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傍島康始|ブログ

Author: Sobajima Yasushi (page 1 of 109)

素直に聞いて

 

人の振る舞いを見ていて、それは良いところは自分にもどんどん取り入れていきたいからなのだけれど、これは良いなと感心することがあります。

そのひとつとして、知らないことに出くわした時に、その場で率直に聞ける=尋ねることができるのは素晴らしいなと思います。

知らないことが無知なのだとしても、その知らないこと自体が恥ずかしいのではなくて、知らないままにしておくことの方がうんと恥ずかしいことかもしれません。

知らないことを知っていない、気がついていないのはまた別の切り口になるのですが、そういう疑問を投げかける意識の余地があるかどうか、それも多少関わってきます。

「代替」は本来は「だいたい」なのだけれど、それを「だいがえ」の方が正しいと思っているような、信じて疑わないようなこともあるでしょう。

よほどのものでない限り、間違いを指摘するのかどうかは悩ましいところですが、知ったり聞いたりする時には仔細含めて尋ねるのが良いでしょう。

そして、そういうことを繰り返していくと、当然自分の中に知識が蓄えられていくし、知らないことを随時聞く、何度もそういうことが積み重なってくると、いつしか流れが変わって、周りの人がかえって親切に教えてくれるようにもなるものです。

素直さ、謙虚さ、日頃からこういうものを持ち得ているか、何を知っているのかと同等かそれ以上、生活を営んでいく上でとても大切なことのように思います。

本質的なこと、日々を過ごすのに必要なことは、特に知っておけば良くて、その披露の機会がなかろうが構わない気がします。

これは自分の気質もあるのでしょうが、必要な分を必要なだけ最低限知っているだけでは、何だか心許ないような気になってしまいます。

自分の許容量というキャパシティーを増やす意味においても、風船をふくらますようにせっせと詰め込んでいきたいものです。

当然、漏れ出るものはあるでしょうし、あまり出番のないものは入れ替わることもあるでしょう。

それでも構わないからやっていくことで、種々雑多なものが自分にとってもそうですし、何においても有用なものが手元に増えてくるはずです。

世の中の知識や知見においては自分の知らないことばかり、知ることを楽しむようにしている、そういう観点から大切にしていきたいなと思います☆

 

 

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机に向かっているだけじゃ

 

何か良いアイディアはないものか、何かまとまったものを書こうとか、机の前、最近ではパソコンを開いて向かい合ってみるわけです。

しかし、いくらかまとまった時間があったところで、それに見合ったものが得られるかと言えば、そうではないところが因果だなと思います。

うんうんうなってひねり出すような、そういう取り組みも大切、確かに大切なのだけれど、そればかりでもいけない。

時間が足りない時の方が、差し迫っているだけに、かえって集中力が増すということもあるくらいです。

そういう書く/書かないみたいなところは、水道の蛇口のようなもので、ある程度は調節できるものですが、そうでないこともままあります。

書きたい気持ちはあってもままならない場合、もしも外を見て好天に恵まれている、そんな時にはさっと上着を羽織って、外に出るに限ります。

今は暑さのひとしきりも少し落ち着いてきているので、それに乗じてまずは方々を歩いてみるのが良いでしょう。

そして、本屋に寄ったり、カフェに寄ったりして、足の赴くまま、気の向くままで構わないから、何となくの時間を過ごしてみます。

道行く人、目に入る看板など、視界に入ってくるものを気に留めてみるも良し、今までの出来事を思い返すのも良いでしょう。

それに、何をどうしたいかわからないような時にも、何かしらは見たり聞いたりして、意識に上がってこないところでも、自分の中に取り込んでおくと良いなと思います。

いつの時か、雑多なそれらが浮上することもあるでしょうし、知っておいて無駄とか損とかいうことは決してないはずです。

今の自分は少し自分自身の期待に応えられないかもしれないけれど、これは数ヶ月後のためだと思えば、今の地続きでもあるけれど、寸断しているような心地になるものです。

具体的には、夏の名残りを引きずりつつ、年末も視野に入ってくるあたり、そういう狭間の時期にあっては、特に何を見立てることができていません。

それでも、今はそういう「谷」の時かもしれないけれど、起伏があれば「山」にも巡り合うだろう、そのためには何ができるのかなという感じです。

スポーツでいうところの、大きな試合用に調整するというよりかは、普段の基礎体力や筋力の増強を図る、準備のための準備体操が適当なのでしょう。

あとは、自分の中の風通しを良くしておく、深呼吸ひとつからはじめ、頭の中もクリアしていくことに努めていくことにします☆

 

 

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名盤たる所以

 

いつも何かしらの音楽を聴いている身においては、時にはCDアルバムにまつわる話もしたくなるものです。

このところ、これまでのある時期において頻繁に聴いていたものを、引っ張り出すようにしてチェックし直しています。

ある一時期よく聴いていただけあって、今聴いてもなお、その魅力は目減りすることはなく、こちらの耳に胸にと飛び込んできます。

単に懐かしいということでなくて、いつ聴いても同じように興味を惹きつけるといった具合でしょうか、何度も聴いていた・聴きたくなっていたのが今でもほとんど変わらないわけです。

これは、ひとつひとつの楽曲の場合もありますが、この世には語り継がれるべき"名盤"というものがあって、個人においてもいくらかあるものです。

たとえば、"名盤"ということでは、どういう理由や背景があってそういうことになるのか、多くの事例と場合があるとはいえ、個人において何か共通するものはあるのだろうかと、それを考えてみたいと思います。

自分自身は、基本的には、できるだけ10曲とかそこらのまとまりとしてのアルバムを優先して聴いていきたいと思っています。

また、新作ということにおいては、世に出たタイミングということだけでなく、自分が手に取ったというタイミングがあって、あくまで自分にとって新しいかどうかが大切になってきます。

そのひとつで言えば、DREAM  THEATERの『METROPOLIS:SCENES FROM A MEMORY』が挙げられますが、これは発表してから数年後になって、デモ盤やライブ盤も合わせて念入りにチェックしています。

今から思えば、その数年の隔たりはそこまで大きいものでないので、まさしくリアルタイムではないけれど、決して遅いということでもないような気がします。

リアルタイムということでは、FAKE?の『THE ART OF LOSING TOUCH』や矢野真紀(当時)さんの『いい風』があります。

こうして挙げているうちに思い浮かんでくることといえば、自分自身の生活や心境の、どちらかというと大きな変化の渦中にいた時期にチェックしていることになっています。

はなはだ簡単ではありますが、自分にとっての"名盤"とは、自分自身への応援とか追い風とか、踏ん張るべき時期に出会っているということが、ひとつの理由や背景として考えられるように思います。

もちろん、作品自体の魅力や完成度の高さはあるにしても、そういうものと呼応するには、こちらの状況も左右している、あるいは、そういうことも言えるのかもしれません。

そして、これからも自分自身を鼓舞していく限り、新たな"名盤"にも出会っていくのでしょう、それが楽しみで仕方がありません☆

 

 

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