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傍島康始|ブログ

Month: 9月 2019 (page 1 of 5)

的を射る物言い

 

人としてとか、頭の使い方としてどうにも「頭わりーな」と思うことがあっても、「あなた、@@ですか?@@ですよね!」と言ったところでカドが立つばかり、一触即発のケンカにだってなりかねません。

いくらそう思っていたところで、何にもくるまずに言うことはできない、それでも自分の感覚だけでなく、まっとうな人が思う常識や良識に照らし合わせて見ても、どう考えても"@@"であるとしか思えないことはあるものです。

今は自分しか見えていないような人が多いのかもしれませんが、それにしてもいかがなものかというのが横溢していますし、それがひとつの"正しさ"であるかのようにはびこっています。

たとえば、自分さえ良ければ良いとか、多くお金が入ってくるから良いとか、だいぶ度を越えてしまえば、それはまた毒であり害となってしまうものです。

そういう節度のようなところで、どのあたりがちょうど良いのか、極端に振れることなく適当にあることができるのか、そういう発想、頭の使い方をしていくのが良いように思います。

案外見えないのは自分の足元であるので、いつも確認しているようでありたいものです。

決して多数決で定まるばかりではないし、少ないから清いばかりでもなく、自分の足元を見て、今の立場を鑑みるのが良いかもしれません。

実際に立っているという立場もあるでしょうし、役割や主張のようなところでの立場もあるでしょう。

もしも自分の意に沿っていなとか、それはいかがなものかという場合、いくらか速やかに是正していくのが良いと思います。

そういう頭の使い方ができるのが好ましいし、こういうことは日頃からの少しずつの取り組みがモノを言うわけです。

日頃の取り組みによって、良い頭の使い方を推進していると、そのうちに"@@"であるようなことも別の言い回し、伝え方もできるかもしれません。

それはするかしないかはまた考えるとして、自分自身の教訓として、または、知性の涵養のためには、こういう様子をどう解釈するか、または、どういうものが対極にあるような"良きもの"なのかを考えていきたいものです。

そのための余地をいつも保つようにするし、それによってきっと"良きもの"に導かれるように、自分自身もまた良いことになっていくことでしょう☆

 

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物事を明らかにする

 

いつの間にか、小事が大事になっているような、雪のまとまりが大玉になっていくように手のつけられない・手のつけにくい事態に陥ることが「ない」とは言い切れません。

手をこまねいているうちにそうなっていることもあれば、水面下でとか陰でとか気づかないところでそうなっていることもあるでしょう。

ただ、それをそのままにしていては、その勢いでよりそうなっていくだけのことですから、どこかで歯止めをかけ、向きを変えていく必要があります。

速やかに「それは無理だよ」だなんて諦めの境地に行くかもしれませんが、そもそも「諦める」のもとは「明らかにする」ことですから、問題をよく見て、丹念に紐解いていけば良い。

せーの!で一度にやることは難しいとしても、どこかに取っ掛かりを見つけて、少しずつ打破していくのが良い気がします。

当事者になってしまうとどうしても慌てふためいてしまうもので、これも普段からの姿勢や心構えがあると良いでしょう。

まずは深呼吸をしながら、今が一体どういうことなのかをよく見る=観察するところからはじめたいものです。

これは、慣れていくうちにできることでしょうが、たとえば、絡まった糸玉を見て糸が絡まっていることはわかる、やがてどう絡まっていて、どうやってほぐせばよいかまではわかるようになってきます。

実際にほぐせるかどうかはわからないし、やってみないことにはその後の展開はわからないものですが、物事の様子がわかってくるかどうかは大きな分かれ目ではないでしょうか。

メガネにしても、曇ったままでは先は見通せないもの、レンズを拭くことを覚えれば視界は開けるわけで、それを真っ先にやりたいものです。

これは、頭の使い方、知性の発動の仕方に相通じることでもあって、問題の様子を観察すること、解決の糸口を探ること、解決に向かって取り組むことなど、段階をいくつも分けるように考えていくのが良いでしょう。

また、わかることはまた、知って→できるようになる過程のことを言うので、それも順を追ってできるようになると良いものです。

あとは、この一連の流れを身をもってわかるようにしていくだけ、山の頂は見えているのであれば一歩ずつ足を前に進めていくだけのように思います☆

 

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思うを強く夢を見る

 

寝ている時の夢というのもありますが、起きている時に見る夢もあって、それは願望とか妄想とか、何かしらを思っていることを言うように思います。

自分で知ってか知らずか、心の底では何を望んでいるのかが夢には現れることもあって、そこでまた思い直すこともあるでしょう。

それは必ずしも現実逃避ということばかりでなく、今の状態が不満で溢れているばかりでもない。

いつも完全に満たされてはいないと言うこともできるでしょうが、きっと、より望む何かがあるのはもっと成長したい、もっと良くなりたいととらえるのが健全である気がします。

そうやって、これまで以上の何かを求める、そういう衝動があっての夢ということになるのでしょう。

もちろん、ある程度時間が経たないとできないことや、多くの人の手助けや手間がかかるようなことはありますが、だからといって現状に甘んじてはいけないように思います。

確かに今はそうではない、それでも何とかしようと思っていないと、ただ現状を維持するだけになって、いつも間にか前にも後にも進まなくなってしまうものです。

こういうことも、ある程度、気持ちや考えにゆとりがないと思いを馳せることもできませんので、深呼吸をして落ち着いた状態を1日のうちで数分でもつくる、そこからはじめるのが良いでしょう。

そこで何をどう思うかも大切ですが、それを力強く思うこともしていきたく、そういう思いの濃さが次第に現実味を帯びてくるものです。

季節が巡っていくにつれてとか、いろいろなことを試しているうちにとか、自分の気持ちや考えも少しずつ変わっていくもので、なるほど、いつまでも今と変わらずにはいられないものだなと、静かに得心することもあります。

たとえば、今日何をしたいというところからはじまって、数ヶ月先や年末に向けてとか、どうなっていると良いのかなと思いを巡らせていくのが良いでしょう。

もっとも身近な例で言えば、「ラーメンが食べたい」となれば、ラーメン屋に行って「ラーメンください」と言えば目の前に「はい、ラーメン一丁!」と出てきます。

これは、食べたいと思うところからはじまって、ラーメン屋に行く、注文するという行動になって、思っていることがかなっているわけです。

夢の大小は関係なく、そうしたいと思えばそれがかなう行動をしていくだけのこと、その流れを上手に乗りこなしていきたいものです☆

 

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