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傍島康始|ブログ

Month: 12月 2017 (page 2 of 11)

話す時間の長さと内容について

 

今時は、「茶をしばく」と言うのでしょうか、

それとも、俗語のひとつとしてあるのでしょうか、

詳細については、わかりかねるところが多いものです。

 

結局は、喫茶店・カフェで「お茶をする」ことなのですが、

お茶を一緒に飲むことだけでなく、会話を楽しむためでもあって、

お茶自体は、コーヒーに代替されることの多い今日この頃でしょう。

 

竹馬の友のような人と久闊を叙するのみならず、

街行くステキな女性に、ふと声をかけて、

親密になろうとする場合にも用いられるものですが、

そうして、何をどう話していくかによって、

心の距離が縮まることが好ましく思います。

 

ここで、大切というか、至極当然のことなのですが、

会話の内容がどう繰り広げられるかの方が、

どれだけの時間を話したかよりも比べるまでもなく重要で、

長い時間をかけたから最高というものではないのです。

 

これは、自分自身の体験でもわかることですが、

たとえば二人か三人くらいで会話をしている時に、

話題は尽きないし、ポンポン弾むように会話が続くのなら、

結果として、長い時間が経っていたということはあります。

 

逆に、まるでお仕着せの一問一答方式かのように、

「〜ですか?」、「はい、そうです」のように、

味気ない会話ばかりが続くようでは、

結局、お互いにわかることはほとんどないような気がします。

 

最近、自分自身の意識している「意識の階梯」において、

その人の真ん中にあるような考えや、大切にしている思いまで、

自分が話したいか、相手が知りたがっているか、

あるいは、その両方かで会話の内容が繰り広げられない限り、

決してお互いの(心の)距離は縮まらないような気がします。

 

そういう、人ひとりの成り立ちのような、土台の部分なくして、

どうして、その人の本質を知ることができるのだろうか、

少なくとも知りたいと興味を持つ人がいるのなら、

そこまで聞き知りたいなという思いは日増しに強くなっています。

 

心の奥底からの、その人となりを知るためには、

じっくりと会話の内容を掘り下げていく必要はあって、

数時間〜のような根気強さが求められるかもしれません。

 

自分自身の心の動きで、何をどう話したら、

あるいは、何をどう話したいのかがあるのかで、

その人への信用度合いを推し量る事柄はありますが、

それはここで明かす内容ではないので、それはまた別の話になります☆

 

 

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維新と革命の違いについて

 

以前、何かの本か何かで目にしたのですが、

維新と革命とでは、だいたい同じようなことだけれど、

言葉の定義としては異なるとありました。

 

確かに、世の中が変わるということでは、

だいたい同じように考えるどころか、

同じものとして考えているかもしれず、

しっかりと把握しておくことが大切だなと思いました。

 

しかし、いろいろな人の言説を見ていくにつれて、

それぞれの見解があるために、何が維新で何が革命なのか、

一定の合意が取れていないようにも思いました。

 

"維新"ということでは、19世紀末の明治維新が思い浮かびますが、

これは、決して革命(Revolution)ではなくて、

復古(Restoration)だという意味合いが強いようです。

 

だからと言って、オセロが白から黒へ変わるような、

見てすぐにわかるようなものでなく、

多くの人の思惑や意図も絡み合っているでしょうし、

制度や仕組み、あるいは外交のようなものまで含めると、

相当に複雑な要因の上で、成立していることがわかるものです。

 

そこでは、国体のような、少し抽象的なものまで含んでいるんので、

定義としてこうであると、決して断定はしにくいものだけれど、

およそでも、どういうものであったのかを考えることは、

物事の整理をする意味でも、大切なことのように思います。

 

維新とは対をなすように思う"革命"を考えてみると、

18世紀のフランス革命が思い浮かびやすいように思いますが、

これは、それまでの王政から市民が中心となるようになっています。

 

ここで、維新と革命の違いを、感覚的にとらえてみると、

維新では、容器は同じだけれども、

中身がお茶からジュースに変わる感じで、

革命は、容器もビンからペットボトルに変わり、

中身も、お茶から牛乳に変わっている感じかなと思います。

 

この容器や中身は、あくまで「たとえ」なので、

比較ができれば、別に何でも良いような気はしますが、

話の要点としては、国を治めるための大きな仕組み・制度は、

維新では、その前後で根本的に変わっているものではないけれど、

革命では、丸ごと変わっているようなものなります。

 

これは、国としてどういう枠組みなのかの、

土台となる"国体"が前後で変わっているかどうかで、

置き換えらるもののような気がします。

 

そして、具体的なところでの生活や政治の進め方は、

国体の変化に関わらず、どちらも変化していると考えられます。

 

詳細に吟味しながら議論してみれば、

とことん追求は尽きないでしょうが、

これをひとつのきっかけとしていきたいものです☆

 

 

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望んでいるものはどこにある

 

自分の好きな発想(たくさんあるうちの)のひとつに、

「何を知りたいのかはわからないけれど、

新しい何かを知る必要がある」ということがあって、

これは、人との出会いにおいてもそうなのかなと思っています。

 

特定の誰に会いたいというのがあれば話は別ですが、

誰に会えば良いかはわからないけれど、

とにかく新しい誰かに会うことによって、

自分の求めるものがわかるということがあります。

 

そして、その自分の求めること自体、

特定の何だということがわからないにも関わらず、

何かを求めていることが往々にしてあるものです。

 

そういう場合には、誰から何を知りたいかのかを、

事前に明確にすることも必要かもしれませんが、

"知りたい"気持ちひとつで、行動に移しながら、

人に接していくのが、わかる近道とも考えられます。

 

そして、その会いたい人に会って、知りたいことを知って、

そうして、事後的に自分の求めていたことは、

そういうことだったのかとわかることがありますし、

自分自身、そういう経験が何度かあります。

 

最近でも、分野とか領域のようなものでの、

知りたい方向はそれなりにあるものの、

結局、何を知ることができたら満足するのかは、

明確にはわからないまま、調べを進めるにつれて、

自分の知りたいことはこれだったのかと、

ある意味、想像以上に求めていたものに巡り会い、

ひとり快哉を叫ぶような気持ちになりました。

 

この場合は、どちらかというと知的な好奇心にもとづく、

知的な欲求のままに、調べを進めていたのですが、

それでも、自分の内面的な変化を求めていたり、

改善を試みたりするような時に感じる直観は、

きっとそのまま信じるのが良いように思いました。

 

それはまた"心の声"とも言い換えられそうですが、

素直なままに従っていくことで、

思いもかけない出会いや導きに遭遇することでしょう。

 

最初からこの道を選び、突き進んでいくことだけでなく、

行きつ戻りつ、寄り道もしながらでも、

それでも、前に進みながら、この道あの道と試してみると、

不意に、行きたい方向がわかって、視界が開けるのかもしれません。

 

おそらく、じっとしているばかりでは、

良くも悪くも何も、自分の身には起こらないことになるので、

ここは基本に戻って、①会いたい人に会うことにはじまり

②行きたいところに行く、そして、③やりたいことをやるうちに、

新たな何かを見出すことができるように思います☆

 

 

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