SOBAJIMA YASUSHI

傍島康始|ブログ

Author: Sobajima Yasushi (page 1 of 125)

その目で見ること

 

たとえば音楽で、インターネット配信や動画サイトで楽曲や演奏を見聞きすることは多くできるし、CDやDVDなどの媒体を通して楽しむこともできます。

最近ではその種類や量の豊富さもあって、ともすれば、自分がどこにいても"いつでも"楽しむことができるのかもしれないと思うものです。

その手軽さや便利さゆえに、今の傾向はもっと強烈にうながされることでしょう。

ただ、少しクリックすれば、相当な情報をインターネット経由で知ることができる一方で、その場所に行かないとわからないこともまた相当に多いものです。

人とのやり取りもそうですし、大切なことは決して多く出回らないのもまた事実であるものです。

その場所に行く、自分の目や耳で直に触れるということによってわかることは多いし、自分の体験として得ることの多さを知るものです。

あるいは、今・ここで何を思ったり、感じたりしているのか、頭で考えるだけでなく、カラダ全体で知るような感覚を持つわけです。

演劇・ドラマにおいては、テレビ用の見せ方と舞台用の見せ方では、表情を強調するのか、全身で表現するのかといった差異があるそうです。

テレビはお茶の間で楽しむ、演劇は劇場や舞台で鑑賞するという特徴が、その見せ方とあいまって影響を及ぼしているということでもあるのでしょう。

確かに、大きい会場であったり、遠くに眺めているようであったりすれば、画面を通じて見る方がかえって身近に感じるのかもしれません。

それでも、一緒の空間にいるだとか、多くの人の中にいるだとかして、そこでしか味わえない臨場感を知るのも良いものです。

行く道中だとかその前後も含めて、手間はかかるかもしれないけれど、記憶には強く刻まれることでしょう。

これが、旅行にしても食事にしても同じで、今は事前に情報を集めようと思えば、何かと知ることができてしまいますが、自分の体験においてどうなのかを大切にしたいところです。

そこに足を運ぶということもそうですし、その時だから感じることも多くあって、そういう機会をいくつ設けることができるのか、それも意識していきたいことのひとつです。

また、時間が巻き戻しができないように、自分の体験においても繰り返しやリセットはしにくい・できないものですが、それゆえにいろいろな機会に立ち会っておくことが良いように思います☆

 

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支離滅裂で構わない

 

今は、興味のあるものを片っ端からチェックしていこうということを思っていて、それがあまり興味のないことであっても多少は見ておこうという気持ちがあるものです。

目に触れる、そして、調べる、それは本に行き着くことが多く、ひとまとまりになって読み通すことでわかることがあるものです。

今はWeb上でもインタビューやコメントを見ることができるので、そういうものも駆使しながら取り組んでいきます。

たとえば、新規事業の立ち上げや何かをはじめるということについて何冊か(いくらか)目を通すことで、共通点や差異が見えてくるような感じです。

そして、そこから広がることもありますし、あるいは、あまり特定の分野であるとか領域であるとかに限らず、気の向くまま風の吹くままに任せていくと、さてどうなっていくものか、何が積み上がってくるのだろうという思いがあります。

そういう意味では確固たる一貫性というものはなく、特に今の時期は何を目指しているのだろうというのはいくら説明をしても分かりにくいことであるようにも思います。

ただ、支離滅裂にと言いますか、四方八方に興味を広げていこうということでは一貫性やまとまりがあるものだけに、大きく迂回して何か"本質"のようなものに行き着くのではないでしょうか。

少しずつ同じだけれども、少しずつ異なる、そういうものを柔軟に組み合わせていくことで、ぼんやりと輪郭が浮かび上がってくれば、それで良いのだと思います。

最初から明確に、厳密にやってしまうようでは、新しいものが入ってくる余地がなくなってしまいますから、基本、楽しいものは取り逃さないよという気持ちを持っていきたいところです。

意識しようとしまいと、自分の目の前に表れてくる事象や出来事は、今の自分にとって必要なものであったり、大きく示唆するものであったりするので、今の延長線上にあるもので、急に隣の芝生に入るようなことはないと思います。

自分の中で、良いものは継続して追求していくし、毎日の習慣をやめることもないわけです。

大切なものは大切なものとして、それでどうなっていくかの推移をとらえていくのが良いと言えるでしょう。

遠くにある針の、その小さな穴を見るように目標を立てるのでなく、針のあるあのあたりという具合に周辺の様子も同時に見ながら、前に進むのが良いと思います☆

 

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ただ表すのみにあらず

 

言葉でも行動でも、思っていることや考えていることをそのまま表すのが良いのかと言えば、必ずしもそうではないような気がします。

素直さや率直さとは少し異なるところで、それ相応の配慮は必要であるということです。

その飾らないが故に誰かに誤解を与えてしまったり、不快な思いを持たせたりすることもあることでしょう。

根底にあるメッセージと離れてしまえば、せっかくのチャンスも不意にしてしまうかもしれません。

もしもそういうことが単なる軽率さで起こっているのなら、熟考しないまでも一旦踏みとどまることが必要であるということにもなってきます。

また、相手の受け取れるタイミングみたいなことも関わってくるでしょうから、今でなければいけない、遅いから良くないということもないわけです。

あえてズラすことで功を奏することも多々あるような気がします。

言葉において、話したり書いたりすることが多いものとして、今日何をした、どこに行ったのだと具体的に記しておくのも良いと思います。

その積み重ねが、その人の行動の仕方や発想の仕方をうかがい知ることにつながってきます。

自分の感覚としては、元来明確に表すわけでもなく、もう少し抽象的というか、やんわりイメージをまとわせる方を好みます。

そして、特に今は、今までとは多少異なるようにと意識しているので、その意識しているよということをにじませていきたいと思っています。

たとえば、この人は長い旅に出ようとしている・出ているのだとか、いつも誰かとデートしているようだとか、先に願望や頭の中で思い描いているものを出すのが面白そうだという感覚です。

あるいは、本当に思っていることや目指しているものはあくまで個人的に、極めて水面下で動いていれば良いわけで、目に見えるところでは軽くケムに巻くくらいで良いかもしれません。

本音を隠すだとか、意見を言わないということでなく、それはチャンネル=見せ方を変えているだけのことだよということです。

そういうものも、ないわけではない、どこかにあるものなので、上手にたどっていくと自分の考えや足取りがそれなりにわかるのかなという気がします。

ただ、それも根底に何があるかを知らないと、支離滅裂にも映りますから、読み解くのはなかなか至難の業とも言えるでしょう。

それなりに気の向くままに表していこうとは思うので、断片ごとに楽しんでもらえたら本望です☆

 

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