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傍島康始|ブログ

Month: 4月 2019 (page 1 of 5)

今何時かと置き換えて

 

これが、武田鉄矢さんだったか、坂本金八先生だったか定かではありませんが、おおむね同じ人が紹介していたことがありました(他の人だったかもしれない)。

それは、自分の年齢を「3」で割った数字を時間に置き換えてみると、だいたい自分の人生どれくらい過ぎているのだろう、今はどのあたりにいるのかという目安にできる考え方です。

たとえば、30歳くらいでは"10"になって、これは朝の10時に相当する、60歳くらいでは"20"、夜の8時といった具合です。

前者では、そろそろ日が昇って活動が活発になるあたりと見て取ることができて、実際にも働き盛りで、大いに活躍が見込まれる年齢ではないでしょうか。

一方、後者では一日の終わりの方が近いわけで、そろそろ寝支度をしようというあたり、人生においてもひと段落するような頃合いではないでしょうか。

人によっても、年齢によっても置かれている状況は異なるので、ひとくくりにしてどうだというのはなくて、傾向としてとか、ひとつの特徴としてそうであるというのは見て取れそうです。

生活のリズムにおいおて、朝型・夜型によっての差異もあるでしょうし、どこが人生のピークとなるかわからないものです。

また、今はだいぶ長く生きる人が多くなってきているので、そういう意味では一日が長いもの、あまり強くとらわれて考える必要もないかもしれません。

ピークの先に本当のピークがあることもあるでしょうし、思っていたのとは異なるカタチで花開くこともあるでしょう、それだけに「何があるかわからない」ことを楽しめるかどうか、これが大切なことのように思います。

自分なりの時間を歩んでいくことが大切ですし、もっと発想を繰り広げていくと、「次の日」があるとも考えることができるわけです。

今日は昨日の続きで、明日は今日の続きなのかもしれませんが、気持ちだけでも仕切り直し、今日も今日とて挑んでいくことが大切です。

時計になぞらえて考えていくと、なかなか楽しいことになっていきますし、より楽しくなるようにとらえていくのが良いのでしょう。

冒頭の考えに照らし合わせていくと、やはり30〜40歳代が活躍の見せどころだと思うので、都合の良いところを採用して、自分自身の発奮材料としたいものです☆

 

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臨機応変にして

 

今年のゴールデンウィークは、天皇陛下の退位、元号の変更、曜日と日付の並びによって、どこまでが休みで、どこまでが休みでないのか、少しわかりづらいところがあります。

月もまたぐことですし、振り替えや休みに挟まれたらそこは休みだとか、一目見てわかるということがないものです。

しかも、全員が一斉に休みになるようなものでなく、たとえば行楽地やイベント会場に多く人が訪れるのであれば、その仕事に従事している人は出勤しているわけで、普段の休日・平日の拡大版ということになるのでしょう。

一週間ごと、一日ごとの予定、自分がどこへ行って何をするというのを逐一確認しつつ、時間や場所を間違えないように、今のうちに備えておきたいものです。

あとは、天気がどうなるものか、例年ですとここらで一度グッと夏に近づきて、気温がだいぶ上がるもので、水分補給、汗の始末含め、何を着るのか思案するものです。

いまいち明確でないところも多くありながら、先の予測というのもその通りになることが少ないもの、その時々で適切に振る舞えるように、基本的にはあまりかしこまらず、なるようになる、なるようにしていくだけだなと思っています。

こういう、いろいろ盛り沢山な機会もそうあるものでないだけに、どこか浮き足立ってソワソワする気分も出ています。

楽しい、嬉しいということで浮き足立つのなら、それもまた良いのかもしれませんが、迂闊さや軽率さで足元が不安定になるのなら、それは是正しておくべきだなと思います。

事前にできることはする、下調べをする、そして、臨機応変に柔軟に対応していく、今のところ言えるのはそれくらいでしょう。

よくよく考えると、上手につなげると10連休になるということですが、これは月の三分の一にあたる長さで、休みだからといってそのまま休んでいるようでは、その時間が少し勿体ないようにも思います。

特に何をするわけでもない、それもまた良いとは思いますが、行き過ぎて怠けてしまうようでは、その後の普段に戻る時が大変であるように思います。

適度に刺激、適度に緊張感を持って、気持ちや出来事など、何かしら充実するようでいると良いのかなと思います。

いつにない、異例とも言えるのが今年のゴールデンウィークであるので、目前にしてそんなことを思いました☆

 

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折衷案を採る

 

「ありがとう」という言葉は良い言葉だから、たくさん言うと良い、良いことが多くありますよというとらえ方があります。

言えば言うほどに良くなるのであれば、言わないよりかは言った方が断然良い、そのように思ってできるだけ多く言うようにしていました。

ただ、これには考え方の"からくり"があるようで、たくさん言っているだけでは心からのありがたみが薄れてしまうだけに、数はむしろ少なく、心からの「ありがとう」を言うようにしましょうという意見がありました。

なるほど、先に「ありがとう」と言うことで次第に心を伴わせるというよりかは、心から湧き上がってこそ「ありがとう」と言うのが良いということなのでしょう。

この、どちらの理にかなっているように思いますし、個人的には気持ちや心がそれほどでなくても、実際に「ありがとう」を言うのに勝るものはないなという気がしています。

この、たくさん言うのか、心を大切にするのかということで、どこか二者択一の様相を呈してくるように思ってしまいます。

どちらも選べないというのを優柔不断としたくないために、どうしたら良いのか、こういうのを欲張ってみるもので、両者の良いところを抜き出してしまうのが良いように思います。

きっと先に「ありがとう」を言うのは、たくさん言っているうちに心がそれに伴ってくるわけで、少しずつでも心を込めていくようでなければいけないわけです。

ただ言うのみにあらず、言っていくうちに心からのありがたみが湧き上がってくる、そのためには何回も言うしかないといった具合でしょう。

イメージとしては硬いものをゆらゆら揺らして、多く長く揺らしていくうちに柔らかくなってくるようなことかもしれません。

また、心を込めて「ありがとう」という場合には、普段の何割か増し、だいぶ誇張するくらいで良いのかもしれません。

それだけ念入りに気持ちが入っている「ありがとう」は、相手にもしっかり届くであろうから良いように思います。

この発想自体、カツを食べたい、ごはんも食べたいと言っているうちに「カツ丼」にすれば解決するようなことで、それほど無理があるわけではないはずです。

「ありがとう」は多く言う、言うにしても心伴わせ気持ち込める、それを成り立たせながら今後も実践を続けていきたいものです☆

 

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