SOBAJIMA YASUSHI

傍島康始|ブログ

Month: 1月 2018 (page 1 of 2)

タモリについて<保存用>

 

ここ何週かは、週末に来るとひとつ文章ができる感じで、

特に決め込んではいませんが、そうなっています。

 

そして、本一冊は8万字〜10万字程度あれば、

300ページの内容でできあがるアイディアに、今はしびれています。

 

字数ばかりを重ねるだけでなく、充実した内容が必要ですが、

今回は3,000文字でお届けとなります。

 

テーマが必ずしも前景化していない点で、

どういう話の筋なのかは、パッと見にはわかりづらい、

それでも読み応えはそれなりにあると思います。

 

これで今月は<保存用>×3で、8,000文字程度となり、

似たようなペースで1年続けていけば、

分量としては、一応クリアということになります。

 

以下、どうぞゆるりとご覧くださいませ。

先日、しみけんさんのTwitterを見ていて、"一番の変態は「一人の女性を浮気せずに抱き続ける男」"ということで、その数がおよそ1,000人中の3人らしい(@avshimiken:2018年1月18日 3:32)。

これが日本国内でのことなのか、あるいはどの年代なのかといった、どのような道筋を経て導き出されたデータなのか、対象の選定や調査の方法など、細かいところは気になるところですが、

そこばかりが今回の主題ではないので、随所に冴え渡る"しみぺディア"の信憑性に、今回もまた頼ることにしておきましょう。

男性自身がひたすらに一途であるとか、女性がそれほどに魅力的であるとか(いわゆるファム・ファタルなのか?)、しかるべき理由や背景があるにしても、

そうして話を進めていくに、上記の割合は0.3%を前後するあたりで、これは全体から見るとその数字のまま、だいぶ少ない≒少数派と呼んで差し支えはないように思います。

ここで問いたいのが、もしもこのカギ括弧内にある前提が理想のひとつとされ、全体的に望ましいと(およその)合意がなされている場合、

それにも関わらず少数に留まっているのはどういうことなのか、その望ましいと思うことの理想の高さや崇高さ・険しさゆえに、到達することの困難さを物語っているということなのかもしれません。

あるいは、そうなっていることが、少数派である多くの帰結であるように、むしろ異端であるとか、異常であるとかとらえられている場合(今回では"変態"と称されているように)、

