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傍島康始|ブログ

Author: Sobajima Yasushi (page 1 of 207)

どこに醍醐味

 

単純に考えて、お金はないよりかはある方がうんと楽しい、そう思う人は多いのでしょうか。

少なくとも自分自身においては、生活に必要なだけのお金は必要ですし、願わくば、少し贅沢できるようであれば嬉しいものです。

つまり、ないよりかはある方、あるならば思うより少し多いのを願うということです。

これは、特別思うことではありませんが、ご馳走を食べる、海外旅行に行く、高級車を乗り回すなど、お金があったらできることは多くあるものです。

お金の多いほど、可能性が広がる、そのように言うこともできるでしょう。

そのように、お金が多くあることを望みながら、じっくり考えてうちに、これもただ多ければ多い方が楽しいかと言えば、必ずしもそうではないようにも思えてきます。

たとえば、年収500万円の人が1,000万円になれば、金額は倍増し「やったぜ!」と思うでしょうが、8億円の人が10億円になっても、あまり喜びをひしひしとは感じられないかもしれません。

倍増していないからなのか、あるいは、ケタが大きすぎるのがその理由なのか、詳しい理由が即座にわかるわけではないものの、その満たされなさはどういうところにあるのか、それを考えることは有意義であるように思います。

ないならないで悩ましいし、あったらあったで、そこで生ずる悩みもあるでしょうから、今のうちというか、普段からお金について考えておくのが良いでしょう。

いわば、お金を多く得ることも大切ですが、次の段階では、いかにお金を上手に使うことができるのか、その人なりのセンスを磨いておこうという次第です。

わかりやすいところでは、高級な腕時計や服にしても、何百もあったところで活用しきれないし、ひたすら増えていくだけのものになってしまうかもしれません。

ゴハンもいくらか食べれば空腹は満たされますし、カラダひとつ使える時間は1日24時間となれば、できることの限りはあるものです。

また、こういうものは、お金を使ったらモノやサービスが手に入りますが、それで終わりというか、ある意味では一過性のものとも言えるでしょう。

そうなると使うだけのお金ということになって、余計に心が満たされないということにもなりかねません。

今のところ、個人的には、お金の上手な使い方について、行き着くところは寄付や募金のようなところになる気がしていて、それはまた引き続き、別の機会に考えていきたいものです☆

 

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未来を約束する

 

最近ふと思って、恋する二人、愛し合う二人で、結婚を約束することが"婚約"で、添い遂げることを誓うのが"結婚"なのかなと思いました。

個人的には、今のところそういう状況は訪れていないので、どうにかなると良いと思いますが、両者の、言葉の持つ響きには異なるものが多いように思っています。

具体的にそうなるということでは、結婚の方が手堅く思い、もしもそうなるのなら早くそうするのが良いように思いますが、婚約という言い回しにも、何だか心躍るものがあるように思います。

この差異は、一体どのあたりに起因するものなのかなと紐解いていくうちに、時間における感覚の違いであるような気がしてきました。

とらえ方のひとつとしては、婚約では、これから向かう未来に対して約束をするということで、理想のイメージを思い描き、それを共有することに喜びがあるような感じです。

こういう生活をしたいね、こういうところに住みたいねというように、これから起こるであろうことを、好きなように思い浮かべることができるということです。

一方、結婚ということでは、その誓いをはじまりとして、いかに日々を充実させていくのか、気持ちとともに物質的なリアルをともなうように見えるものです。

それは、はじめたからには続ける、そのためには何ができるのかという、もう少し実務的な発想が求められるでしょうし、計画、実行、見直し、改善とも言えば、かなりビジネス的なことにもなるでしょう。

そこには、現実的な手応えはあるものの、甘美な空想にふけるということは少なくなりそうです。

言い換えれば、婚約は、今から未来に対してロープを投げかけて手繰り寄せるようなもので、結婚は、ソリだか何かを引っ張り続けていくようなことかもしれません。

時間において、先を見ての今なのか、過去から続く今なのか、そういう差異があるように思います。

もちろん、婚約、結婚のどちらが良いというものではなくて、ひとつずつ、踏んでいくべき過程なのかもしれませんが、個人的には、婚約の持つ意味合いの方が、夢を見れるものです。

また、結婚においても、今の充実を図りながら、今後はこうしていきたいね、老後はこうしようというのも思い描いても良いでしょう。

結局のところ、二人で思い描くものが、過去とか今だけに留まらないで、この先、未来に対してどれくらい豊かなものを期待できるのか、そういうところに大切なものがあるように思います☆

 

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道理の順序を考える

 

趣味や嗜好の話において誰かと会話をする時に、もちろん盛り上がらないよりかは大いに盛り上がった方が良いですし、そういう会話や交流を通じて、"同好の士"が増えるのも喜びと言えるでしょう。

日頃、自分ひとりで楽しんでいるようなところで、話題のみならず感覚も共有できると、それはまた普段の活力となる気がします。

自分自身は、基本的にはひとりであっても十分に楽しむことができていれば、それで良いと思ってしまいがちではありますが、この衝動の生じること自体は何ら否定するものではありません。

ただ、こういう有意義な関わりを考える時に、しかるべき手順というか、物事の順序があるようにも思うものです。

たとえば、音楽が好きという共通項があらかじめわかっている状態で、いざ会ってみて話をしてみた時に、こちらはヘビーメタルを、熱心に聴く側としての話、相手はR&Bの、歌う側としての話しか得意でないことがあるかもしれません。

そこで、知らないことを教え合うとか、広く、音楽とは良いものよねとなればまだ良いですが、自分の好きなことや話したいことが必ずしも十全に話せるわけではないことに、少なからず落胆してしまう気がします。

そういう出会い方も、時と場合によっては効を奏するかもしれませんが、個人的には、思いもよらない場所で出会って意気投合することに憧れてしまうものです。

この例の場合では、同じ職場でとか、酒場で隣り合った人と、たまたま音楽の話をした時に、好きなジャンルやバンドなど、やたら重なっていると「あら、おたくも?」となって会話が大いに弾むことでしょう。

これが、他の分野や興味であっても同様で、やたら話が合うなとか、やたら気が合うなと思ったら、同じ人に学んでいるとか、趣味が似ているとかになるのが良いなと思います。

これが、先に、同じものが好きだ、同じとところに通っているいうことで集まると、必ずしもそうはならない(気がする)というのは、前述の通りです。

では、そういう人たちには、どのようにすれば出会えるのか?出会うためには何をすれば良いのか?ということでは、これはまだ、飽くなき追求の途中ではありますが、自分自身がいろいろなことに興味や関心を寄せながら、それでもって方々に顔を出すということに尽きるように思います。

そうやって、その場にふさわしい話題とは別の、異なる場所ごとに異なる話題をするというのが、相手にとっても貴重であるような、良い出会いを呼び寄せるコツのひとつのように思います☆

 

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