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傍島康始|ブログ

Month: 9月 2017 (page 1 of 10)

鳴動する響きとともに

 

自分自身はプレイヤーでなく、熱心なリスナーではあり、

また、その道を突き詰めている人の深さにはかないませんが、

音楽の、特にロック方面でのドラムに強い関心を寄せています。

 

基本的なバンド編成において、打楽器としてはドラムのみであり、

受け持つパートとしては、メロディであるよりかはリズムになり、

それだけに、ドラムの特異性というものがあるような気がします。

 

何をどうにか展開していくのかがわかりやすいものかと思いますが、

まずは、誰もがスティックを手にとって、それを打てば鳴るという、

サックスフォンの息遣いやバイオリンの弦の扱いに比べれば、

音を出すこと自体は、比較的容易な楽器のひとつのような気がします。

 

それでも、ロックのドラムの成り立ちににおいては、

ひとりでいろいろなことをしようとしているうちに、

いくつもの種類を組み合わせているという実態があります。

 

具体的な名称で言えば、スネア、バスドラム、フロアタム、タム、

それにシンバル類のハイハット、クラッシュ、ライドシンバルが、

まずは欠かせない基本的なセットかなと思います。

 

あとは、見た目の派手さやプレイの仕方によって、

大きさの異なるものをたくさん並べるというのがあって、

個人的には、要塞のようになっているものが好みではあります。

 

そして、プレイの面で言えば、腕を動かし、足を動かしと、

両手両足を駆使して、リズムを複合的に打ち鳴らしていくわけで、

自在な様子は、非常に見ていて引き込まれるものです。

 

または、単純に同じものを打つにしても、

位置であったり、スティックの当て方、力の入れ方で、

その鳴り方が異なるのは、興味を持つひとつであります。

 

何となく、大きな音を出すには目一杯叩くのが良いように思いますが、

実際には、あまり力を入れないし、打ったらすぐ打面から放すのが、

響きとして大きくなるというコツがあります。

 

シンバルについても、そういう出したい音と打つ場所の関係があって、

これまた奥深い世界で、大いに語りたいなという思いがありますが、

それはまた、どこかでやるかもしれないということで、

今回は、タイコについて取り上げていきたいなと思います。

 

それでも、バンド演奏においてはスネアの鳴りとか抜け感とかの、

この音が良いかどうかが、ドラムの要のような気がするので、

そこに注目してもらえたら良いなと思いつつ、今回を締めくくります☆

 

 

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書面に署名をするように

 

日本では、書類には印鑑や判子を押すことが大半ですが、

欧米では、署名という名のサインをすることがほとんどです。

 

映画やドラマの、オフィスや病院などでのシーンで、

または、ボクシングの調印式で見るような、

サラサラ〜ッとペンを走らせるあのイメージです。

 

そういうものをみると、名前が果たして読み取れるのか、

非常に乱雑というか、まさしくシャッシャーと書いたようなもので、

文字の体裁をなしていないのでは?と思うこともあります。

 

これは、たとえ字そのものは上手に書けなくても丁寧に書く、

何を書いているのかが、相手がわかることが大切と言われ、

日頃よりできるだけそれを心がけている身としては、

読めること自体に意味があるのではないかと考えてしまいます。

 

あるいは、そういうサインの場合は普段と異なって、

どちらかと勢いとノリ重視というか、

また別種のものかなと想像を働かせるくらいです。

 

たまたま目を通したものに、それの回答となるような記述があって、

そこでは、読み取れるかどうかの「可読性」というより、

誰が書いたかという方が優先されているそうです。

 

そもそもの、発祥の仕方にも理由がありそうで、

何を書くのかと、誰が書くのかの違いのように、

文化的な発想が異なることが背景としてあるかもしれません。

 

また、有名人やスポーツ選手のサインにしても、

これも、誰が書いたかということが大切なことで、

この場合では、もう少しデザイン性をも含む、

「シグネイチャー」という意味でのサインになります。

 

これまでも、何度となくこの意味でのサインをもらったことがあったり、

この人のサインはどう書くのかと見たりすることがあって、

その全部が読めるものでもないなというのはあります。

 

できれば読めるものが良いなと思ったり、

バランスが良いとか、見た目にも楽しいという、

そういう特徴があると良いなと思ったりするものです。

 

あるいは、自分の場合では、どういうものが良いのかなと、

少し考えてみるのも、きっと楽しいことのように思います。

 

サインを書くような場面が訪れるのかは定かではありませんが、

準備しておくに越したことはない気がするので、

密かにペンを走らせてみるのが良いかもしれませんね。

 

どちらかというと華美さよりも流麗さを打ち出すような、

自分の人となりが伝わるようなものを用意しておきたいものです☆

 

 

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接するに必要なあれこれ

 

たとえば、年齢が一緒であるということだけで、

それを口実に「タメ口」を提案してくる人がいます。

 

それが親しみやすさを表し出すものだとか、

お互いの距離を縮めるのに有効であるとか、

そのように考えているのかなと推察します。

 

自分は、人との間合いが遠いところがあって、

どこまでも「親しき仲にも礼儀あり」派なので、

知り合ってから結構早い段階で提案してくる人は、

ほとんど脊髄反射的に信用しないことにしています。

 

提案を聞かないまでも、そういう雰囲気を感じるだけで、

あまり良からぬ"しこり"みたいなのが生じるので、

心理的かつ物理的にうんと距離を置くこともあって、

すると、どういう意図でそれを言っているのか、

もうその時点では聞く由も何もないわけです。

 

あまりしたくはありませんが、後学のために、

我慢できる範囲で、それの理由を聞き出すくらいのことは、

今後は何度か試みてみるのが良いかもしれませんね。

 

それを感じるのはなぜか、さかのぼって考えてみると、

特に学校においては、"同じ学年・同じクラスだから"という、

それだけの理由で、絶対仲良くしなければいけないこともないので、

何をかわかりませんが、あまり信用を置いていないのはありますね。

 

それでも、それがきっかけのひとつであることは確かなので、

決してそれ自体を否定するものではありません。

 

あとは、最初はあいさつ程度からはじまって、

天気を話題にして、次はどうしようといった具合に、

次第にお互いの距離を縮めていくわけですが、

それでも、埋まらない距離感というか、

遠かれ近かれ、ちょうど良い距離感というものが、

自然と図られているような気がします。

 

お互いが興味を持つ話題の多様さもありますが、

心の開き具合での段階の方が、もっと切実で、

「ここまでは言う、ここまでは言わない」というような、

何かしらの線引きを行っているような気がします。

 

どうしても表面的に滑るようにして話が進んだり、

言っていることと思っていることが異なったりするような、

どうにもかみ合っていないことも多いわけです。

 

それでも、何も言わないでいては何も伝わらない、

自分が黙っていては、距離を縮めるような機会も訪れませんから、

何かしらは発信して、自分の内面の一部を知ってもらう、

言葉遣いよりも大切な、思いが届く方が良いわけですね☆

 

 

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