そこを目指したい人は個人の判断や主義・主張で、他の人にとっては特にどうということのない案件なのかもしれません。

一顧だにしないとでもいうような…。

多数ばかりが正義ではないし、少数派を看過して良いわけではないけれど、大きな趨勢にはなかなか抗いにくいのも事実であって、

是なのか非なのか、世の中の雰囲気はどちらみたいなところが感じられると、鵜呑みにするわけではないところで、判断するためのひとつの指標となるのはあるでしょう。

ここで正常か異常かの、定義付け・使い分けもしておきたいところですが(もしかすると専門家がいそうだから)、地域や時代によって一括できないような多様さがあって、

その時々に、どのような価値判断の規矩を用いるのか、文化や歴史なども巻き込みながらそれに左右されるのは免れ得ず、

わかりやすいところでは、天動説と地動説との葛藤であったり、それぞれの宗教的戒律に従う生活様式であったりするのかなと思います。

自分の持つものの見方が、どのような文脈から採られているものなのか、あるいは、どのような影響を受けてそうなっているのか、

ものの見方それ自体を俯瞰するような、少し離れて観察する態度も時には必要だということになるでしょう。

最近では「チーズダッカルビ」が話題になっており、"意外とミーハー"な私も早速ご相伴に預かることができました。

結構、火が入るのが早いので、チーズが焦げないようにして、絶品なるところまで持っていくには、それなりに場数をこなすような、こなれた手腕が必要な気がしましたが、

ここでは、単純に自分が食べたいからなのか、周囲で話題になっていて、かつ"インスタ映え"もするから食べたいのか、

流行に乗ることの、自分との距離感もまた知っておくに越したことはないように思いました。

時代そのものが呼吸するように移ろうものでもあるので、その息づかいをそれとなく知りながら、合わせる/合わせないを鑑みて、ともに歩んでいくのが良さそうです。

なぜ、このようなややこしい理路を取り上げて、ここまで引っ張っておいたのかというと、

読む行為それ自体には、時間も要しますし、知的体力も消費することになります。

興味のが持てない人はそもそも通り過ぎているでしょうから、ここまで読み進めているだけで、大いに感謝を申し上げたい気持ちでいっぱいなのです。

まことに、ありがとうございますm(_ _)m

そして、最後まで到達した時には、少しでも新たな知見なり、異なった感覚なりを得てもらえたら本望なので、

こちらとしても腕まくり(今は寒い季節なので、意気込みとしてですね)をして、せっせせっせと文字を紡いでいくように臨んでいく次第です。

そうは言っても、はじめは硬い" スルメ"みたいなものなので、お茶やコーヒーを手元に置きながら、ゆるり楽しんでもらえたのなら、それこそ望外の喜びなのです。

少しずつやわらかくなっていかないと、深い味わいも訪れてはこないので、しばらくの辛抱は欠かせないような気もします。

ワインを寝かせることで、馥郁な香りが出るのにも、それとなく似ているものです。

これまた先日のことなのですが、タモリさんの1992年に出演した番組「講演大王」(スゴいタイトルですね:日本テレビ系列)の内容がまた感嘆を通り越して、驚嘆に値するものでした。

内容の本編自体は、それぞれの時間を用いてじっくり観賞していただきたいのですが、

なぜタモリさんが、若者のクリスマスイブやバレンタインデーの過ごし方に異議を唱えるのかを、哲学者のキリケゴールの言説を引用したり、当時のソ連の崩壊と重ねてみたりして、

額に汗を浮かべながら、それこそ20分の持ち時間たっぷりに"情理を尽くして語る"姿勢に大いに心打たれるものがありました。

何かと移ろいの早い普段にあっては、表面をなぞることで終始しまったり、結果ありきみたいなところで、どんな心中なのかまで思いが寄らなかったりして、

そうなると、こちらとしても言葉を飲み込んで、ほとんどを削ってしまったり、そういうことがあることすらほのめかすこともしなかったり、

自分以外、所詮は他人であるかもしれないけれど、"わかり合う"スタートラインにもつけないのは少し残念な思いがするものです。

そうなれば、極限まで削除を尽くしたひとこと、ふたことで済ませる他はなく、そうでしかないのならそうするしかないのは、それ以上致し方のないところです。

しかし、個人において、思索を深めることは、地下に井戸水の水脈を掘り当てるような作業に近く(石油でも可)、

脳みその限界に挑むようにして、知恵の地表なるものにスコップを差し込んでいくことは、誰しもやっていくと良いことのひとつであるように思います。

そうして、何か掘り当てた時の喜びを、自分の中だけに留めておくのは惜しくも思うので、きっと誰かには届く、その一心でどこかに表していくのも良いことだなと思います。

それにしても、人ひとりと言えども、生きている年月の重みや厚みは誰しもあるもので、まずはそこに敬意を払わないといけない気がします。

それが自分自身に取り入れたいことや追体験したいことなのかは、相性とか波長みたいなのもあるので、それ相応の態度で臨めば良いとは思いますが、

一見だか一聴だかして、そんなに即座にわかるような、浅薄なものではないと思っています。

浅いとか、即座にわかると思っているそれ自体が、ややもすれば浅慮なのかもしれないと懐疑する、そんな姿勢も頼もしく目に映るかもしれません。

冒頭の話に戻りますが、「一生、あなたのことを愛し続けます」と言葉にできるような出会いがあると良いなと思い、絶えず求めてもいきますが、

そのためには、直接の因果関係はないものの、手元のところではキリケゴールを読むところからはじめていくのも良さそうです。

あとは、「メッセージの宛て先」とか「好き-□ッ□□=愛」みたいなトピックも興味をそそられるところですが、それはまた別のお話になりますので、今日はこの辺で切り上げたいと思います☆

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ラブレターについて<保存用>

 

Facebookに上げたものを、ここでもお披露目。

 

書きたい時に書くだけのことですが、

これは、かなり良い訓練になるものです。

 

 

【LOVE LETTER】

正月も終われば、次は何なんだ。

2月の某日があるとなれば、やおらハート・マークだとか赤やピンクの色合いが視界に飛び込んでくる気がしますが、

"不器用ですから…"とクールを決め込む不肖・ソバジマにとっては、(今のところ)特段何の予定があるわけではありません。

心浮き立つようなハプニングがあったら良いな < あった方が良いな < ぜひともあってほしいなど、思うのは自由なので、それもまた良いことなのかもしれません。

言うのもまた自由であれば、そこで誰に問う、ひそかに希望を持っても良いですか?

