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傍島康始|ブログ

Month: 11月 2017 (page 1 of 11)

見切り発車で構わない

 

物事はとにかく、はじめないことには、

行き着く先だって決まってこないものだなと、

しみじみと思う今日この頃です。

 

そもそも、今を生きているのでさえも、

"よーし、いっちょ生きてみますか"となって、

それでこの世に生まれ出ているわけでもないので、

言うまでもなく、それは当然のことかなと思います。

 

完全なる旅行計画や、完璧なデート・コースを用意しても、

実際には、それを敢行してみないことには、

どのような過程になるかも明らかにはなりませんし、

総じて、予想外のことばかりが起こるものです。

 

自分ひとりのことではないので、

相手や関わる人の反応もあるでしょうし、

自分自身の体調や気分によって、

感じ方や動き方も変わってくるように思います。

 

そうして、前もって用意しておくことは必要ですし、

できるだけ不測の事態に備えるのも良いものですが、

それも8割くらいができていれば、十分かなという気がします。

 

途中を楽しむ、スリルでさえも楽しみながら、

最初に思い描いたことの全部が思い通りにならずとも、

おおむね実現できていれば良いだけのことで、

あとは、どれくらいを許容できるかに関わってきそうです。

 

たとえば、食事にしても、思っていたより少ないとか、

思っていたより味が濃いようなこともあるでしょうが、

どういうものを予想していたかの差異を感じるとともに、

どれくらいなら気にならないのかも、加味しておくと良いでしょう。

 

それでも、お腹の調子が崩れるとか、精神的に変調を来すとか、

あまり好ましくないことが起きる可能性は低いものですから、

そうでない限りは、いちいち目くじらを立てる必要もないでしょう。

 

こういうものを大きくくくってみると、

"人生は、全部が全部、思うようにはならない"ものだと、

ある意味では、それは確かなものと割り切っていれば、

それが気持ちの余裕をどれだけ持てているかということにもなって、

人としての器みたいなものも試されているかもしれません。

 

強く思っていけば、かなうことも多いでしょうが、

実際の行動に移していかないことには、

場所なのか状態なのかはいろいろあっても、

それぞれに到達することはないとも言えそうです。

 

そのように考えると、逸脱するような範囲でなければ、

少しくらい勇み足でも良いとも思えそうで、

どしどしやっていくのが、結局は優先しておくと良いのでしょう☆

 

 

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元気の分け合いっこ

 

同じ人と、長く一緒にいるというのも良いですが、

性格や感覚が似ていたり、同じ状況にいたりして、

それがお互いに好調・順調ではない場合には、

同時に良くない方へ引っ張られてしまうかもしれません。

 

そういう時には、これは日頃からということになりますが、

特定の誰がということより、"元気な人"というカテゴリーを優先し、

心がけとして、常に一緒にいるのは"元気な人"と選択するのが、

ほとんどいつもが良い状態でいられると思いますし、

自分自身も、常にその一員として関わっていられることでしょう。

 

当然、普段から関わる人が、多ければ多いほど良いわけではなく、

ひとりひとりとの関わりの深さは大切だとは思いますが、

そうして、必ずしも数が多いわけではないかもしれないけれど、

いつのまにか、それなりの人数が集まっているという、

あくまで、結果的にどうであるかという話のように思います。

 

人は、日々過ごしていれば、いつも元気というわけにもいかず、

気持ちの浮き沈みは当然あって、あとは程度の問題になります。

 

そのように続けて考えていくと、

健やかなる時は一緒にいるのはもちろん、

病めるような時にでさえ、そっと寄り添えるように、

そして、そのためには自分は元気であることが、

相手に何かをしてあげたい=元気になってもらいたいと、

ようやく思えるようになると思うので、

そこで自分も同じように調子を崩すことはないのです。

 

すでに、こういう状態を実現していれば、

より良いようにしていくだけのことですが、

今はそうでない、そして、そうなっていきたいとなれば、

今のこれから心がけることとすれば、

まずは自分がそうでありたいと思うことに端を発し、

同じような気持ちを持っていく人と出会っていくことになります。

 

出会っての当初から、こういうことに踏み込んで、

いきなり合意が取れるということも少なくはないようですが、

多くを語ったり、仔細を語りつくすようなことはしなくても、

どのように物事を考えているかというのは、

ふとした発言の内容であったり、そもそもの雰囲気に出たりして、

およそのところは感じ取ることができそうです。

 

あるいは、"元気でいる"ような人はおそらく、

ニコッと笑う笑顔がステキあったり、

心のこもった振る舞いをしたりするようにも思うので、

出会った途端に「わかる」こともあるでしょう。

 

自分も元気であるのと同様、多くの人が元気であって、

毎日を愉快に過ごせていけたら良いと思うのです☆

 

 

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自分の語る言葉を思う

 

自分の語る言葉が、たとえば日本語として、

時々、それをどのように語っているのかを、

振り返ると良いのではないかという、

そんな、少しばかり込み入った話のひとつです。

 

これはもう比較でしかないのですが、

英語を話す時には、身振り手振りも含めて、

少しばかり大仰に(テンション高く)なるようなもので、

何をどう語っているのかというのか、

気持ちの面であったり、与える影響であったり、

何かしらに関わってくるもののように思います。

 

多くの人にとっては、仕事をしている時に、

社内の人たちと、取引先の人たちとでは、

気持ちの親しみ具合や取り扱う内容によって、

語り方が異なるのを意識してもらえると、

想像をするに容易なのかなと思います。

 

そして、それが家族や友人と語り合う時とでは、

当然のように、使う言葉や語り口が異なるはずなので、

あえて、自覚的になってみることも必要ではないでしょうか。

 

自分自身は、どちらかというと考え込んで話すことが多いので、

時々、思ったことを思うように語る人を見かけると、

その真率な素早さの、その様子に驚くとともに、

ある意味では、迂闊なのではとも思慮してしまうものです。

 

それに関連して言えば、敬語や謙譲語などを用いず、

自分は自分の言葉で語るのだという人もいるかもしれませんが、

これらを堅苦しいものばかりととらえない方が、

適度な距離感を保つことや最初に距離を測ることもできるので、

知らないよりかは知って、用いた方が良いように思います。

 

そして、同じ日本語を語っているとしても、

東西南北、それなりに地域性は分布しますし、

時代を振り返ってみれば、今と昔とでは異なるものです。

 

そこでは、その地域ごとの特性みたいなのもあるし、

気の強さや我慢強さなど、受けている影響もあって、

それによって、自分がそう話しているというようになります。

 

自分なりの言葉遣いをするのだと思ったとしても、

それが、どういう背景や影響があることを思ってみるとか、

あるいは、このような文脈や系統で語りたいのだと思えば、

それを頼りにしてみるのも、まずは良いのかもしれません。

 

自分の語る語り口を、時には点検することによって、

何を語るのかという内容にさえ関わってきますので、

何を理想とするのかを考えておくのも興味深いところです☆

 

 

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