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傍島康始|ブログ

Month: 10月 2019 (page 1 of 4)

物事の陽を見る

 

物事には良い面とそうでない面とがあって、どちらを見るのか、それによって続く話が変わってくるように思います。

そのどちらを見ようが構いませんし、選ぶのは個人の好みで良いように思いますが、少なくとも良い面とそうでない面を見分けられるような、そういう目を先んじて持っておきたいところです。

自分の感覚で見分けられる、それと同時に、諸般織り交ぜながら分別ができるようにして、物事をしっかり把握することからはじめていきましょう。

続いては、良い面とそうでない面を分けて見る時に、自分はどちらをより多く見るのか、または、どちらの面をより見ていたいのかを考えていくわけです。

多くの人がどうなのか、果たしてどのような傾向があるのかはわかりませんが、個人としては良い面を多く見ていきたいし、その方が健全である気がします。

良い面を見る、それは陰陽(=光と影)で見ると「陽」に続くもので、それはまた"今後の"とか"近い将来の"ことを考えることにもつながってくる気がします。

それに、物事の良い面、それが人の振る舞いにおいて素晴らしいものであれば、随時自分に取り入れていきたいと思っているのもあるでしょう。

物事の良い面を見て、自分を高めることに興味を持てば持つほど、あまり人の行動をとやかく言ったり変えようとしたりすることはなくなるものです。

言わば、自分に興味があって、より良くしていこうと意欲があるほどに、人のことはとやかく思うことはないし、今後の自分に大きな期待をかけていくことになっていきます。

一方、物事の良い面ではない方、これは対照的に「陰」と呼ぶのであれば、過去のことやマイナスのことばかりを思ってしまう気がします。

この場合を考えると、なかなか残念であるとか、ドツボにはまっていくようになるので詳細は大胆に割愛していきます。

ただ、どちらを見るのか、それによってどのように物事を見るのかが変わってくるので、続く話が極端に分かれるというのは至極道理であるわけです。

どちらに進むとしても、一旦勢いがついてしまえばそういう傾きのまま進んでいくので、後戻りをすることもままならないでしょう。

せっかくのことなので、物事の良い面を見るようにして、どんどん楽しくなるように、どんどん愉快なことになっていくように思っていきたいものです☆

 

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毎日と長い目で見て

 

1日ごとを生き抜くことと、長い年数を生きること、感覚としては同じようで少し異なるもののように思います。

どちらを優先するかということではなくて、どちらも大切にしながら、その双方をどうやって考えていくのかという問題にもなるような代物です。

たとえば、明日を無事に迎えるためには、今日の1日をどうにか生き抜かないといけない、そういうことでは1日ずつ、いつも無事に過ごす必要があります。

ただ、それが先の何かにつながるようであってほしい。

今日を生き抜くことに必死なあまり、明日に何も残せないのなら、また同じように繰り返すばかりで、そこには成長や変化があまり生じてこないように思います。

今日の1日ずつを過ごしていくうちに、自分の望む何かに手が届くとか、多くの時間を過ごすことができたとか、今日の工夫や取り組みによって0.1%でも上乗せできれば良いでしょう。

これが、消耗するとか疲弊するとかで、逆に0.1%目減りするようであっては、今日の必死さが裏目に出て、明日はその少ない状態からはじめなければいけないものです。

それが同じように目減りしてしまえば、時間が経つほどに損なうものが多いということになってしまいます。

このあたりの前後関係だとか因果関係が今はまだ上手に説明しきれないものですが、ひとつに言えそうなことでは、遠い先に何も目指さないようでは、ここから出す一歩をどうすれば良いのか、向かうこともなければ積み重ねることもできないことがあります。

いわば、遠く先を見やる視点も大切ですし、今日の足元を見る視点も大切で、その双方を行き来しながら目の前のことに取りかかっていくのがもっとも良いように思います。

あるいは、自分の気力・体力の充実を考えるようにして、情熱やエネルギーもまた、上手に燃やせば自分の活力ともなり得るものです。

上手に使えば次につながるとか、より多くのものを得るのが順当なところで、今日の一足が明日につながり、今後や将来にまでつながるものなのかをしっかりと把握して知りたいと思います。

毎日が、朝にはじまって夜に1日が終わる、誰にも同じように時間が流れていくなかで、どう過ごしていくのか、こういう発想を組み合わせながら考えていきたいものです。

単純に時間を浪費するとか、絶好を機会を失うことのないように、少しでも前とか上を見て目指すくらいの、そういう意気込みを持っていきたいと思います☆

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限界を突破する

 

ほとんどの人はそうだと思うのですが、毎日少しでも良くなろうとして、何かに取り組んだり考えたりしているものです。

自分の暮らしぶり、収入や活躍の度合い、体力や知力など、今の持っているものより多くあろうと心の中で望むものはあるはずです。

そのために、いろいろな工夫を地道にしながら、どうにかならないものかと思っていることでしょう。

こういう日々の取り組みなしには、何もなし得ないものですが、限界突破(ブレークスルー)のようなことも、一方ではあるような気がします。

たとえば、階段を一段ずつ進んで上っているような時に、エスカレーターとかエレベーターでスイーッと上の方まで行くようなことがあるはずです。

はじまりとしては自分の足で進んでいくしかないけれど、とてつもない追い風が吹けば、それだけで勢いは加速していくような具合です。

こういうことは、今ある仕組みや枠組みを大きく越えて、異なる次元に行くような、自分でも知り得なかった境地に行くようなことなのかもしれません。

新しい事柄というのは、自分にとっては目新しいことなのだけれど、一体どういうものなのか、言い換えれば未知のものでもあるということでしょう。

詳細は何かはわからない、それでも今の自分にはないものだということは知っている、そういう期待と不安が入り混じっているものとも言えそうです。

では、そういうものを手に入れたいとか、自分の限界を越えていきたいと願う場合、どういうことを意識すれば良いのでしょうか。

ひとつの例としては、遠く離れた人と会話を楽しみたい、実際に会う以外、手紙や伝書鳩に頼らない方法は何かないものかと模索することでしょう。

途中の経緯はもちろんあるものとして、そういう思いや願いがあいまって、今日の携帯電話(ケータイ、スマホ)の発達に行き着いているように思います。

これが、何も知らずに目にしたら何とも面妖なものよと思うもので、それまでの自分の発想にはないために当然の反応と言えるでしょう。

これが、自分の限界を越えて、得意なことやできることは何かを見出したい場合、自分の外側にそういうものは何かあると強く信じてやまない、そうやって日々取り組んでいくことが最初にあるはずです。

それと同時に、どうにかしたいと思う、そういう自分の内側から溢れる情熱や熱意、エネルギーがないと、限界という殻は破れないはずです。

自分の限界を越えたところに自分の望むものある、その思いをもとに今日も懸命に取り組んでいきましょう☆

 

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