目に見える何かの表れを見て、それってどうなの?と思うことがあります。

たとえば、左右異なる柄の靴下を履いているとか、ゴハンを食べるのに観覧車の乗り場に集合するようなことかもしれません。

前者であれば奇抜である、後者であれば場違いのように思うかもしれませんが、それも何かを際立たせる仕掛けである場合もあるわけです。

また、正しいアプローチがひとつに限ったことではなく、今見ているものは、いくつも考えられるうちのひとつかもしれない、そのように考えることも大切です。

自分自身が、何につれ"違和感を感じる"というのは、必ずしも自分がはみ出し者であるということではなく、新しい何かに気づく前触れなのかもしれません。

「自分だったらこう思うのにな」とか、「きっとこうするはずだ」など、思考や行動において浮かんでくるアイディアは、試さないまでもしっかり覚えておくと良い気がします。

いずれにしても、先に立てた問いとか設けた基準みたいなものに対して、その後どのようなことをもたらしていくのか、原因と結果を探っていくのも良いかもしれません。

ある一部分だけを切り取って、つべこべあげつらうのも何も生み出さないし、かなり非生産的にもなりかねないので、静かに観察するのも良いように思います。

そういうことであれば、自分が何かをするとか、多くの人に呼びかける場合、こういうことを思っているから具体的にはこのような手立てを選ぶ、このようにしてコトを進めていくとうことを明らかにしていくのが良いかもしれません。

走っている途中ばかりを強調するのではなく、準備運動から着替えからも見せていく、それでゴールテープを切るまで見てもらってどうですかとしてみてはいかがでしょうか?

ある意味、自分のすべてをさらけだすことになるのかもしれませんが、それで批判や非難をしてほしいというのではなく、正当に評価をしてもらいということです。

何か秀でているところがあれば、それは良い評価を下し、何か至らないことがあれば改善につながる意見をもらいたいところです。

お互い、それぞれに思う違和感をなくしていくと、ゴツゴツした岩が滑らかになるように、考えにおいても行動においても、諸々スムースに進んでいくような気がします。

そのためにも、素直に思う気持ちも必要かもしれません☆

 

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