SOBAJIMA YASUSHI

傍島康始|ブログ

Month: 1月 2019 (page 2 of 4)

掘り下げていくと

 

今は、表向きは何をやっているかわからないようにして、自分の中の興味や関心を掘り下げていくとどうなるのかを試しています。

目の前のドアを閉じてみることで、また別のところが開くだろう、それはどこのどういう類のものなのだろうかを探っているということでもあります。

それはまた、自分において予測できないことであるので、当然誰に対しても説明ができることではないところが、少し悩ましいところといえば悩ましいところです。

意図的でありながら、だいぶ成り行きに任せてもいるので、その大枠自体はわかるという程度になります。

また、経緯をとらえるようにしてこまめに書き記していくことで、階段の一段ずつ進むのはあまり変化がわからないとしても、やがてひとまとまりのものとして視界が開けるということもあるでしょう。

絵でいうところのスケッチのようなもので、手元のメモ程度であっても、今はそうであるというのを、その時々でお知らせするのも良いかもしれません。

そして、そういうものは必ずしも多くの人の目に触れる必要はなくて、それなりにひっそりとやるくらいで良いようにも思うものです。

これは今にはじまったようなことでなく、わかりやすいよりかはわかりにくい方が居心地が良くて、やたら明らかにすれば良いわけでないと考えている性分も関係しています。

直線的にすっと見渡せるのではなく、どうも一筋ではないとか、どうにもとらえがたいというのは多分にあるだろうなというのはあります。

そんな"わかりやすい"ことが親切ということもあるでしょうが、わからないこと、それはそれでだいぶ深淵であるというように思います。

どちらの良さもそれぞれにあるので、自分においてどういう兼ね合いが良いのかは知っておくのは前提としてあります。

ただ、わからないからといって手を抜いて良いわけでもなく、よくわからないなりに日々積み重ねることはそうするし、継続することもまたそうしていかなければなりません。

自分なりの強い意志がないと、それは怠けるということにもつながってしまうので、それはしっかり自覚していきたいところです。

それは何もやっていないのではなく、何かをやっているが特定の何かのためではないということになるのでしょうか。

これまたわかりづらいことになっているでしょうが、やがて紐解けることもあるのかなと見てもらえたら幸いです☆

 

*シェアはこちらから*

その目で見ること

 

たとえば音楽で、インターネット配信や動画サイトで楽曲や演奏を見聞きすることは多くできるし、CDやDVDなどの媒体を通して楽しむこともできます。

最近ではその種類や量の豊富さもあって、ともすれば、自分がどこにいても"いつでも"楽しむことができるのかもしれないと思うものです。

その手軽さや便利さゆえに、今の傾向はもっと強烈にうながされることでしょう。

ただ、少しクリックすれば、相当な情報をインターネット経由で知ることができる一方で、その場所に行かないとわからないこともまた相当に多いものです。

人とのやり取りもそうですし、大切なことは決して多く出回らないのもまた事実であるものです。

その場所に行く、自分の目や耳で直に触れるということによってわかることは多いし、自分の体験として得ることの多さを知るものです。

あるいは、今・ここで何を思ったり、感じたりしているのか、頭で考えるだけでなく、カラダ全体で知るような感覚を持つわけです。

演劇・ドラマにおいては、テレビ用の見せ方と舞台用の見せ方では、表情を強調するのか、全身で表現するのかといった差異があるそうです。

テレビはお茶の間で楽しむ、演劇は劇場や舞台で鑑賞するという特徴が、その見せ方とあいまって影響を及ぼしているということでもあるのでしょう。

確かに、大きい会場であったり、遠くに眺めているようであったりすれば、画面を通じて見る方がかえって身近に感じるのかもしれません。

それでも、一緒の空間にいるだとか、多くの人の中にいるだとかして、そこでしか味わえない臨場感を知るのも良いものです。

行く道中だとかその前後も含めて、手間はかかるかもしれないけれど、記憶には強く刻まれることでしょう。

これが、旅行にしても食事にしても同じで、今は事前に情報を集めようと思えば、何かと知ることができてしまいますが、自分の体験においてどうなのかを大切にしたいところです。

そこに足を運ぶということもそうですし、その時だから感じることも多くあって、そういう機会をいくつ設けることができるのか、それも意識していきたいことのひとつです。

また、時間が巻き戻しができないように、自分の体験においても繰り返しやリセットはしにくい・できないものですが、それゆえにいろいろな機会に立ち会っておくことが良いように思います☆

 

*シェアはこちらから*

支離滅裂で構わない

 

今は、興味のあるものを片っ端からチェックしていこうということを思っていて、それがあまり興味のないことであっても多少は見ておこうという気持ちがあるものです。

目に触れる、そして、調べる、それは本に行き着くことが多く、ひとまとまりになって読み通すことでわかることがあるものです。

今はWeb上でもインタビューやコメントを見ることができるので、そういうものも駆使しながら取り組んでいきます。

たとえば、新規事業の立ち上げや何かをはじめるということについて何冊か(いくらか)目を通すことで、共通点や差異が見えてくるような感じです。

そして、そこから広がることもありますし、あるいは、あまり特定の分野であるとか領域であるとかに限らず、気の向くまま風の吹くままに任せていくと、さてどうなっていくものか、何が積み上がってくるのだろうという思いがあります。

そういう意味では確固たる一貫性というものはなく、特に今の時期は何を目指しているのだろうというのはいくら説明をしても分かりにくいことであるようにも思います。

ただ、支離滅裂にと言いますか、四方八方に興味を広げていこうということでは一貫性やまとまりがあるものだけに、大きく迂回して何か"本質"のようなものに行き着くのではないでしょうか。

少しずつ同じだけれども、少しずつ異なる、そういうものを柔軟に組み合わせていくことで、ぼんやりと輪郭が浮かび上がってくれば、それで良いのだと思います。

最初から明確に、厳密にやってしまうようでは、新しいものが入ってくる余地がなくなってしまいますから、基本、楽しいものは取り逃さないよという気持ちを持っていきたいところです。

意識しようとしまいと、自分の目の前に表れてくる事象や出来事は、今の自分にとって必要なものであったり、大きく示唆するものであったりするので、今の延長線上にあるもので、急に隣の芝生に入るようなことはないと思います。

自分の中で、良いものは継続して追求していくし、毎日の習慣をやめることもないわけです。

大切なものは大切なものとして、それでどうなっていくかの推移をとらえていくのが良いと言えるでしょう。

遠くにある針の、その小さな穴を見るように目標を立てるのでなく、針のあるあのあたりという具合に周辺の様子も同時に見ながら、前に進むのが良いと思います☆

 

*シェアはこちらから*
Older posts Newer posts

© 2021 SOBAJIMA YASUSHI

Theme by Anders NorenUp ↑

Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial