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傍島康始|ブログ

Month: 9月 2017 (page 2 of 10)

個人的なことに留らず

 

先日の「生涯未婚率」もどうにかすべき問題のひとつですが、

それ以前に、特定の恋人の存在自体がいないということが、

男女問わずにあるようで、こちらはまた別の深刻さがあります。

 

これは、現代の日本の社会においてという側面があって、

以前はそうではなかったところも多くあるでしょうし、

これを海外の諸国と比較してみると、当然事情は異なるので、

日本の特異性みたいなものも浮かび上がってくるかもしれません。

 

たとえば、日本で"独身、あるいは交際相手がいない"のは、

統計の仕方や分析の仕方でも多少異なるでしょうが、

およそ男性のうち10人に7人、女性では10人に6人になるそうです。

 

そして、交際を望む割合としても、望む/望まないのが、

男女ともに25〜30%あたりを推移しているのですが、

交際を望む割合が減少している一方で、

交際を望まない割合が増加している結果が出ています。

 

政府の公的な調査だけでなく、民間でも各種調査があって、

それによると、そもそも「恋愛に興味がない」とか、

「交際を面倒に思う」ような人が約半数近くいるそうです。

 

年代的に見てみると、20歳代後半〜30歳代前半では、

結婚を意識するような年代でありながら、

仕事においても、ようやく慣れてきたり、

大きな仕事を任されたりするようになって、

そうなると、仕事終わりやたまの休日をどうするのか、

この過ごし方は結構シビアに考えるかもしれません。

 

出会って→仲良くなって→交際するとなるにも、

段階を順々に経て、さてどうなるかとなるので、

誰かといることを望むのと、そうでないのと、

それぞれにおいて天秤にかけることでしょう。

 

野放図に言っている自分自身においてはどうなのか、

これはまた掘り下げて目を背けずにいきたいものですが、

端的に言えば、自分ひとりで過ごすのが通常というか、

男女問わず、誰かといることがそもそも少ないかもしれません。

 

それは例外的だとしても、そういう人が増えているのは、

個人の幸福の度合いでも、今後の日本においてでも、

良い方向に向かっていくのが望ましく思います。

 

また今後も、追求して取り上げるかもしれませんが、

自分ごととしてもどうにかすべきことなので、

いわば個人的なことに焦点を当てるがために、

そこを中心に取り上げるかもしれません。

 

それに関わらず、今回のように全体での傾向や統計で見てみると、

その一員であることもまた強く自覚するものです☆

 

 

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幻の最終回を思うように

 

思うがままに、言いたいことを言いたいようにして、

アイディアは出る、それに連なる言葉も出るとあって、

日々の更新を続けること自体の負担みたいなものは、

それほどまでに大きいものでもありませんが、

そのうち、急に終わるかもしれませんし、

更新の頻度なのか、一回あたりの分量なのか、

力の入れ具合を格段に落とすかもしれません。

 

何回も回を重ねつつ、半年とか一年とかすれば、

周辺の何らかの状況も変わるでしょうから、

どうなるかの実際はわからないものです。

 

これはまた、後ろ向きなことでもなくて、

決して言い訳を述べたいわけでもなくて、

そういうこともあらかじめ含んで考えておくことが、

土壇場になって慌てふためかないということになって、

ある意味では、それ以上のリスクを回避することにもなるので、

前もってできることがあるのならやっておくに越したことはない、

単に、そこに終始するだけのことのように思います。

 

「期間限定」みたいな文言に弱いのは世の常ですが、

これもまた、いつまで続くわけでもないことを、

一方では貴重に思い、もう一方でははかなく思う、

その深刻さに程度は、人それぞれにあっても、

似たような反応が、静かに起こっているような気がします。

 

大きく言えば、人の命もいつかは終わりが訪れるものですから、

書き記したものが留まるということはあっても、

いつまでも新しいものが出てくるというものではないのです。

 

近年は、その人の生きる、その生き方のことを、

「生き様」ということが増えてきていますが、

武士の世界では「武士道とは死ぬることと見つけたり」と、

死ぬことをしっかり考えてこそ、今の生きることが定まるということで、

「死に様」が見事であるかどうかという価値判断があります。

 

あるいは、死ぬる人の棺桶の蓋が閉まって、

その人の人生がどういうものであったのか、

評価されることで完結するようなこともあって、

その意味では、生きているうちの言動や功績が、

どれほどまで積み重ねられたかが問われているわけですね。

 

はじまりがあれば終わりはあるものですが、

最初から終わりばかりを思うのもナンセンスなので、

いろいろな力の限り、まずは続けていくことを選びます。

 

さて、今後はどうなっていくものか、皆目予測不能、

その成り行きをそれなりに見てもらえたら良いなと思います☆

 

 

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行き着く先の道筋を

 

日頃、いろいろなことを気にかけていて、

自分はどのように受け止めるかとか、

どのように感じるのかを、胸中で浮き彫りにして、

誰かに伝える、文字に置き換えることがあります。

 

どんな物事にせよ、概要をとらえる時に、

そこには一定の正確さが求められますが、

どうやら話の着地というか終わり方は、

決してひとつではないなと感じています。

 

ある程度、言いたいことが収まって、

それが同時に、相手に伝わってもいる場合、

最終的に、どうであるかの差異は問わないというか、

そこまで微差にこだわらないというのがあります。

 

コトと次第によれば、寸分のズレもないことが、

非常に高い精度で求められることもあるでしょうが、

おおむね合っていれば問題ないことも多いわけで、

そのあたりは柔軟に融通するという具合でしょうか。

 

普段、こうして書きつけているうちに、

これはぜひとも伝えておきたいということもありますが、

実際には、書きつけているうちに新たな発想を得ることもあって、

当初の目論見とは異なることも結構多いような気がします。

 

場合によっては、思っていることに輪郭を与えたいから、

かなり見切り発車的にはじめることもあって、

そういう時には、どこに着地するのかだなんて、

最初から決めていないこともあります。

 

それでも、思いつくことの端々を並べていけば、

自分は意外とこのように思っていたんだなとか、

こう思うけれど、少しは調整が必要だなとか、

そういうことを感じながらやっているので、

自分自身、得るものが大きいなと思っています。

 

そうして、同じことを考えるにしても、

自分のモノの見方というのはそれなりにありながら、

多面的、多様に考えることもまた大切だと思うので、

そういう視点や観点を組み合わせていくのが、

豊かな発想につながるので、心がけていきたいところです。

 

景色にしても、地上で見ているだけの見え方と、

空中に高く上がっての見え方とでは大きく変わりますし、

それによっての、自分の変化への感じ方もあるでしょうから、

良い意味で固執しないことが良いとも言えそうです。

 

論理は単線的と思いきやそうではない、

自分の中でもそうですし、誰かとの意見ともそう、

それが良いとか間違いでなくて、正すものでもなくて、

そういうことなのだと感じ取ってもらえたら本望です☆

 

 

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