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傍島康始|ブログ

Month: 5月 2019 (page 1 of 4)

少しずつ受け持つ

 

身の回りの生活のことで、少しでも分担し合って、それぞれが少しずつ受け持つと良い場合がそれ相応に多くあるように思います。

ひとりにおいて、仕事、家事、育児などを受け持っているだけでなく、本当にひとりですべてをやっているという人もいることでしょう。

今は、自治体や企業のサービスを活用することで一部は頼れることもありつつ、それでも出費を伴うとか、手続きが煩雑だということがあるかもしれません。

自分の持てる範囲を越えてしまえば、できないことも増えてしまいますし、それでは周りとの連携を取るとか、地域の活動に関わるようなことはできなくなるかもしれません。

必ずしも時間にもお金にも余裕があるわけでもなく、そういう発想すら浮かばないとも言えるかもしれません。

その、できないがゆえに孤立してしまえばより負担は増すばかり、なかなかに大変さばかりが募ってしまいます。

どうしても、1日24時間しか使えないとあれば、その密度を濃くするのか、多く時間をかけるしかないので、酷使すれば心身は磨り減ってしまいます。

そこで、身近な家族・友人がいることに加え、知人もまた多くいることで、意外と解決する問題も多いでしょうし、人手が多くあるということだけでも随分と心強い気がします。

そういう大きな関わりにおいて、お互いに少しずつの時間と労力を出し合うことで負担は軽くなるでしょうし、円滑に進むようであればそれを負担と思うこともないでしょう。

ただ、それは普段の生活においてかなっていくものですし、それこそ不断の意識と行動が求められてきます。

自分の心がけ・姿勢がどうであるかによって、良い出会いが生まれ続いていくものなので、もしも上手くコトが進んでいないということは、今までの自分を省みるということが求められるわけです。

それも、今までがそうであったというだけで、これからも同じように続くわけでもなく、少しずつの工夫が少しずつ実を結んでいくものです。

まずは、人付き合いの持つ可能性に気づきながら、どういう状態になるのを望むのか、思い描きながら普段の生活を営んでいきたいものです。

せっかくの今生のこの機会、より充実した生活を送るのが良いように思うので、できることの少しずつに取り組んでみてはいかがでしょうか☆

 

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思えばこそ近づくもの

 

普段はあまり先のことを具体的には考えられないもので、まずは手前の一週間をどう過ごすのかを考えることが多いです。

一週間をひとまとめにして考えることで、その一日ごとをどのように過ごしていくのかが割り出せます。

予定を分刻みで入れ込んでいくというよりかは、いくつかの用事をこのあたりで済ませられると良いなという、おおまかな目安で考えていくわけです。

また、絶対にその日その時でなければいけないというような場合も、前後の予定を見ながら考えることになるので、一週間で考えるというのが適当なのかなと思っています。

場合によっては一ヶ月の間隔で考えることもあるとしても、それはまだいくらか融通が効くものであるかもしれません。

そして、一週間ごと一ヶ月ごとで振り返ってみると、なるほどよほど突発的な物事でない限り、おおむね思っていたように予定をこなしていることが見て取れます。

ここからわかることは、一週間の予定において、こうするああするというように、あらかじめそう思うからその通りに動いていくわけで、思ってもいないことは当然のように起こることはないわけです。

それをひっくり返せば、思えばそうなるものですし、転職や引っ越しのような、いくらか大掛かりなことも、時間や手間はかかるかもしれないけれど、思うからかなっていくということもあるはずです。

つまり、思う/思わないは自分の自由ですし、いくらか制約があるとしても、何も思わないことには何のキッカケも手にすることができないということなのでしょう。

どこに行く、何をするにしても、これがゴハンであるとか買い物であれば、他の人からのお誘いがあるかもしれません。

もう少し個人的なことと言いますか、目の前のことばかりでなく、一ヶ月、一年、一生みたいな範囲で大きく考えていくには、自分自身で気づき、そう思わないことには何もはじまらないということではないでしょうか。

このあたりの、思うが先か行動が先かみたいなことはあるかもしれませんが、極めてシンプルに考えれば、思うことと実際に起こることは関連があるのだから、何も思わないよりかは、自分がどうなりたい・どうしていきたいことを思い描いた方が良いと言うことになります。

今の自分は何を望んでいるのか、空いた時間を見つけては、自分の心の内を眺め回してみると良いなと思います☆

 

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伍するのは誰と

 

人は人と交流して、仕事や生活、大きく言えば人生そのものが動いていきます。

身近な人を大切にする、これまで関わった人にも思いを馳せるだけでなく、普段どのような人たちと関わっているのか、また、今後どのような出会いがあると良いものか考えを巡らすのが良いように思います。

これは単に関わる人が多いとか、知り合いが多くいるから良いというのでもないところが、実に興味深いところだなと思うわけです。

自分が関わる人がどういう人なのかを知ることが大切で、「類は友を呼ぶ」のと同様に、「友とすれば類となる」こともあるように思います。

自分と同じような気質、雰囲気、考え方など、重なる部分があるから一緒の時間を過ごしたり、行動したりすることになるものです。

これまた、たとえ上記のようなところで重なるところが少なかろうとも、一緒にいるうちにお互いに何だか似てくるとか、お互いに影響を与えるとかすることもあるでしょう。

たとえば、自分がスポーツをして身体を大いに動かしたい、そういう時間を多くしたいというのに、読書会に参加する、裁縫に取り組むとあってはそれはかなわないことになります。

また、歴史の研究をしたい、遺跡や文献にあたりたいというのに、公園でバドミントンをしていては、何をかやるというのかということです。

自分のやりたいことを明らかにしないではいけないのもありますが、飛び込んだ先に自分が馴染むことになるので、何が何でも良いわけではないことを知っておく必要があるはずです。

そういう、先に目的を定めるというのもひとつの手立てでありますが、一方では、素晴らしい人たちとの出会いによって、自分の取り組むことが決まることもあるかもしれません。

この場合では、何をするのかということよりも誰とそうなのかということに重きが置かれ、いつも新鮮な刺激を得られるとか、何を取り組むにも懸命に行うとか、目に見えるところではないところでの良さがある気がします。

いつも楽しいばかりではないし、決して競争ではないけれど、いつも切磋琢磨し合うとか、お互いに叱咤激励して高みを目指すとか、そういう雰囲気が心地好いこともあるはずです。

これも、自分がどのような人になりたいかとも関係があることなので、自分がなりたい人、自分がやりたいことをいつもありありと思い描いて、少しでもそれに近づくことが良いなと思います☆

 

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