あー、ドキドキ(*´艸`)

なにとぞ、よろしくお願いいたします♪

えー、○○ちゃんは誰におネツなのよ~?とか、さっさとラブレター渡して告白しなさいよ~!みたいなところの"コイバナ"でキュンキュン♪盛り上がりたいわけですが、

それが口頭だったり、今はLINEだったりして、手書きの"手紙"にしたためることはあまり多くないのかもしれません。

今回は、手紙としての「ラブレター」について取り上げていきたいのですが(急に思い立った)、

たとえば、不肖・ソバジマの書くそのラブレターが"とーってもラブリィ~"な見た目・内容(ハート)ではイメージ的に何か違うし、

だからといって、無駄をとことん排して、まっさらでシンプルな便箋と封筒を用いてしまっては、

侍の、決闘を申し込む果たし状のようにもなりかねず、ロマンティックなムードもへったくれもないわけです。

果たして、「ラブレター」って突き詰めればどういうものなのか、追求して考えたくなるいつものクセが頭をもたげてきたところで、

単純に言えば、好きな異性(あるいは、同性)に対して、その好きな気持ちを伝える、

そして、一緒にゴハン食べたい、手をつなぎたい、デートしたいみたいな行動になったり、

その行き着く先には一緒に住んだり、結婚になったりとなる、

その取っ掛かりとなるためのアイテム、手段なのかなと思うわけです。

一番の目的としては、この気持ちをまっすぐにあなたに伝えたいし、それに対しては良い反応が得られるようでありたい、

逆に、伝えられた方では、自分の気持ちと照らし合わせながら、しかるべき反応・対応をする、

それがお互いに好意を持っているのであれば、とても喜ばしいことだ、

およそのところは、きっとそんなものかと思います。

愛のカタチは人それぞれで構わなくて、私としてはイチャイチャしたいのは基本的に女性だから、気持ちを伝える対象としては、主に女性ということになります。

ここまで綴ってきて、うーん、どうにも歯切れが良くないなと思いながら、

それはどこか遠慮があるのかもしれないのかどうなのか、

あるいは、どこか抽象的な話になっているし、差し障りのないことになっている気もします。

ひとまずは、個人的な"ラブレター"のひな型をひとつ仕上げるような意気込みで、

できるだけ具体的に書き進めていくのが良いのかもしれません。

読んでいる人にとっては、興味が少しでもあれば次に進んで、引き続き目を通してもらえれば良いですし、

そうでないのなら、ここで切り上げてもらって、コーヒータイムだかおやつタイムだかにしてもらっても構いません。

いずれにせよ、一旦ここで休憩とします。

はい、休憩終わりです。

読み進めたい人は、このままどうぞ(^-^)

そうして、相手の人を具体的に思い浮かべてラブレターを書くにあたって、

えっ!もしかして、あの人?とならないように、ここでは「エリ」さんに宛てるということにしておきましょう。

そして、思わず期待してしまった何人かの「エリ」さん(あなたです!?)、

申し訳ありません!

