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傍島康始|ブログ

Month: 4月 2020 (page 1 of 5)

自らも発信する

 

このところ、外で活動できないミュージシャンやスポーツ選手、役者やタレントなど、多くの人がYouTubeでの発信なり、何らかの媒体でライブ配信をしています。

普段知ることのない一面をうかがい知れたり、同じ状況に直面しているということでの親近感を感じたりして、自らの時間や機会を割いて鑑賞を楽しむのも、心休まるひとときでしょう。

こういうのも、意外と1時間、2時間、あっという間に過ぎてしまうものですし、もっともっとと思って、より多くの時間を費やしてしまうものです。

このような時間が、決して無駄というわけでなく、自分自身も喜びを享受していますが、はたとこれで良いのかとも思ってしまいます。

それはなぜかというと、自ら発信している人は、それが直接の仕事とならなくても、ファンと交流したり、新たなファンを獲得したりするなど、それがまた今後の活動にとってプラスとなっているからです。

それを、自分自身が受け手のひとりとしているばかりでは、大きく失うことがない分、大きく得ることもないのではないでしょうか。

それで良いよと思う人がいても、それは人それぞれの判断で良いと思いますが、自分自身は何かしらどうにかならないものか、ある意味では虎視眈々と狙っているとも言える気持ちを持っています。

今の自分にできることはなのか、少しばかりの気晴らしかもしれませんが、何もやらないよりかはうんと有益であるように思います。

たとえば、何かのSNSアプリをダウンロードして取りかかってみるとか、文章の書き方を覚えたり、それが料理のレシピを覚えるようなことであっても良い気がします。

少なくとも、新たに覚えることやできることがあって、自分自身の興味や関心を押し広げることにはなるはずです。

それを、画像、動画、ブログだかはわからないけれど、インターネット上で誰かの目に留まるようにする、それが新たなチャンスを呼び込むかもしれません。

また使い方次第では、多くの人にとって、ケータイ電話(スマホ)やパソコンは何らか使えこなせるものですから、直接は関われなくても"つながり"を持つことはできるわけです。

外に出れないという制約がある分、インターネットに接続する時間が増える、それを味方につけるかどうかは、あなた次第ということなのです☆

 

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外出は控えて

 

今の、この状況がどこまで続くのか、自分にとって未体験であるように、世界全体も同様に未知の状況に直面しています。

これが普段のように、大規模なマラソン大会をするから、一時道路を封鎖するというようなこととは大きく異なるために、いつ、どのようにして平時が戻るのか、誰も明確に答えることはできないわけです。

自分にとっても、今日明日を急ぐことではないですが、数ヶ月〜半年間、今のような、外出を控えるように、多くの人との関わりを減らすように(強く)要請されれば、経済的なところで死活問題になってきます。

自分の状況と外の状況を鑑みながら、早めに手を打つなり、対策を講じるなりして、生活そのものを成り立たせることができれば良いのですが、これもどうにも先行きが読めないところです。

いくら自分自身が、積極的に家にいることを選んで、長い時間籠っていること自体、さほど苦にもならないとしても、今度は外に出て活動するための社会復帰が困難になってしまうかもしれません。

これも、うんうんとうなって必死に打開していくしかなく、基本的には楽観的であっても、最悪の場合を考えておくこともまた、振り幅大きく取ることになって、その時々で柔軟に対応することができそうです。

これ以上はないという最悪の場合を考えることで、"肚が座る"ことになって、やぶれかぶれではないけれど、今までない発想や行動を取ることができそうです@自宅。

誰にとっても未知であることは恐怖でしかないかもしれないけれど、何事にも光明は見えるはずで、これを何かの弾みにできると良いなと思います。

いろいろ模索しているうちに、自分の意外な特技を知ったり、今はまだ直接会えないけれど誰かと知己の間柄となったりする、電話やメールのみならず、オンラインで対面しているかのように会話もできるご時世ならではのこともあろうかということです。

外に出て働くとか、多くの人と関わることが難しいように、自分の生活が今までの通りにならないとするならば、新しい何かを獲得するしかない、そのようにいうこともできるわけです。

今の、大切にしていることをそっと手放せば、次に舞い込んでくるものは何だろう、それが未知であるがゆえに可能性もまた大となることでしょう。

余談ですが、「自宅警備員宅外派遣 N.E.E.T」を、今こそ大いに活用するべきではないかと思う今日この頃です☆

 

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見た目と中身

 

今回の話は、本を読むにあたっての、見た目と中身が異なることがあるというについて述べていきます。

タイトルとか装幀などの見た目の部分と、何が書かれているかの内容(中身)で、すれ違いが起こっているというか、両者がかみ合っていないということが往々にしてあるものです。

たとえば、『◯◯の何とかメソッド』というようなタイトルで、スポーツ選手のトレーニング方法かと思いきや、これまでの生い立ちから今までの活躍や実績が並んでいるだけの、シンプルな自叙伝であったようなことです。

あるいは、ビジネス書の『◯◯のタイムマネジメント』というタイトルでは、時間の効率的な使い方の本かと思いきや、一回の会議のスムースな進め方とか、上手なメモの取り方について書いてあったというようなことです。

著者の名前やタイトルに惹かれて手に取ってみたところ、どうにも読みたいと思っていた内容とは異なるとあれば、いくら良いこと(のように見える内容)が書いてあっても、ガッカリしてしまう気持ちが出てしまうものです。

こういう、惜しいすれ違いが起こっている場合、どうにも読後感がスッキリしなくて、どうもモヤモヤしてまい、そこにかけた時間やお金などの労力すらも惜しく感じてしまいます。

こういうのは、できるだけ多くの人に興味を持ってもらって、実際に手に取ってもらえるように、インパクトのあるタイトルや装幀を狙ってしまうものですが、見た目の中身の相違が甚しければ、それもまた虚しいものでしょう。

ひとつのコツとしては、タイトルに沿って中身を厳密に構成していくか、書き終わって、最後にもう一度中身を見直すしかないようにも思います。

または、思うままに書きたいものを書いて、「まえがき」と「あとがき」で何について書いたものなのか内容を説明する、それで内容にふさわしいタイトルを導き出すのが良いかも知れません。

読むこちら側には計り知れない、個別の複雑な事情もあるでしょうから、そのいちいちを取り沙汰しませんが、そういう本は今後もう二度と手に取ることはないし、言及することもないでしょう。

同じ紙とインクを用いた本であっても、誠意を持って作られたものは自ずとわかってくるので、自分自身でそういうものを選び取る力を養えば良いだけの話です。

そして、自分自身が本を出すにしても、こういうブログに書くにしても、羊頭狗肉とならないように、工夫するのが良いように思います☆

 

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