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傍島康始|ブログ

Month: 11月 2020 (page 1 of 4)

手紙の効用とは

 

今はメールやらLINEなど、何かしらメッセージを送ろうと思えば楽にできるわけで、そうなると余計に手書きの手紙というものは少なくなっています。

近年では、年賀状のやり取りも少なくなってきていて、年に一度のやり取りすらしないという人も多いのではないでしょうか。

こういう手紙を書くということは、周りの誰もが手紙を書かないから古いものだとか、すでに廃れた習慣であるのでしょうか?

おそらくはそういうことでなく、むしろ、そういう過去のもの(に見える)であるがゆえに手紙を送ることの効用があるというものです。

自分が手書きで何かを書くことがほとんどないけれど、誰かからの手紙をもらって嬉しいことを思い浮かべると、新しい/古いの話ではなくて、もっと本質的なことを表しているように思います。

生活でも仕事でも、用件を伝えるだけであれば、そういう画面上に映った字面で良いのでしょうが、それならば以前でも電報という手段があったわけです。

あるいは、早く伝えようとするのであれば、電話を使えば済む話で、これは今も変わりなくあります。

それに加えて、手書きの手紙を書くということは、少し事情が異なっていて、送る相手のことをより鮮やかに思い浮かべながら、一文字ずつを書いているように思います。

そこでは、目に見えるとか耳に聞こえるメッセージの内容以上に、気持ちが乗っていて、こういうことを"ないがしろ"にしてはいけない気がします。

これは、生活においてもそうですが、仕事においても、最終的には人と人とのやり取りですから、いつも情にほだされるわけではないものの、それとなく胸に響くものはあるはずです。

街中を見ていても、手書きの看板やポスターなど、ほとんど見ることはないので、そうなると、小さな定食屋の張り紙みたいなものに安堵を覚えることすらあるものです。

今も、連絡が遠ざかっているような人の顔が浮かぶようでしたら、または、また連絡を取ってみたいと思う人がいるのならば、一度手書きの手紙を書いてみるのはいかがでしょうか?

そのためには、送り先の住所を知らなくてはいけないとは思いますが、それは周囲の協力や知り合いの知り合いなど、どうにか伝手をたどって、知ると良いかと思います。

それもまた、連絡を取る口実として、今は少し離れている人と交流を深めていただけたら幸いです☆

 

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速攻で決めるには

 

確か1日に6万回だったか、人は大きなことから小さなことまで、それだけの回数思考しているそうです。

その中でも、おそらく自分で物事を判断したり、いくつかある選択肢のうち、どれにするのか決めたりすることは多いはずです。

今日の昼は何を食べよう、帰りにはどこそこへ寄ろうかしらといった、身近なことから、どこに住もう、今後はどうやって生きていこうかなど、まさに人生に関わることまで、文字通り多岐に渡っていることでしょう。

一度の判断や決定の影響が大きいものもあるでしょうし、すぐに修正や手直しが効くものもあって、こういう"何かを決める"というのは、心身ともに膨大なエネルギーを要するものです。

それが自分自身のことでもそうですし、結婚とか同居とかを挙げれば、相手がいてこその話になるので、そう相応に責任というものもついてくるはずです。

時に、そういう重大さによって何も決めきれず、それゆえに、決めることから逃げ出したくなったり、本当に逃げてしまうということもあるかもしれません。

そうなると、普段の小さなことから、やや大きいことまで、できるところから素早く決めるようにするとか、選んだものがかなり妥当であるように訓練や練習を積むのが良いでしょう。

そのひとつとしては、自販機でジュースやコーヒー缶を買う場合に、毎日異なるものを選ぶようにするというのが、変化に対応しやすくなるには適した方法だというのがあります。

もちろん、同じものを選ぶにしても、どうしようかと悩む時間を極力なくしてみるのが良いように思います。

これは、野球で言うところの"バットの素振り"のようなもので、基本的にはいつもやっておくと良いかもしれません。

そういう、さっと判断して決めることができる問題もありますが、時間が経たないと決めきれないということもあって、こういう類のものは一度心が決まったら、あとはひたすらにまっしぐら突き進むことができることが、個人的には多いものです。

こういう、決めるかどうかの話では、大胆か慎重なのかという切り口からも考えることができそうで、自分がどういうタイプで、本当はどうしていきたいのか、それと照らし合わせてみるのが良いでしょう。

より多く場数を踏むことで、「慣れる」こともありますから、少しずつの積み重ねが大切であるように思います☆

 

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行き先はどこでも

 

時々、人の振る舞いを見ていると「今度はそっちに行ったかー」と思うことがなきにしもあらず、つまり、あることがあります。

それは、おいしいハンバーガーを売りにしていたお店が、何を思ったか、焼き鳥専門店になるようなことで、その心変わりはいかにと思わずにいられません。

その本質が、「おいしいものを届けて、笑顔になってほしい」みたいなことであれば、それは守られているわけですが、これがメガネ屋になると、本質的な何かが見えなくなってしまいます。

もちろん、利用するこちら側と運営するあちら側では、見え方も詳しい事情も異なるわけですが、それを上手に表しているとか、こちらの疑問を上手に解消しているようなことでは、それはそれで良いように思います。

商売とは、売り上げを上げるかどうかと同等かそれ以上に、お客さまの役に立ちたいという気持ちがないと成り立たない気がします。

最近は、視力の落ちている人が増えてきているとか、パソコンやケータイ電話(スマホ)を使う時間が多いので、保護するためのメガネの需要が目に見えてわかっているのならば、商売の内容をガラッと変えるという判断も、あってしかるべしと思います。

また、これをもう少し大きな範囲で見つめてみると、個人の活動や個々の人付き合いにおいても見えることがあって、そこで見えてくるものも多くあります。

わかりやすい話では、ヤンチャになるにつれて、バイクに乗る仲間が増えるとか、夜な夜な高架下にたむろするようになるとか、友だちや知り合いになるから似てくるのか、そもそも「類は友を呼ぶ」のか、そういう傾向が次第に強まってきます。

よく、その人がどういう人であるのかを知りたければ、周りにいる人を観察するのが良いというような言い方や考え方があるものですが、いわゆる"人となり"は、日頃の言動に現れたり、周囲にいる人に影響されたりしているのでしょう。

そして、これが一過性のものなのか、根強く続くものなのかは一概には言えませんが、こちらとしては、少し冷静な目でとらえていくのが良いかもしれません。

時間が経つにつれてどうなっていくものかもありますし、果たして本質的な何かを保持しているのかどうかは、すぐにはわかるわけではないということを鑑みておくと良いような気がします☆

 

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