最近、気になるのが喜多村英梨さん(キタエリ)なのでそうしたまで、そこに関してはこれ以上…ムニャムニャ(以下、省略)。

これが「文乃」さんでは、木村さんのところのあのお方しか浮かばなくなるので、ひとまず「エリ」さんにしておきます。

ウォッホン、エ、エリさん、こ、こんにちは。

わ、私はソバジマと、も、申します。

いつもお仕事お疲れさまです。

今は同じ部署(営業企画部みたいなところ)で、日頃、あなたの一生懸命お仕事に取り組む様子に、

同僚のひとりとしてだけでなく、ひとりの女性として、「好き」という気持ちが少しずつ大きくなってきました。

僕だけでなく、いつも誰に対しても明るく接しているエリさんは、とてもステキな方だなと思います。

ここ数ヵ月は、どんどん気持ちが大きくなってくるのをとめられなくなってきました。

今度、部署での飲み会とか同期での飲み会でなく、ぜひ二人で一緒に食事に行きたいなと思っています。

お返事、お、お待ちしております。

よ、よろしくお願いいたします。

うーん、妙に緊張していて、面白味はあまりない。

それに、初々しいね。

二人の日頃の距離感がわからないのはあるけれど、真面目で良い人であるのはそれとなく伝わってくるので、

エリさーん!一回はゴハン一緒に行ったら、彼(ソバジマくん(仮))も喜ぶと思いますよ。

良い人なのは間違いなさそうだから、まずは一回、そこんとこよろしゅう頼みます(^人^)

ソバジマくん(仮)、あとはキミの頑張り次第だ、キミの持つ誠実さがそのまま伝わると良いね。

健闘を祈る!

こうして、ひとまず書いてみて思うのは、好きな気持ちを伝えるのと一緒にいたい気持ち・行動が伴っていることが大切なのだなと思いました。

好きだから一緒にいたい、一緒にいるから好きになるといった具合に、互いが互いに補い合うようなことで、

好きだけど行動として何もないのであれば、一体この人は何をどうしたいのかがわからないし、こちらとしても何の動きも取りようがないというわけです。

これが、出会って間もないとか、仲良くなるのはこれからという場合には、勇気を持ってしっかりと気持ちを伝えながら、ゴハンに誘うとか、何かしらの行動につなげていく必要があるわけですね。

また、このところ思うのは、上記のような、恋愛にあてはまるようなスウィートな関係に限らずとも、

夫婦でも親子でも、兄弟姉妹や親戚、あるいは、友人・知人であっても、

普段は、面と向かっては言えない感謝の気持ち、正直な伝えたい気持ちなどを、

こんな機会だから、その勢いに乗って、ラブレターにしてみるのも良いかもしれませんね。

あなたの書く、手書きのそれ自体もありがたいものですし、

愛溢れる気持ちを伝えるに、それに勝るものはないでしょうから、ここはぜひあなたの思う大切な人に届けてもらいたいものです。

と、意外と真面目に収まったところで、今回の内容はここまで♪

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携帯電話について<保存用>

Facebookの投稿用に書いたものではありますが、

それなりに良い感じでできたと思うので、

こちらにも保存用として残しておこうと思いました。

 

どうぞご覧くださいませ。

【TELEPHONE】

おはようございます、ソバジマです☆

時々、街中で歩きながら、あるいは、立ち止まりながら電話(ケータイ、スマホ)を耳にあてないで通話している人を見ると、

実際はイヤホン(今はずいぶんと高性能のようです)を耳に、聞いて&話してと通話しているわけですが、

それが大きめの声だったり、笑い声だったりすると、パッと見には独り言を言っているのかな?なんて思ってしまいます(^-^;

髪の長い人ではほとんど隠れてしまうこともあって、思わず声のする方を向いてしまうのですが、次の瞬間には"おっと、これは視線を合わせてはいけないヤツだ"と思って、どうにか視線の合うのを回避します。

しかし、そういう時に限って、不思議と視線がバッチリ合ってしまうもので、内心の動揺を悟られまいと、こちらはせいぜい平静を保つのに精一杯で、かえって顔が強ばってしまうものです。

そして、背中にはにじむ汗…。

最近では、ケータイ、スマホの電話を1台のみならず、2台、3台と持つ(携帯する)人が多くなってきています。

「携帯電話」の名前の通り、電話の通話機能が一応メインにはなっていますが、今では電話・メールと肩を並ぶほどにLINEが定着し、メッセージを送るべく操作している時間も後者の方がより多く増えている傾向にあるようにも思います。

それ以外にも、電子書籍で本を読んだり、オンラインかそうでないかは定かではない各種ゲームに興じたり、手の中に収まる端末ひとつでできることの多さに驚愕を覚えるほどです。

自分自身もついつい操作している時間が多くなっているのを自覚するものですが、そうまでしてやるべきものなのかなと、中空を眺めながらふと冷静に思えば、そっと逡巡する場合もないわけではありません。

それはさておいて、話すにしても、文字を打つにしても、どの場合でもそれは何かしら言葉、メッセージを介在していることが多いわけで、これは突き詰めればどういうことになるのかとなれば、

