知っていることと、知らないこととの対比・比較。

知識や技術において、知っていることは大いに活用し、そうでないことはしっかり知ろうとする、そういうことの繰り返しでいるのが良いように思います。

頭の使い方として、自分の知っていることは誰もが知っているとは思ってはいけないし、案外多くの人が知っているようなことを自分が知らないものです。

これは興味深いことのように思いますが、テレビやラジオで「全米が熱狂」とか、「全米が感動」のように煽ることがありますが、それほどまるっとそうなのかと言えばそうでもないわけです。

日本においても、今ではタピオカ・ドリンクのように、誰もが注目!みたいに言っていますが、自分自身ではそれに乗じて飲んだことはないので、早くも例外が生じています。

こういうのも、実際がどうで、関わっている人たちがどうしたいのかを知る、ただ現象として見ているだけではわからないことが多くあるものです。

本当に知るということは、見える様子にみならず、どういう仕組みで動いているのか、もしかするとそういうものの多くは見えないものなのかもしれません。

見えないから「ない」わけではないので、そこにどれくらい目を凝らすことができるのか、そういう発想ができるのかどうかが大切なような気がします。

また、自分の興味のあるなしで、どうにも見えるものが変わってくるので、人それぞれの背景や視点の違いで、世界の切り取り方が変わってくるというものです。

たとえば、皇居に立ち寄るとして、ここはやんごとなき方々がいる場所だと思うのか、走るのにちょうど良いコースととらえるかで、自分の格好も振る舞い方も変わってくるようなものです。

それが少しずつ傾向として現れてくるのであれば、以降はよりそうなるだけなので、合っている・間違っているということではなくて、単純に差異が生じてくるだけのことです。

何を知っているかと同様に、何をどれくらい知っているのかを自分で知ることができているのか、そういう感覚を養っていくのが良いと言えるでしょう。

これは、適度に取り上げていきたい話題でもあって、時々棚卸しや整理をするように、知っていることについて、自分はどれくらい知ることができているのか随時確かめていきたいものです☆

 

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