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傍島康始|ブログ

Month: 7月 2019 (page 1 of 4)

風に任せるように

 

物事が上手に進まないとか、進んでいない場合にどうするのか、どうしてもヤキモキしてしまうものです。

これも、コトの流れを読むのが大切で、無理にでも進もうとすれば抗うことになるし、何もしなければひたすら波に飲み込まれるということになってしまいます。

そのどちらもが有効でない場合には、少し異なるとらえ方というか、少し発想を変えてみるのが良いように思います。

それは、川の流れで言えば、力みがちな自分の身体から力を抜いてみる、そうすると、どの方に行くにしても上に浮かぶわけです。

流れのどちらに行くにしても、浮かび上がっていることで上空から見つけやすいがために、ヘリコプターでの救出がくるような、そういう感覚を持っていると良いように思います。

右か左かだと思っていたことは、実際はそうでないし、その意外な向きで解決策が見出せるということになります。

それと同じようにして風に身を任せることで、向かい風も追い風に変わることはありますし、風の吹くままに行けば思いもかけない素晴らしいところに導かれるように思います。

こういう感覚を、時間においてもあてはめてみると、今はそうではないとしても「(今はまだ)・・・でない」というように考えるのが良いかもしれません。

物事のおおよそにおいて、今の状態がこれまでずっと続いていないように、これからもずっと続くわけではありません。

大変な時とか、多くの困難に見舞われている時には、まさに渦中にいるだけに視野も狭くなりがちですが、どこかではじまりが来たように、どこかで終わりが訪れるはずです。

また、望むことが今はまだかなっていないとしても、確かに今はそうではない、ただこれからはどうなることかと、そっと留保を促しておくと良いでしょう。

そう思っておくことで、これは今後の「良いこと」が訪れる前触れであって、実際には思っている以上の「良いこと」があるような気がしてならないし、そうなっていくことでしょう。

今一度強調するように述べておきますが、何を望むのかは自分の思いによるでしょうし、期待を上回るほどの望みもまた、何かを思っているから訪れてくるように思います。

思うからそうなる、そうなるからそう思う、どちらかが先でも良い流れにあるようにしていきたいものです☆

 

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暑さを増して

 

梅雨明けが間近だとか、蒸し暑さも次第に増してきて、今年もしっかりそういう季節が訪れてきています。

それも含め、月日の経つのは早いもので、今年も半分以上が過ぎて、むしろ後半戦真っ只中にあるということになっています。

この夏はどうしよう、今年の後半をどうしようと思案しながら、より充実を増すようにしていきたいものです。

近いところで、やりたいことを並べ上げて、ひとつずつに取り組んでいけるように、その試みは速やかにやるのが良いでしょう。

そのひとつになるのでしょう、半袖Tシャツ一枚でも十分に過ごせる、それでも着替えをするくらい汗が出るようになって、替えのTシャツについて思いを馳せるようになっています。

もとより、自分自身はTシャツ(特に黒)が好きなだけに、気がつけば何か興味深いデザインはないものかと、今年も結構調べているというのを感じます。

それに次いで、いくらかは新しく手に入れるとか、手元のものを見直して一部入れ替えるとかして、今年なりのラインナップ=品揃えをしていきたいなと思います。

ただ、これもいくらか工夫をするのも良くて、たとえば白いTシャツを多めにするとか、他の色も試してみるとか、変化を加えるのにやり方は多くあるものです。

同時に、安心するというのもあるのでしょう、これまでと同じようにしてその延長戦で物事を考えることがあります。

それも何ら問題はないし、もちろん良いわけですが、だからといって、今年がいつもの通り過ごさなければいけないわけではないし、大幅に変えても良いわけです。

おそらく、繰り返すとか断ち切るとか考えずとも、「今、何をしたい」というのを忠実にして、その時々をいかに楽しむのか、これを大切にすると良いのではないでしょうか。

振り返ってみればとか、考えてみればいつもと同じ/異なるというだけのことで、そこに傾向とか特徴が現れるということなのでしょう。

スポーツ観戦が多かったとか、映画を観る機会が多かった、そうなればよりそうなることは多くあるので、今の興味・関心がどこにあるのかを知っていくのが良いかもしれません。

今年の夏をどうしたい、考えもするけれど楽しさに導かれるままに過ごしていく、そういうことで良いように思います☆

 

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何を投げかける

 

自分の主観、自分の頭で考えながら自分の目で見ていると、目に映るもの、視界に入ってくるものに対してあれこれ意見を持ったり、注文をつけたくなったりすることでしょう。

これについて、もっと考えや思いを広げていかないと、どうして、自分の身の回りは今のようであるのか、時として不平や不満につながっていくかもしれません。

これは、知ってか知らずか自分の見たいように物事を見ているし、場合によっては、自分の望むものがただ目の前に現れているということが言えるわけです。

もう少しシンプルに考えてみると、楽しそうにしている人は楽しそうにしているがゆえに、何を見ても楽しい、何をしていても楽しいことになっています。

その"楽しい"という状態に行こうとして、実際にはその中にいるからさらに"楽しい"ことが訪れるということになっていきます。

また、"楽しい"こととは、それは自分の主観でとらえるもののため、決して数値で測れるようなものでなく、そう思えばそうであるとしか言えない気がします。

少なくとも自分にとって楽しいと思うとか、楽しいとしか思わないようにすることで、誰と比較することもないし、他のこととの優劣を見ても仕方がないものです。

これと前後するようにして、自分が楽しい方向かそうでない方向か見ていると同時に、どういう状況に自分自身が囲まれているかを知ることも大切かもしれません。

これも、自分が何を思うかに関係してくるし、それは何を思っているから実際がどうなっているかに関わってくるわけです。

もしも自分の身の回りであまり変化がないようであれば、それはあなた自身が何も変えようとしていないのではないか、変化をもたらすようなことを何もしていないと考えていくべきではないでしょうか。

何も思わないようであっても、きっと身の回りのことも時間の過ぎ方も、随分と平坦なままで成り立っているのでしょう。

中立的というか、ただ物事はあるだけですし、時間もただ同じように刻んでいるだけのように思います。

これは、あくまで自分自身がどのようにして、この今に関わっていくのか、その心構えや態度を含む姿勢ということになるのでしょう。

何を望むのかはあなた次第、そして、どのようにしていきたいのか行動につなげるのもあなた次第、つまりはそういうことなのかもしれません☆

 

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