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傍島康始|ブログ

Month: 5月 2018 (page 1 of 3)

興味の推移について

 

そんなに厳密なものではないけれど、ここ1〜2年くらいを見てみると、自分の持っている興味というのはおよそ2〜3ヶ月くらいで推移しているなと思います。

そして、時期ごとに明確にあるのでなく、ひとつの興味が次のものを呼ぶ込むように、ひとつひとつを取り上げつつなだらかに移っているなという印象です。

ある程度納得するとか、調べ尽くすとかしていると、自然と数ヶ月が経っている具合です。

これをもう少し意識して、この数ヶ月間はこのことについて知ろう!というように、分野や範囲を限定して行うと、年間を通せば4〜5くらいのトピックについては結構詳しくなることでしょう。

あらかじめ方針を決めておくのも良い一方で、あくまで興味や関心のおもむくままという側面も強くて、次にどの道を行くのかはその時の気分次第ということもあります。

こういうのも、期間や対象に目星をつけておきながら、あとは臨機応変にやっていくということを両立していくのが、バランスとして良いのかもしれません。

あとは、いかに自らの好奇心を賦活し続けていくのかということに焦点を当てていくのが良さそうです。

どのような切り口からでも構わないし、どの段階からでも構わなく、とにかく自分の知らないことを知る、あるいは、知っていることをより知っていくことを絶やさないようにしていきたいものです。

世の中には、何もしないでは自分のアクセスし得ないような知識や知見が数多ありますし、普通の生活を送っていれば、それらは必ずしも必要なものではないかもしれません。

あるいは、身近な生活に関するものでなく、しかし、人間として生きていくことに必要なものだとしたら・・・、知らないでいるよりかは、たとえ一端であっても知り得たいなというのがひとつの機微なのではないでしょうか。

特に最近の、自分の掘り下げている興味の範囲を眺めてみると、そういうものが(だいぶ)多いように思いますし、そのいくつかは、できることなら多くの人が知っておくに越したことがない類であるようにも思います。

何より、自分にとって必要で、未だ知り得ていないことも多いでしょうから、少しずつでも知っていこうという姿勢が大切かなと思います。

そして、どのようにしたらアクセスできるのか、そういう頭の使い方も興味深く思うものです。

半年の後とか、今年の年末とかを思う時、その時には一体どのようなことに興味を持っているのか、そして、どういう境地に至っているのかに大いに期待をかけておきましょう☆

 

 

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何をか思わんや

 

たとえば、頭の中で思い浮かべるものが何であっても構わないのでしょうが、口にして話題にする取り上げ方には一定の傾向があるように思います。

偏らないようにしていくのがバランスも良いでしょうが、しかし、普段の生活においては身近で&具体的な話題の方がわかりやすいし、差し障りのないこともきっと多いでしょうから、どうしても比重として多くなるような気がします。

それでも、身近な話題と考え込む話題、具体的な事柄や抽象的な事柄、相反するようなことのどちらも同じように大切なのだと思ってみることが良いでしょう。

とことん考え込むことで見える境地もありますし、そうしないと見えない境地もあるので、それは自分自身の好みとして静かに推し進めていくと良いのかもしれません。

そして、考えを深める、話せることを増やすというのは、容器を満たすようにする一方で、その容器自体をもさらに大きくするような試みであるように思います。

引き出しの数を多くするのと同時に、引き出し自体の大きさや深みを増すようなものでもあります。

何事においてもそうですが、何かを完成させるように、まっしぐらに到達したいと思うものの、寄り道や遠回りばかりして断片ばかりが集まるようになることの方が多くて、それもまた人生かと思ってしまうものです。

その時点ごとで、何かを達成したり、仕上げたりすることもあるでしょうが、全体的には長く続けていくことでおよそどうなるのかということであるように思います。

ひとつひとつの出来事は日々起こってくる、そして、それが自分にとってどういう意味を持つのかも随時考えて、今後の教訓としていきたいものです。

それでも、よくわからない場合には、"保留ボックス"や"合切袋"に放り込んでおくようなことで良いし、そして、そればかりが溜まってしまうようなことで良いのかもしれません。

それでも今は、本質的なことや世の中の真理のようなものにアクセスする手がかりをいくつか持ち得ているので、それを実際に使いこなしていけたら、総じて良い結果をもたらすことになっていくはずです。

こればかりは実践するしかないし、しかるべき結果をもたらすことばかり考えないで、どのような結果に落ち着いたら嬉しいのか、そこから鑑みて今のすることに集中していけたら良いですね☆

 

 

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もちろん相違はあって

 

"人が集まって何をかする"というのは、とても貴重なことのように思いますが、「価値観の相違」とか、「音楽性の違い」とかがあって、やがて進む道を別にする=袂を分かつことも多いものです。

基本的には、人が違えば考え方や価値観が異なるのは当然なのですが、感情の機微としては共感できるところ、似ているところを積極的に見出していきたいものです。

そこで、上記のように"気が合う"ところからはじめるにしてもおそらく割合としてはだいぶ少ないでしょうから、むしろ、お互い「それぞれ違うよね〜」というところからはじめて、それで逆に分かり合えるところを見出していく方が、よほど建設的であるような気がします。

そうすれば、「わからない」ことが前提になっているので、わりに深いところでわかり合えた時の感動はひとしお!ってこともあるかもしれません。

自分の内側にないものを知ることが、視野を広げることにつながるし、たとえ受け入れられなくても、そういうこともあるのかという、静かなひとつの発見にもなるでしょう。

これはまた、本を読むことにも通ずるような話で、本を読むことが大切だとはよく言われますが、そこでどのような本を読むのかによって、その人の考えや行動、さらに今後読んでいく本の傾向もが変わってくるように思います。

そこでも、合う/合わないことがあるように、本屋に行って、自分の行ったことのないコーナーがあれば、手に取ったことのない本も(こちらは)極めて膨大な数として多くあります。

その中には、当然知っておいた方が良い普遍的な知見もありますし、その時々で自分に必要な知見もあって、いかにしてそれを知り得るのか、これは本を読む以前の問題としてあります。

できれば、自分の血肉となるようなもの、読んで感動できるようなものを選んでいければ良いものですが、そうとも限らないのが悩ましいところです。

世の中には、この世の本質的(だと思われるような)なことを、それこそ本としてまとめている人もいれば、大勢の前で話して広めている人もいます。

最近では、ブログやTwitter、Instagramなどでも発信が容易にできるのですが、自分の預かり知らないところで有用なことが流布しているというのは、何だか惜しい気持ちにもなるものです。

それはどうしてもタイミングの問題でもあるので、新たなことを知る、あるいは、自分の知らないことを知ることにおいて、何をどう読もう&チェックしようが、少なからず貴重な経験を得ていると言えそうです。

そういう繰り返しと積み重ねによって、こちらから提出できることはいくつかありますが、それがだいぶ伝わりにくいことでもあるので、単純な良し悪しでなくて、伝える工夫はこちらですることになります☆

 

 

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