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傍島康始|ブログ

Month: 10月 2018 (page 1 of 4)

縁は異なものとして

 

たとえば、新宿や渋谷の駅やその周りを歩いている時、だいぶ多くの人たちと行き交うわけです。

当然、それぞれに行き先があるのだろうし、それぞれに会う約束をしている人もいることでしょう。

電車の一日の乗降客数を知ってみれば、何十万〜何百万人の人が移動しているわけで、個人ひとりひとりが誰であるというのは把握しようがないものです。

そして、自分においてもその中に見知っている顔ぶれを見ることができるのか、もともとの知り合いから数えても、数人いるかどうかということでしょう。

特定の時間に予定があるともなれば、自分の目的を果たすべく行動をしていくわけで、関わる人はそれほど多いわけではありません。

休みの日が特にそうで、それの繰り返しが何度もあるわけですが、ふと思えば、同じようなところを行き来していても、ついぞ知り合う機会すらないという人がいて、それがむしろほとんどということになります。

顔を知っている、名前を知っている、顔と名前が一致する人が果たしてどれくらいいるのか、生きている年数を数えても膨大なことにはならないはずです。

すれ違うだけの人もいるし、物理的に近くても縁遠い人はいることを思えば、出会って親しく交流する仲になったり、それなりに交流したりするだけでも、随分と貴重なことだということに気がつきます。

こんなにたくさん人はいるのに、一生関わらない人の方が多いというのは、なかなかシビアなものだなと思います。

自分にしても、気の合う人やそうでない人はいるものですが、そのようなことを思えること自体実はありがたいのだなと思います。

願わくば、自分のことを面白いとか必要としているとか、そう思ってもらえるように日々懸命に取り組むことは必要でしょう。

一緒に過ごせる時間があればそれで十分ですし、それがまた楽しい時間であれば嬉しいもの、さらに次の約束もできるのであれば、もう何も言うことはありません。

たとえ、諸々の事情でお互いの進む道が異なろうとも、そういうことがあったこと自体に喜びを見いだせるのか、それによって今後の進み方も変わることでしょう。

これができているのが、ミュージシャンのマイルス・ケネディという人で、この人のインタビューを読んだ時に強い感銘を受けました。

自分において、こういうことができているのか、それもまた日頃の積み重ねによって明らかにしていくほかないのです☆

 

 

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ないわけじゃない

 

ないわけじゃないけれど、ならばあるのかと問われればいささか答えに窮すること。

そのひとつとして、最近では"やる気"がそういうことになっているなと思いますが、それがどうしてなのかはわからないので、しっかりと考えていくべきことのように思います。

もちろん、手を抜くということではないし、目の前のことにはしっかり取り組むのだけれど、頭の片隅では何か別のことがあるという感じでしょうか。

あるいは、やる気スイッチの入りどころが異なっているということなのかもしれません。

いまいち没頭できない、気がそぞろになるというのは、単純に集中力が不足しているとか、睡眠が足りていないということではない気がします。

普段見聞きしている事柄が増えれば、それだけ興味・関心の行き場も四方八方に行き渡るので、そういうひとつひとつの掘り下げが難しいこともありそうです。

そういう手元に寄せたい事柄の数の多さ、種類の多さを鑑みたとして、こればかりは基本的に増えていく一方なので、何かを切り離すということはなかなかできないものです。

他にも理由をあたってみると、気持ちの部分にフォーカスを当ててみるのも良いと言えるでしょう。

たとえば、取り組んでいて楽しいことであれば、その楽しさゆえにまたのめり込むことにもなるでしょうが、やるべきことと楽しいと思うことの間に少し差があるとも言えるでしょう。

それが、やることはやるんだけれどムニャムニャという状況になっていると考えられます。

これの、もっと根本の部分を見定めてみると、表面上の言動を見ているだけではわからないことも見出すことができるでしょう。

最近の自分の心境としても、気持ちや感情の部分はわかりやすく目には見えないものだけに、より一層大切にしていきたいことになります。

一時的に上手に振る舞うことはできたとしても、自分の内側にあるものは偽りきれないし、ごまかしは効かないわけですから。

その打開策としては、自分が何をやりたいのかを明確にしていくことも必要ですし、何をしていると自分は楽しい時間を過ごすことができるのかを知ることも必要です。

そのためにも、行動を起こしていく、そういう気持ちはありありと持っていると良いような気がします。

何でも良いから心の赴くままに動いてみる、そういう闇雲さがまた愛おしく思う今日この頃です☆

 

 

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その時のある限り

 

人の出会いと別れ、多くの行き来があって、今の状態がずっと続くわけではない。

時間が少しずつ過ぎて、季節もまた巡るようにあっては、それは当然のことなのかもしれません。

会社でも何かのチームでもそうですが、今のメンバーで取り組んでいるのは、まさに"今"でしかありえないわけです。

自分だってどこに行くかわからないし、他の誰にしてもいつどうなるかなんてことはわかるものでもなく、またコントロールできるようなことでもありません。

「人は城〜」と言ったのは武田信玄でしたが、何人もの人が集まって組織となるにも、人が集まらないことには成り立つものではありません。

今の、そのある状態をありがたく思う、その気持ちは決して忘れてはいけないし、おろそかにしてもいけません。

最近見聞きして思うことのひとつで、組織やシムテムのようなところでは、一旦仕組みとしてできてしまうと、ある意味そこで固定してしまうものだなということです。

当初は、誰がどの役職やポジションに合うかを考えていたのが、いつの間にかその役職やポジションには誰が合うのかを考えるようになるものです。

組織やシステムを維持したいがために人を配置する、そうであっては本末転倒になってしまうものです。

それ自体、人がいないことには成り立たないものであることが、すっかり抜け落ちてしまうと言っても良いかもしれません。

特に会社ではそうなのかもしれませんが、立ち上げ・黎明期のメンバーと、それを過ぎて関わってくる人たちの特徴・キャラクターが異なることがあります。

これは別に問題でもなくて、立ち上げる人がいれば、それを拡大するような人も必要で、時期に応じての役割やお役目があるということになります。

ただ、勢いのようなところでは、車の走り出しにエネルギーを多く費すものですから、走り出している車に必要なエネルギーはどうしたって目減りしてしまうものです。

その点では物足りないだなんて思うこともあるかもしれません。

そういう組織のことやリーダーとしてどうなのか、普段の取り組みを通じて見えることも多いので、たとえば他の場合と比較しながら考察を進めるのが良いと言えるでしょう。

また、こういう堅苦しい方面でもなくて、恋愛の場合でも同じで、相思相愛に思える相手と巡り合うことのありがたさを思えば、身近な人がより一層愛おしくなるはずです。

そういう視点の切り取り方ができるのが良いですね☆

 

 

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