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傍島康始|ブログ

Month: 4月 2018 (page 1 of 5)

筋肉に刺激を与える

 

何か物事が上手く進まないとか、気持ちがスッキリしないような時期にある場合、どうにか解決を図りたいと思うものです。

どこかに行く、遊びに行く、たくさん食べる、甘いものを食べる、お酒を飲むなど、気晴らしの手立てはいくつもありますが、もう少し普段の生活の中でできることの方が良いかもしれません。

その一回とか短い時間だけのことではなくて、継続してできることの方が効果は高いように思いますし、その方がより根本から変えていけるような気もします。

そういう中でもっとも身近なところでできることは、自分自身のカラダを変えることがあるように思います。

何かしらの困難に直面している場合、頭で考えがちになって、そのまま気持ちやカラダも硬直してしまうことがあります。

頭と気持ちとカラダは連動しているものですから、逆にカラダを動かすことで、気持ちも思考も柔らかい状態にしていけるのではないでしょうか。

冬の寒い時期は、どうしてもじっとしていたり、寒さにカラダが縮こまってしまうので、気持ちも萎縮してしまうことは想像しやすかと思います。

冬に限らず、うつむき気味でひどい猫背の人で陽気な人がいないように、胸を張っていて暗い雰囲気の人はあまりいないように思います。

また、姿勢に関して言えば、前かがみである場合では呼吸も浅くなってしまうし、自分の目の前だけで意識が滞ってしまうので、どうしたって前向きな気持ちは持ちづらいものです。

外をぐるっと歩くだけでも違いますが、少しの距離でも走れば息は上がるし、場合によっては筋肉痛にだってなります。

また、重いものを持ち上げれば筋肉は当然張るし、普段伸ばさない方向にカラダをひねれば筋は伸びます。

最初は億劫だったり、一時のまぎらわしのように思ったりしても、しばらく続けていくうちに走る距離や時間が伸びたり、筋肉が発達したりするもので、その効果はなかなか侮れない気がします。

息を大きく吸ったり吐いたり、じんわり汗をかいたりすれば、血の巡りも良くなるので、たくさん動いた後では、しっかりゴハンを食べて、ぐっすり眠ることにだってつながっていくものです。

何かがはじまる前に、すでに自分の心身が健全に保たれていることが良いなと思いますし、物事や状況が徐々に変化していけば、その流れにもすんなり乗っていけるので、日々少しずつでもカラダを動かしていきたいなと思う次第です☆

 

 

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端的に語ってみる

 

要点を的確にまとめ、極めて端的に表すことは良いと思いますが、何でも話を簡単にするようなことは避けた方が良いように思います。

自分自身は、順を追って、積み上げていくようにして話をしていきたいと思っているので、先を急かされるようにあっては、かえって口を噤むことになってしまいます。

先に結論を持ってくるかもしれませんが、どうしてそこに行き着いたかの経過や経緯も含めて、ひとつの説明となるのではないのでしょうか。

物事は速やかに処理され、次々と終わらせていくことが世の風潮のひとつではあるものの、その一方でじっくり腰を据えて考えるということも、決して看過してはいけないものです。

速さということであれば、目に見えたり、わかりやすく思えたりするようなことの、ほんの上澄みだけを汲み取れば良いのかもしれませんが、しっかり底の方からかき混ぜないことには、旨味や本当の味わいのようなものは総じて知ることがなくなることでしょう。

本当のところを知るというのは、受け取るこちら側の準備や構えが必要となるし、それは知的な負荷が相当にかかることなので、あまり正面切って取り組むことをしないかもしれません。

上澄みかどうかの例として、味噌汁を考えるとイメージがつきやすいのかもしれませんが、時間が経つと味噌の溶けた部分が底の方に沈んでいってしまいます。

それを、お椀に汲み取る時にはしっかりかき混ぜることもそうですし、食べる時にもかきまぜながらその都度口に運んでいくものです。

あるいは、味噌汁の好みというものを誰かに伝えたり、誰かの好みを知ろうとする時には、"だし"はどうする?味噌は白、赤?入れる具や味噌の濃さはどう?といったことを加味して、ようやく概要がわかってくるものです。

それを、上澄みだけを汲むとか、「あの人は味噌汁が好き」という情報だけでは、部分として知っているだけで、具体的に知っているとは言えなくなってしまいます。

一足飛びで何かを果たそうとするのは、きっと怠慢なのかもしれません。

短い時間で濃密に取り組めばできることは多くあるでしょうが、時間をかけないとわからないこともあるし、複雑な過程や多くの段階を経なければ知り得ない感覚もあるはずです。

高く跳躍するためには深くかがみむ必要があったり、海の深さも底まで行かないと実態がわからなかったりするものですから、思考や議論においても、一旦はとことん深みに行ってみるのも良いのかと思います☆

 

 

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探り求めるように

 

「相手のことを知りたければ、まずは相手の話にしっかり耳を傾けましょう」と多く言われます。

何を言おうとしているか、あるいは、物事に対するとらえ方を知ることが、そのまま相手の人となりを知る手立てになるものです。

それが、お互いに話すことよりも聞くことの方に重きを置いているのであれば、それぞれに率直に話せる部分は自ずと多くなるように思います。

そして、それに対して自分がどう思うのか、自分と似ているところがあるのかはあくまで次の段階であって、理解や共感の前には"受け止める"ことが大切であるように思います。

これが、聞くと話すの前後が入れ替わってしまうと、「これだけ話しているのにわかってもらえない」どころか、自分の話すことばかり気持ちが行って、お互いに話をしっかり聞こうとしないかもしれません。

そうなると、話の内容も気持ちと同様、すれ違うばかりになるということもあるでしょう。

理屈や道理としては簡単ではあるものの、実際の場面ではなかなか簡単にはできないところに、真理であるところの奥深さを感じてしまうものです。

そこに多少付随はするでしょうが、自分のことを知ってほしいとか、大切にしてほしいとか思いながらも、自分の思ったり考えたりしていることを、しっかり表していないことも案外多いのではないでしょうか。

そして、"知らぬは自分のことばかり"というように、自分の心の中が一体どのようになっているのか、外に理解を求めることはしても、内に探るということは少ないような気もします。

日本では、"暗黙の了解"とか"察してほしい"で何とかなっていることも多いのでしょうが、やはり思うところがあるのであれば、しっかり言葉や態度に出していく必要があるでしょう。

そうでない限りは、自分の思いみたいなものは、どこまでもカタチとなっていかないようにも思うからです。

声に出す発言であれ、こういうところに書きつけるものであれ、普段から何らか意識的に取り組むことは必要とは思います。

これを読んでいる人がどのくらいいるかは定かではありませんが、それは結局のところ読む人の裁量であって、少なくとも、自分が日頃から何を考えているのかをできるだけ言葉に置き換えることで、頭の中だか胸の内を明らかにしていこうという思いは強くあります。

そして、その言明はわかるとか、なるほどこういう考えをしている人もいるのかと、何かしらの"気づき"となれば嬉しいものですが、その前にはある程度の分量を提示していくことでしかはじまらないような気もしています。

"ひとりごと"も、誰か聞いている人がいるだろうと思っている側面もあるそうなので、それに似たものかと思ってもらえたら良いなと思います☆

 

 

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