それを届ける相手がいるとか、また反応が返ってくるとか、そうしたやり取り自体を求めている人が、案外多いのかとなるのかもしれません。

さらには、ますます増えているように思う、歩きながらであっても熱心に操作をしている人を見ると、

頼りにするのと依存するのでは、心的状態にはだいぶ乖離があるようにも思いますし、いくつかの理由から、ぜひともそのような行為は控えてもらいたいとも思うものですが、

それだけ手放せないだけの利便性と必要性と、そしてやり取りを求める気持ち、いわゆるひとつの欲求があるからなのかもしれません。

これほどまでに電話が発達していなくても、本来的には、面と向かえば身ぶり手ぶりをも交えながら、そのまま目の前の相手とやり取りをすれば良いものですが、そうはなっていない、

目の前にいるのにも関わらず、携帯電話を通じてメッセージを送り合うという、本末転倒なる状況すら起こっていることもあるようです。

口に出した言葉は、意志や意図を乗せながら相手に届き、その相手はそれらを汲み取りながら、また返すようにして元の相手に届ける、

その繰り返しや頻繁な応酬が、会話として次第に生成し、やがて深いところで相互に疎通するものと考えられます。

しかし、これは、時間的なとらえ方をすれば、何か口にした途端後ろに遠ざかっていくために、やや前のめり気味にもなって、矢継ぎ早に接ぎ穂を足していく必要があって、

その意味においては、非常にはかない、この手で感触を確かめにくい営みのように思うかもしれません。

声に思いを乗せるからどのような気持ちなのかも、口に出す言葉そのものと合わせて表情や口調などとともに伝わるものですが、

これが先述したような理由から、声に出す以上に、通話の履歴、メールやLINEのやり取りとその履歴を、まさに痕跡としたい気持ちが優先している、それが現在の状況なのかもしれません。

たとえ、実際には誰かとやり取りをしなくても、電波的にはつながっている携帯電話(スマホ、ケータイ)という筐体を手にしていることが、

誰かとつながっている、あるいはいつでもつながることができるという、その実は深層心理の反映となっているようにも思えてくるのです。

ただ、逆説的に言えば、誰かとの関わりややり取りはあくまで一過性のものだし、その時その場所にいる自分で向き合っていくだけものですが、

それを先に延ばすようにしたり、過去のものを引きずるようでは、今の今に生きていないということにもなって、それはまた"執着"にもなっていくようにも思えてしまいます。

また、より難解にとらえていくのなら、そして、どれくらいの蓋然性があるか、検討の余地は多くありますが、自らの持つ端末が自我の反映とも考えられそうで、

どのようなアプリや機能を用いているのか、インターネットやSNSの類ではどのような閲覧、検索を行っているのかなど、

その人の見知るところの大半が、そちらに置き換わっていくうちに、場合によってはこちら側に目に見える形で表れてくるとも考えられます。

そういった、自分の頭の中や気持ちの中にあるものを知ってほしいといったことも、おそらく潜在的にあると考えれば、

それをひとつの願い(のようなもの)として託し込んでいるとみなすことも、決して突飛なわけでもなく十分に可能なのかなという気がします。

そして、それがある意味ではまったく架空ではないにせよ、多分に仮想(ヴァーチャル)のことでもあるので、現実的にどうであるかに優先して、それだけに手の中の画面に没頭してしまうのかもしれません。

果たして、どんな手段や道具にしても、何を持っているかより、それをどのように活用していくのかが重要であって、

今回の携帯電話に限った話でなく、より有効に使いこなすことで、より多くの人やより広い世界に触れる(アクセスする)ことができるのだろうと思います。

個人的には、今回のような抽象的思弁を好む傾向が結構強くあるので、今年はより同じような思考の傾向を持つ方々と、ぜひとも辱知の栄を賜りたいなと思っています。

それに限らずに、機会があれば、あなたの声や思いを、携帯電話を通してでも、直接にでも良いので、そっと伝えてもらえたら嬉しいなと思います☆

これでおよそ2,500字程度のボリュームになります。

 

ただ、ここでは字数の多さを誇りたいわけでなくて、

こういうものがよりサラッと書けるようであれば、

もっと楽しくなるであろうと思うことは書き記しておきます。

 

 

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