあれば!と思うくらいのものがあれば、他には何もいらないと思うのかもしれませんが、寝不足であれば集中力を欠いてしまうように、同時にバランスを取るのも必要不可欠だよなと思うわけです。

むしろ、いろいろ整って、それなりにそろっていることで、自分のやりたいことや知りたいことに専念できるというものかもしれません。

当然、自分の優先するものを真ん中において、それで生活を設計するということもできるでしょう。

趣味に没頭したいから残業の少ない仕事に就くとか、お金を短期的に貯めて長い旅に出たいようであれば、肉体労働で過酷にでも働くというのもある気がします。

ただ、いずれかのひとつを切り取って、あの人はこうであるというのは早計だと言うのはある気がします。

個人を形成するものは、意外とシンプルなのかもしれないけれど、すべてが容易にわかるということもなく、意外と複雑でもあるようにも思うものです。

そういうことを踏まえながら、ぼんやりとしている真ん中、あるいは真ん中あたりには何があるのか、ピンポイントで指し示せることも試みても良いかもしれません。

サッカーに勤しむでも、カフェ巡りでも、人それぞれの具体的な何かがあるかもしれないし、もう少し抽象的にでも、大勢でワイワイやりたいとか、外出を楽しみたいということがわかるかもしれません。

果たして、あなたの真ん中には何があるのか、しばし考えてみるのはいかがでしょうか☆

 

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夜空の瞬き

 

故・スティーブ・ジョブズの言う"Connecting The Dots(点と点を結ぶ)"にあるように、一見バラバラに見えるような自身の仕事や活動が、まるで数珠繋がりのように「ひとつ」になる/することが大切だという発想があります。

これは、何かをはじめる時に、最初から点と点をつなぐことを意識していくべきなのか、それとも、いろいろ変遷をたどっていきながら、どこかのタイミングで振り返った時に、あくまで点と点がつながっていたのかを知るべきなのか、果たしてどちらなのかを知りたくなるものです。

プロのスポーツ選手になりたいから、小さいうちから練習に励むとか、ミュージシャンになりたいから楽器を習うようなことでは、このあたりの順序はわかりやすいかと思います。

しかし、当初は世界一周をしたいと思って実行しているうちに、サバンナの動物研究家になっていたとか、墓石を掘る修行をしているうちにパティシエになっていたということでは、その経緯を知らなければどうにも不思議に思ってしまいます。

本人としては、その時々の選択と判断を重ねていくうちに今のようになっているのかもしれないし、周囲の人たちとの関わりや状況の変化で、いつの間にかそうなったということもあるかもしれません。

このあたりをつらつら考えていくと、夜空に星がいくつもあって、先に星座を見出して神話をつくりだしたのか、あるいは、古の神話に基づいて、星座を見出すようにしたのか、その起源を知りたいような気にもなります。

また、星が点在しているからといって、それをどうつなげるか、そもそもつなげるべきなのかどうかさえも考える必要があるかもしれません。

そういうことを踏まえながら、果たして自分自身の場合ではどうなのか。

今までやってきたことはそれぞれ、その時々の精一杯の判断と行動で乗り越えてきたのだとしても、パッと見にはひとつのつながりがあるようには見えないものです。

いつの日にか、これが突如としてつながるのか、あるいは、何が何でもつなげるという気概を持つべきなのか、まさに"神のみぞ知る"ということかもしれません。

何か、宿命とか運命とか、自分自身ではコントロールしきれないことも思いますし、これはいつも考えていきたいことなので、続きなのか新たな展開なのかがあれば、また取り上げていきたいと思います☆

 

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間が持てない

 

最初に「間が持てない」についてですが、普段はつい「間が持たない」と言ってしまっています。

本来的には、「ひと続きの時間」が「間」で、それが途切れてしまため、「持つことができない=持てない」ということらしく、なるほど今まで思っていたのとは異なるのだなということです。

今回言いたいことは、どちらかというと誤用にあたる「空いた時間があって、何をしたら良いかわからず、保つことができない」ということについてです。

外を出歩いていて、信号待ちやバスに乗っている時間、または歩いている時でさえ、ケータイ電話(スマホ)を操作している人を多く見かけます。

レジに並んでいたり、誰かと一緒にいたりする時でもいて、そういう人たちを見ていると、どうも少しの時間的な間隔が空くことに抵抗があるのかなと思ってしまいます。

それは単純に、長い時間の無聊を慰めるようなことではなく、数十秒から1〜2分くらいでも我慢できず、何かしらのメールやお知らせがないかを見てしまっているということです。

または、何もしないことに耐えられないとでもいうように、いつも何かを見聞きしていないと不安になってしまうということなのかもしれません。

何をするということもなく、手には取ってみたものの信号が変わるものの、それに気づいて、カバンやポケットにしまって、それで歩き出すといった具合に、3テンポくらい遅れてしまっているのを見ると、何をしたいんだろうと訝しく思ってしまいます。

何をすることもなく待っているとか、周りの風景や様子を見るとかするのも良いのではと思いながら、個人的には、そういう人たちとは関わりを持ちたくないから、距離を置く、つまりは間を空けるわけです。

何もないのが無駄ではない、そういうことも伝わると良いように思います。

また、こういうことを道徳的とか倫理的に言っておきたい気持ちもありますが、もう少し角度を変えて、武道的に背中が圧倒的に無防備であるということに懸念を覚えることがあります。

それは、周囲の気配に目を配るということでもありますし、たとえ見えないところでも敏感になっておくのが、予期せぬ危険に対してどうにか反応できるというわけです。

このあたりのことがわかると、もう少しいろいろなことに気づけると思うので、自分自身はひとつひとつを悠然と片付けていきたいと思う次第です☆

 

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