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傍島康始|ブログ

Month: 6月 2019 (page 1 of 4)

時期ことの差異

 

自分で気づいているのかどうか定かではありませんが、どうにもぼんやりとした様子の人を見ることがあります。

ぼんやりに限った話ではなく、それは自分の立ち居振る舞いがどういうものであるのかをわかっていない、それゆえに自分の言動が跳ね返ってくることを知っていないとも見て取れるものです。

年齢ということもあるでしょうし、その人にとっての段階ということもあるでしょう。

 

以前はこうだった、本来はこうであるはずだと言われたところで、今がそうでないように見えるのであれば、どうにも空回りする発言のように思います。

あるいは、今は鳴りを潜める時期であるとか、今は果敢に攻める時期だというのはあるかもしれません。

大切なのは、自分で意識してやっていけるように気づいていて、あえてやっているくらいということになる気がします。

あるいは、人が時間的な生き物であるととらえれば、その時期ごとに自分がどうであるのかを知ると同時に、どうでありたいかを考えておくと良いように思います。

先の話ではありませんが、どうにも自分の視界に紗がかかっているような様子では、先行きも見通せないでしょうし、ますます見えなくなるようでは何もかもが不明瞭になってしまいます。

目を開いて、あたりを見渡すことからしっかりはじめていきたいなと思いますが、こういうのは普段のどういう心がけ・姿勢から生じるものなのかも気になるところです。

これは、成長に関して貪欲であるとか、刺激を得ることに敏感であるとか、どういう言い方をするにしても今よりもっと良くなろうということの現れなのかもしれません。

今の連続によって、自分なりの歩みが形成されているわけですが、逆説的には、今をどう連続させていくか、その重ね方次第ではどう歩んでいくかの道筋が、いくつも分岐していくようにも思います。

昨日の続きが今日で、今日の続きが明日だとしても、同じことを繰り返さなければいけないわけでもないので、急に思い立って遠出をするとか、いつもと異なることをしても構わないでしょう。

また、時間を区切って、今の取り組みは何だ、どう取り組むのが最適かなど、明確に切り分けても良いかもしれません。

こういう、時間の感覚であるとか、自分の言動を省みるとか、少し大きな枠組みで物事を考えていくのが、もっと自分を押し拡げるために必要でありそうです☆

 

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混沌のうちに

 

いつの世もいつの時代も、"これで良い、十分"ということはなく、何か新しいものであるとか、何か別のものを追い求めているように思います。

いつも過渡期であると思えば、移り変わっていくのが当たり前とも言えるわけですが、今の世界は果たしてその方向にあるのかどうか、どうにも定かではないところもある気がします。

何を目指して良いかわからない、何を目指すのが妥当なのかもわかっていないとあれば、行き先不明、進んではいるかもしれないけれど、足取りは不案内ということになります。

人の多いところに行けば、それぞれ思う格好をしたり、好きに行動したりしているわけですが、何となくまとまりがないというか、行き場のないエネルギーを抱えているように思います。

個人においてもそうですし、街とか地域とかもそうで、何に向かっているわけでもなく、何を目指しているわけでもない、それは一部に確かにあるものでしょう。

価値観が多様化していて、それがバラバラにあるだけ、そういう意味では、人によっては思いあぐねるとか手をこまねいているのも腑に落ちるところです。

それを比較するように思う時、ただ秩序のない「無秩序」と、いろいろなものがごちゃ混ぜになっている「混沌」とでは、一見して見える様子は同じかもしれないけれど、しばらく見るには随分と異なるもののように思います。

今は前者の様子が強いように思え、ともすれば自分さえよければ良いとか、周りにいる人やモノに関心をさほど持たないとか、視野が狭くなっているかもしれません。

どちらかと言えば「混沌」ある方が望ましく、得体の知れないエネルギーをかき混ぜていくうちに、それが新たな何か、次なる何かを生み出していくように思います。

それが個人においてもそうするし、親しい人、周りの人などを巻き込んでいくというのが、より強力にエネルギーをかき混ぜることができるようになるはずです。

抵抗が大きいとかき混ぜるのも容易ではありませんが、そういう手強いものを相手にすることで、より膨大なものを得るような気がします。

薄まった何かを、いつまでもかき混ぜたところで何も生じることはありませんし、それこそ徒労で終わってしまうかもしれません。

自分の中にあるものも混沌としていながら、それはモヤモヤと思うかもしれないけれど、それをキッカケに目の前のことをひとつひとつ打破していきたいものです☆

 

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行き先を決める

 

どこに行きたいのか、自分なりに何もないとどこにも行き着かない気がします。

これは、「何をしたい?」、「何を食べたい?」と聞かれた時に「わかりません」と答えるようなもので、当の本人がわかっていないのなら他の人ではなおさらわからないということになります。

わからないことがわからないままでいる以上、何もはじまらないし、周りとしても何をどうしたら良いものか、手の差し伸べようもありません。

自分なりの行き先というか、それは当面のものであっても構わないものですが、今の自分が何を望んでいるのかを明らかにしておくべきだなと思います。

そうやって行き先とか向かう先を決めるのと同じように、いつまでにそうするという期限もある程度定めておくと良いのかなと思います。

これが旅行であるとか、今日の予定とかを考えるといつ、どこで何をしたいというのがかなり明らかになるのにも関わらず、もう少し大きな範囲では何も決めていない場合が多いような気がします。

これも人によって異なることなのかもしれませんが、漫然と過ごしているうちにどこかに行き着くのを待つのではなく、行きたいところに向かいながら進むというのが良いなと思います。

これは、海に漂っているだけなのか、潮の流れを待つとか、風の吹くのを待ちながら海上にいるのとでは、同じ海にいることだとしてもその後の展開が大きく変わってくるでしょう。

行きたい場所にしても、いつまでにどうするのかの期限にしても、あらかじめ決めておくと、そこに至る道のりを小刻みにして、今の自分が何をすべきかが明らかになってきます。

遠く視線をやって思いを馳せるのと同時に、手前のことをしっかり取り組んでいく、そのふたつがあるときっと気持ちにも張り合いが出てくるように思います。

それほど切迫した思いを持つことはないとしても、過ぎていく時間に対して、どれくらい充実した日々を過ごしていくことができるのか、あるいは、自分なりのテーマをどれくらい持ち続けていけるのか、大切なのはそこの部分のような気がします。

いろいろめまぐるしいことになれば、その速さに戸惑うかもしれませんが、そういう勢いのうちにいるというのが、多くの物事を展開するのに適しているはずです☆

 

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