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傍島康始|ブログ

Month: 10月 2017 (page 1 of 11)

今日という日を噛みしめる

 

いつもは、あまり季節や時事を思わせないことが多いですが、

今日ばかりは、少し感傷的な雰囲気も漂わせながら、

言葉をより丁寧に紡いでいくのかなという気がします。

 

巷はハロウィン、こと日本においては収穫祭の意味合いの薄い、

西洋的百鬼夜行(パレード)の側面が強いわけですが、

それ以外にも、今日という日の持つ意味はあるわけです。

 

直接的な関わりはなかったにせよ、画面や誌面を通じて、

自分と同じ年齢の人が、19歳の時にいなくなったこと、

年齢もそうですし、同じ年齢というのが結構衝撃的なものです。

 

今もいれば、三十路の後半にさしかかるような頃で、

自分にとっては、あの人のことを思い出さずにはいられない日、

これを語り尽くせるような十全たる言葉や語彙を、

今でも、確実に持ち合わせているわけではありません。

 

他の人にとって、心に大切に思う人が異なるように、

たとえば、6月13日だって思い出さずにはいられない日でもあります。

 

それでも、長年という歳月を経てきていればそれなりの、

個人的には、昨年にだいぶ落ち着いたなというのがあって、

そういう状況になったことを、ありがたくも思うわけです。

 

長く待った甲斐があったというか、

忘れることなんてできないようなことを、

胸に抱いていて良かったなと思いました。

 

ここ何年かでは特にそうで、

あるいは、信じ続けてきて本当に良かったな、

そういう思いが去来したものです。

 

そう考えると、何がどうであるにしても、

生きていること自体、また次のことや新しいことに対して、

動きをもたらすことができるので、

まさに、生きていてこそという思いを強くするものです。

 

今日がまさにそういうことを思う日であれば、

これまでの長くがそうであったように、

なかなかハロウィンでうつつを抜かすというのが、

どうしてもできないというのがあります。

 

これが、平たく言えば「信条」のようなもので、

今後もきっとそうなのだろうなという気がします。

 

これをわかっている人も、似たような思いの人も、

少なからずいるので、自分もまた忘れないで、

何かしら語り継いで生きたいものですね。

 

忘れられること自体、そんな寂しいことはありませんからね。

 

ハロウィン、それ自体賑わっていることは構わないのですが、

全員が全員、そうではないことを思ってもらえれば嬉しく思います。

 

今日も明日も、"花咲く命ある限り"精一杯生きて生きたいものですね☆

 

 

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誰でも良くてそうでもない

 

だいぶ以前に、テレビを見ていてあったのですが、

「うっかり口にして失敗した」ようなテーマの時に、

たとえば、女性と口づけをしようとした男性が、

「本当に、アタシで良いの?」と女性から聞かれて、

「誰でも良いわけないじゃないか」と答えようとして、

しかし、緊張のあまり「誰でも良いよ」と端折ってしまい、

ロマンティックな雰囲気が云々というのがありました。

 

確かに、目の前の「あなた」こそが大切ではあるけれど、

果たしてそれを、盲目的に首肯はできないなとも思いました。

 

その後も、いろいろと見聞きして見識を広げているうちに、

これはかなり示唆に富む事柄であるように、

年齢を重ねるごとに、考えを深めるようになりました。

 

人間の三大欲求とは"食欲"、"睡眠欲"、"性欲"と、

それをいかに満たすかが、いかに生きるかにつながるとも考えられ、

日々、個人それぞれに取り組んでいることでしょう。

 

これらを、直結はしないけれど生存に必要なことで、

言葉を置き換えると、"何でも食べられ"、"どこでも寝られ"、

そして、"誰とでも仲良くなれる"ということになるのではないかと、

妥当かどうかはさておき、密かに考察を進めているわけです。

 

こういう力がある方が、日頃でもそうですし、

いざという時にも生き延びる可能性が高くなるのが、

本能的に備わっているように思います。

 

ただ、特に恋愛だとか結婚ということで取り上げると、

感覚的には、異性の誰とでも仲良くなれる方が、

深い関係になる確率や機会が多くなることが考えられますが、

もっと人間的と言いますか、文化的・社会的には、

日本では一夫一妻制ですから、ひとりを選ぶのが適切です。

 

そういった、大勢と仲良くなれる力と、個人と親密になる力の、

少し方向の異なる能力を同時に涵養しなければいけなくて、

それが、人間的資質の向上にも繋がるように思います。

 

あるいは、「君だけに決まっているじゃないか」ということで、

逆もまたしかり、自分のことも大切に思ってもらえることになるので、

他に代え難い「安心」が得られるようにもなるでしょう。

 

自分自身も、出だしの質問をされた時に、

緊張をすることなく、「君だけだよ」と言えるように、

これまた日頃の訓練を積んでおきたいところです☆

 

 

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語りに言葉は続く

 

言葉は溢れるように出てくるもので、

自分の伝えたいことが模糊としていても、

脳裏にあることを、そのまま伝えられたらと思います。

 

ここまで来ると、どこに向かっているのかはわからず、

決して読みやすい(リーダブル)とはならずとも、

"今の思い"みたいな楔を、今に打つのみですね。

 

今回は、少し横道に逸れるかもしれませんが…、

もとい、いつも横道にばかり気を取られるので、

なかなかまっすぐには進めないなと思いますが、

こうして、文字を自由に綴るにつけて、

たとえば、内容にも関わることではありつつ、

どの時間帯にどの場所でやるのかもそうですし、

ケータイ(スマホ)で打つのか、PCなのかで、

もしかしたら、内容の展開や帰着に与える影響が、

少なからずあるのではと思うわけです。

 

これはまた、紙とペンの関係にも似ていて、

インクの出る具合や紙の質感によって、

出てくるアイディアや仕上がりに、

少なくない影響を与えていそうです。

 

これは、なかったことに想像を馳せることでもあって、

このような電子空間の中においては、

下書きにはじまり、書き直しや推敲など、

遡及的にはたどれないのが一般的です。

 

"第*稿"とでも打って別名で保存するか、

訂正線の機能を用いて、視覚的に残しておくか、

別種の工夫が必要になってくるなと思うわけです。

 

あるいは、同じ事柄を取り上げて、

異なるバージョンを用意するように、

ひとつに対して複数のシナリオをもたらす、

そんなことをするのも有効かもしれません。

 

いかんせん、実際的には効率はあまり良くないので、

やらなくてはいけないものでもありませんが、

別の観点では、ほんの数日の間隔であっても、

出る言葉や用いる論理が異なるのを思いますので、

たとえ正解みたいなものに近づかないまでも、

その時表したものが、その時の答えだなと思います。

 

そうして、たくさん出していくうちに、

多少の振れ幅をゆらゆらともたらしながら、

考え方の枠組みや興味の傾向などが、

およそわかってくるのだろうも思います。

 

伝えたいことを直接取り上げたり、

行間ににじみ出るようにしたりと、

いくつかの意図と創意工夫を心がけながら、

これの目を通したあなたの、考えるそのための、

何かの刺激になれば、これまた喜びの至りなのです☆

 

 

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