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傍島康始|ブログ

Month: 3月 2019 (page 1 of 4)

会いたい人のいる

 

普段寝起きして生活している中で、特に何を思わなくても顔を合わせる人はそれなりにいるものです。

家族、同居人、友人・知人、仕事での関わりある人たちなど、身近にいれば取り立てて意識しなくても顔を合わせるものです。

一方で、こういう人に会いたいと思い、行動を起こして会おうとしたり、会いたい思いを募らせたりすることもあるでしょう。

憧れのスポーツ選手であるとか、ステキな男性・女性であるとか、普段お目にかかりにくいものだけに、一層その思いを強くするかもしれません。

そういう「会いたい」という気持ちを通じて、自分が普段何を考えているのか、そして、今後どうしていきたいのかが見え隠れしてくるようにも思うものです。

最たるものとしては、自分にないものを有している人、体力であったり感性であったりするし、見目の麗しさ、裕福さのようなものがあるような気がします。

今の自分はそうではないと思っているからこそ、ある人を思って、その人のお近づきになりたいし、自分もそうなりたいわけです。

そのどちらもかなえば嬉しいし、片方でも十分に嬉しことでしょう。

こういうことを丁寧にたどっていくと、どういう人に会いたいのか、それは自分がどういう人になりたいのかという反映なのかもしれません。

意識してかしないでかはあるかもしれませんが、きっと心のどこかにあるから、「会いたい」という気持ちになって表れてくるようにも思うものです。

遅かれ早かれ、どこかのタイミングで、自分の会いたい人を思う、自分のなりたい理想は何かを探るのは興味深いことになるはずです。

それが新しい季節を迎えるにあたって、ひとつの行動のきっかけとなることでしょう。

また、こういうことに関連して思うこととしては、会いたい人がいるのはもちろん、どういう人がまた会いたくなるのか、普段より関わりたい人はどういう人なのかを知ることの大切さがあります。

だいたいが一度会って、そこで留まることが多いもので、また会いたくなるような人は、会いたくなるだけの魅力があるはずです。

自分においても、また会いたいと思ってもらえるくらいの魅力がないと、なかなか物事がスムースに進んでいかないようにも思うものです。

意外とそうではない言動をしてしまっているものですし、実際にそういう人も多いわけで、上手に克服できるとより楽しいことになっていくでしょう☆

 

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少しずつで欲張らない

 

物事が決まる時というものは、わりとパタパタと決まっていくもので、そこで一旦動きが止まると、何だか勢いを削がれたような気持ちになるものです。

勢いに任せたところで、一度に行ける距離がどこまでも続かないように、どこかでまた勢いを増さないといけないわけです。

息をずっと吐き続けることが難しいように、どこかで息継ぎをしながら次に備えることを思えば、闇雲にとか無理とかは禁物のような気がします。

一日が24時間であるように、どこかで区切りをつけないことには休めないし、欲張ることによって得られるものは必ずしも多いわけではありません。

刺激においても同じようなもので、ついつい刺激を求めてしまいますが、淡々とやるべきことをやらないでは、ないものねだりのようなことになってしまいます。

普段において、衣食住を損なうことなく維持するように、気持ちや体調においてもある程度は一定に保っておきたいものです。

不眠不休のままではどうしてもパフォーマンスは下がってしまいますし、それではいかなるチャンスが舞い込んできたところで、しっかり応えることは難しいでしょう。

自分でできることは日々着実にやっておく、それがあるから周囲の期待にも添えるというのはあるはずです。

ある意味では、自分の足元はしっかりと固めておくし、やたら背伸びをして足元をすくわれることのないように、身の丈を知っておくことも必要かと思います。

時間や段階を経ないと進まないことも多い者ですから、待つところは待つ、そういう辛抱強さも持ち合わせておくのが良いでしょう。

確かな成果というものは、何段と数えられる階段のようなものでなく、緩やかな坂道を長く行くことでできるもののように思います。

こちらとしては一歩ずつ進むにしても、今はどのあたりであとどれくらい残っているのか、当事者としてはわかりにくいところかもしれません。

これを、ヘリコプターだとか何だと途中をすっ飛ばすとか、早く行ってしまうようでは、知らないうちに取りこぼしている何かが多いはずです。

まさしく一足飛びになるのは余分な手間がかからないため、つい望んでしまうものですが、達成を味わうにしても大きく遠回りをするくらいでちょうど良いかもしれません。

いろいろ楽しいことになれば良いし、楽しくなるようにしていること自体、楽しさを十分に享受しているとも言えそうです☆

 

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勇み足くらいでちょうど良い

 

何かに取り組むにあたって「準備万端、すべてにおいて抜かりなし!」という状態が最も好ましいのかもしれませんが、勢いに任せてすでにはじまってしまっているくらいなのはいかがなものでしょう。

あまり先走り過ぎて、周囲や関係者各位に迷惑被るようになってはいけませんが、少し早めとか矢継ぎ早にとかでグイグイと進むのが良いのかもしれません。

待ってばかりいても仕方がないというとらえ方もできるでしょうし、だいたいが時間や資金が少ないところではじまるものですから、勢いがあるというのが支えになるというのはあるでしょう。

あとは、何をどうこう言ったところで行動につなげていかないどうにもならないものですし、行動しているから実際が伴ってくるということもあるはずです。

どんなアイディアにしても、試してみて反応を受け取ってみないことには、果たして通用するものかそうでないかを見極めることが難しいものです。

その早さや多さももちろん、とことん突き詰めてみないとわからないものなので、踏み込む深さも大切なのかなと思います。

中途半端にやっているとわからないもので、壁にボールを投げることを思えば、思い切り力を入れて投げるから弾かれるようにして返ってくるというのはあります。

何がどうなるかわからないかわからない場合に、思い切り踏み込むことができるか、暗中模索どころではなく、ブンブン腕を振り回せるのか、そういう度量を身につけておきたいものです。

これに関連するかは定かではないものの、多くの場合では、達成したいと思って立てた目標があるとして、努力や工夫を重ねて達成に向かうかと思います。

ここでは、先に目標、次に行動のような順番になっているのですが、発想を変えてみて、先に行動していくうちに、事後的に目標がこれだった、達成してみて実はそれが目標だったというようにとらえるのも興味深いなと思います。

ゴールを定めて走るのでなく、走っていくうちにゴールを見つけるような感覚かもしれません。

そのように考えると、四の五の言わずに動いてみる、動いているうちに得るものはあるだろうからそれで良いのかもしれません。

しっかり考えることも必要ですが、考えながらも足は止めない、そういう組み合わせが物事を上手になすコツのように思います☆

 

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