どんなに長い距離を行くにも、どんなに高い山に登るにしても、この身で体現するには愚直なまでに一歩ずつ進んでいく以外に、たどり着く術はないように思います。

それは人の成長や変化においてもそうで、いきなり突出した知識や技術が身につくようなことはないために、日々何かを手に入れようとして、ようやく少しずつ体得していくことになります。

そこでは、階段を一段ずつ上がっていくような感覚かもしれないし、積み木のようにひとつずつ積み重ねていくような感覚なのかもしれません。

それでも、成長や変化の度合いを、目盛りで測るように見ることができそうだということでは、どちらにも共通してあることでしょう。

年月を経ることなのか、回数を重ねることかの違いはあっても、どれくらいの手間や労力をかけて、どれくらいの上達・達成できそうかは、ある程度予測はできるかもしれません。

それは"目標"を掲げるように、いつまでにどれくらいできているのが望ましいかということにもつながってきそうです。

多くの人にとっては、少しずつとか、順を追って"次の"とか"新しい"段階へ進んでいくことが大半であるように思います。

しかし、随分と稀有な例として、右肩上がりとか二次曲線どころでなく、途中で時空がねじれるように急激な成長や変化を遂げる人がいます。

少しずつカラダが大きくなって、(人間の)子どもから大人になるのではなく、ある日、突然"さなぎ"が脱皮して蝶になるような、そういう一足飛びに変貌を遂げた例を最近目の当たりにしました。

当の本人でさえも、そういう成長や変化を遂げるとは思ってもいなかったらしく、「何年か前の自分に今の状態を伝えたら、きっと驚くだろうね」というように語っていました。

それくらいに劇的な移りようではあるのですが、それにしたって、具体的には何なのかはわからないけれど"より良く"なろうとして試行錯誤を繰り返す、その過程があったから突然花開いたと見ることもできるでしょう。

日々少しずつの歩みでは、理想や目標の高さに目もくらむこともあって、内心焦るようなこともあるかもしれません。

そして、成長や変化の度合いが見えなくなって、過度の「暗中模索」に陥ることもあるかもしれません。

それでも壁は押し続けないといけないし、地面を絶えず掘っていくことをしないと、打破すること自体、できないことになるものです。

今できることを精一杯取り組む、先のことがどうなるかはわからないけれど、きっと何かにつながるものとして、愚直に対峙していくのがかえって遠回りではないのかなとも思います☆

 

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