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傍島康始|ブログ

Month: 1月 2019 (page 1 of 4)

因果なもので

 

因果なもので、自分の本音をあますことなく伝えようとすると、それが抽象的思弁の"とぐろ"のようなものであるだけに、かえって人を近づけない=遠ざけるということになっています。

あるいは、礼儀やマナーとは別のところでのおためごかしの表面的な対応でいては、何にもつながることのない、板の上をツーっと走る氷のようになぞるだけなので、果たしてそこに誠意はあるのかと思ってしまいます。

基本的に、もしも近く接したいのであれば、早い段階で自分の主義主張、思考や感情の成り立ちのようなことをあますことなく開陳するのが良いと思っています。

時間をかけて手間ばかりをかけて、その末に落胆するようであれば、先にハードルを高く設けておくことで、それは回避することができます。

自分の受けている影響、たどってきた道のり、興味や関心を持ちやすい分野や領域、楽しさや嬉しさを感じる場面や状況など、だいぶお知らせできることはあるでしょう。

お互いに、自分の持っている知識や経験をもってわかろうとする負担は大きいかもしれませんが、むしろ入口が狭い方が、すれ違いや誤解は生じにくいでしょうし、かえって親切なのかもしれないと思うものです。

最近、どうしても解せないことのひとつに、「私はあなたに興味がある、だから私に質問してください」と見受けられる態度があります。

うーん、こちらは別に何がどうであっても構わないし、そんな興味というものは自発的なものであるので、言われて盛り上がるというものではない・・・、そんな思いが去来するものです。

そして、自分に興味を持ってもらいたかったら、自己紹介やら何やら自分のことを語るのではなく、相手に質問をする方がうんと有益なものです。

それはまた、「私はあなたに興味を持っている、だから私のことも興味を持ってね」という暗黙のメッセージにもなっているわけです。

今は自分の中を掘り下げながら、それでも良いなと思う人の知見を得たいだけなので、先にいろいろ人に会えば良いという感覚で過ごしているわけでもないのです。

どうにもならないことで煩わしい思いをするくらいなら、それは無用のものとして突っぱねたいところです。

こういうことを並べててていくと、"薄情である"とか"淡白だ"とかなるかもしれませんが、それ以上に「何も思っていない・思っていたくない」だけなので、どうにか好意的に受け取ってもらいたいなと思います☆

 

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ついぞ取り上げず

 

いろいろなことを解き明かそうとして、あるいは、いろいろなことを取り上げようとして、日々あれこれと綴っているわけですが、手元にあるものすべてがその対象というわけでもないものです。

まだ時期尚早であるとか、どうにも不備不足があるとかいう理由の他に、自分の手元にあるままのものも結構多い気がします。

これは、本当に有益であろう情報は、その人それぞれに直接尋ねるしかないことの表れでもあるのですが、何が何でも明らかにすれば良いというわけでもない、そんな配慮の一端でもあるわけです。

そういうことのひとつを、自分なりに定めて、実際に試してみたり、補強するように見聞きしたりして追求しているものがあります。

このように、最初から"このこと"と一定の枠組みで見ている場合とそうでない場合、何も設けずともそれなくわかってくることもあるかもしれません。

それでも、やはりあらかじめ自分は何を知ろうとしているのか、すでに何をどれくらい知っているのかを知らないでいては、得るものは少し減ってしまうように思います。

知るべきことを知っていると、これは「話が早い」ということで、そこから先に続くことも察知できるし、他の人にも伝えやすくなっているはずです。

そして、そういうことはわざわざ言うことでもないし、言ってもらえるものでもない、自分で気づくか、気づく機会を得るしかないというのが本当のところである気がします。

それをわからないで、自分のところに侵食してくるようでは、結構つらいものがあります。

はねのけるわけではないけれど受け入れない、どうしてもそういう態度でもって処することになってしまいます。

どうにも親切/不親切といった切り口にもなりかねないもので、歯がゆさもまたあるものです。

これは、必ずしも長く生きているからわかることでもないし、多くの人に会っているからわかるようなことでもないというのが、ひとつ興味深いことでもあります。

なるほど、その人なりに知るタイミングや機会というものもあるでしょうし、自分が知りたいと思っているかどうかというのも、それとなく関係してくるのでしょう。

今回の"このこと"が何のことであるのか、ついぞ明らかにしないわけですが、今後も自分において知っていくことですし、実際の場面で大いに役立てていきたいものです☆

 

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通り過ぎるように

 

人の出会いは「一期一会」と言うように、いつどのように出会うのか、その後の行方を左右する意味においても、かなり重要であるように思います。

今は、どちらかというと"最初の出会いのきっかけ"のような意味合いが多く含まれているように思いますが、本来の意味合いとしては"その時々の出会いは、その時々限りのものである"となっています。

つまり、出会い自体、最初も最後もなくて、毎回の出会いがただ貴重であるということになります。

お互いに気が合って「また次も会いましょう」となればまた会えば良いわけですし、そうでなければ会うことがないだけで、それ以上何を憂う必要もないわけです。

無理に引き延ばすこともしないし、だからといって突き放すわけでもない、今後どうなるのかよりも、今がどうであるかに意識を傾けるのがうんと良さそうです。

そういうことも踏まえて、出会いのとらえ方として順当なのはどういうことなのかを考えていくと、どうやら「来る者拒まず、去る者追わず」がそれにあてはまるのだなと(今は)思っています。

どうにか関係を成り立たせようと必死になるより、肩の力を抜いて接してみるのが、かえって長くとか深くとか、より良い関係になるのかもしれません。

どうにも不思議なことで、力まない方が上手にコトが進むということが世の中には多くあるようです。

むしろそれが本当なのかなと思いますが、これについては機会を改めて突き詰めたい観点でもあります。

こと出会いに関しては、自分だって、誰かの前に立つこともあれば、立ち止まることなく通り過ぎるだけのこともあるでしょう。

それを引き留められたところで「うーん」となってしまいますし、やり過ごされたからといって憤るのも妙な具合になってしまいます。

これが身について、あるがままに振る舞っていると、過度に固執していないがゆえに、どうもとらえどころがないようにもなるかもしれません。

あるいは、どうでも良いと言ってしまえば語弊があるかもしれませんが、出たとこ勝負のところが多分にあって、前もってどうこうすることでもないような気がします。

自分においては、だいぶサッパリしているし、一人でいることがそれほど苦ではないということもあるのでしょう。

基本的には、川の流れのようにサラサラと流れているだけのこと、滞りがないというのであれば、それは良い方に向かっているというだけのことなのです☆

 

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