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傍島康始|ブログ

Month: 8月 2017 (page 2 of 11)

伝えることの素晴らしさ

 

自分の思ったり、感じたりしていることを、

いかに過不足なく伝えることができるのか、

内容がどんなものであれ、そこに尽きる気がします。

 

たとえば、同じ言葉や表現を用いるとしても、

それによって思い浮かべる意味や内容が異なれば、

伝わる度合いが変化することになってしまうので、

会話がかみ合っているようで、実はそうでないというように、

当人同士が気がつかないなんてこともあるでしょう。

 

"長い距離をひたすら歩く"という場合を考えてみると、

ある人にとっては、10kmくらいのことかもしれないし、

また別の人にとっては、1,000kmくらいなのかもしれません。

 

ここでは、"長い"の感覚が人によって異なるのが歴然としているので、

もしも、長さをできるだけ正確に伝えたいと思っているならば、

具体的な数値で表すなり、皇居何周分のように表したりするのが、

同じ感覚を共有するのに、手っ取り早いということになります。

 

それでも、世界を飛び回っているような人と、

東京23区内で収まっている人を比べてみれば、

距離に対する、そもそもの感覚が異なっているのは、

どうしても否めないところではあります。

 

そうなると、どれだけ同じような前提に立っていられるか、

あるいは、お互いの前提がどのようなものかを知り合うか、

どちらかをやっておくのが、速やかな理解へとつながることでしょう。

 

あとは、最近日増しに強く感じることのひとつに、

関わる仕事や趣味の分野によって、言葉や感覚が異なるのだなと、

同じ日本国内で暮らしていたとしてもあるのだなというのがあります。

 

少し専門的に取り上げてみると、平らな机の大きさを示すのに、

"2×6(ニロク)"とか"3×6(サブロク)"とか言えば、

自分自身は、「なるほど、あのサイズのものね」となります。

 

わからない人からしてみれば、あの制汗スプレーは"8×4"だし、

建築の何かは"2×4"だしなと、疑問に思うこと甚だしいことでしょう。

 

正解は、尺貫法にならった呼び方なので、

1尺=約30cmなので、"ニロク"は60×180cmの大きさ、

"サブロク"は、90×180cmのものになります。

 

こういう専門的な言葉や符丁みたいなものは、

知っているかどうかの差になることが多いので、

知れば解決することが大半だと思いますが、

自分の気持ちや思いを伝えることの方がずっと困難でしょう。

 

これはもう小手先の技術や知識だけではどうにもならなく、

あるがままをそのままに伝える誠意なり、情熱なのだなと思います。

 

それだけに、伝わりきった時の喜びはひとしお、

それが多く味わえるようになっていきたいものですね☆

 

 

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栄養の偏りのないように

 

滋養を蓄え、栄養の偏りのないように、

普段の食事には気を使いたいという、そんな話です。

 

空腹を満たすだけ、何かを食べて満足したいだけ、

そういう食べ方もあって良いものだと思います。

 

夏場にあっては、どうしても食欲が減退して、

そうめんでサラッと済ましてしまうこともあるかもしれません。

 

まだ、冷やし中華の方がバランスは良いかもしれません。

 

特に、食の分野に専門的に従事していなくても、

食べること自体は、誰にとっても共通しているので、

基本的な知識は身につけておいた方が良い気がします。

 

炭水化物、たんぱく質、脂質に加えて、ビタミンとミネラル、

このあたりの大枠を知っているだけでも結構大きいかと思います。

 

あとは、カロリー表示を見ながら、その内訳を見る、

そういう習慣も持ち合わせていると、かなり有効でしょう。

 

食べるはインプット、それによってどうなるかがアウトプット、

ヒトの細胞は約3ヶ月でそっくり入れ替わると言いますから、

今の自分の体は3ヶ月前に食べたものでできているわけですね。

 

それは少し長いスパンでのとらえ方ですが、

日ごと食べる感覚としても、持ち合わせておくと良いと思います。

 

余談ですが、極端に辛いとか冷たいというものを食べれば、

かなり即時的に、遅くとも翌日には下腹部への影響が出てくるものです。

 

または、極端に多く食べれば苦しいとなりますし、

脳や身体の働き、軽やかさにも如実に影響が出てきます。

 

そうでなくても、疲れた時にチョコレートをひとかけら、

あるいは、おにぎりを頬張れば元気が出てくる気がしますし、

実際にも、早くエネルギーになって身体に巡るものです。

 

少しでも詳しいところに踏み込んでいけば、

一日に摂取するべき内容も総量もありますが、

ただ、毎日必要な分を必要なだけ取り込んでいくには、

相当に大変なことのような気がします。

 

それでも、毎朝同じ内容で朝ごはんを食べている人がいて、

昼や日中も含めて、栄養のバランスを徹底的に整えていて、

それが10年以上の長きにわたって続けている人がいます。

 

最近感銘を受けているひとつのことなので、

以前も、ここかどこかで取り上げたかもしれませんが、

これができているのは、単にストイックだということだけでなく、

それをすることで、体調も崩れないことをその人は知っているし、

仕事においても、高いパフォーマンスを発揮できていることを、

はっきりと身をもって知っているからだろうと思います。

 

少しでも良いので、普段の生活に栄養とともに習慣として、

しっかり取り込んでいきたいところですね☆

 

 

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ひとつの季節が過ぎていき

 

個人的には、大規模な花火大会をあまり好まないせいか、

それは、人の多いことが得意でないことによるのか、

夏の風物詩を、ひとつ取り上げ損ねるところでした。

 

以前、別の用事で浅草に行った日がちょうどその日で、

身動きが取れなかったという記憶が、今も鮮やかに残っています。

 

今年も、浴衣姿で河原なのか、会場付近に行ったり、

あるいは、少し遠くても見えるところに集まったりして、

花火の夜空に咲くのを楽しんだ方も多いことでしょう。

 

会場整理をする警察、軒を連ねる屋台など、

夕方になって、少しずつ日が暮れていきながら、

いつもと異なる感じで、時間が近づいていく様子は、

これから起こることへの期待も高まってくるものです。

 

花火の表現の多様さや、技術の精巧さは、

日本の誇るべき文化であり、高い技術だなと思います。

 

その意味では、花火職人の特集をしている方が、

どちらかというと、興味を持つのはあるかもしれません。

 

また、打ち上げ花火の迫力のある様子も良いですが、

手元でやる線香花火の、チリチリと弾ける様子の方が、

風情をより一層感じるような気がします。

 

"はかない"と言えばそれだけの、終わってしまえばそれだけの…、

少し感傷的な気持ちになるのを好むのがあるかもしれません。

 

これは、線香花火に限った話ではなくて、

その渦中にいる時には、最初から余韻に浸るようなことはなく、

振り返ってみてわかるということが多々あります。

 

後悔とも反省とも異なる、感傷的な気持ちになることで、

翻っては、今の今にどれだけ熱中していけるのか、

それが結局のところ、大切なことのように思いますし、

そのための仕掛けとしても考えているのかもしれません。

 

懐かしいと思いながら、その時なりの精一杯があって、

何かしら直面する状況や課題に挑んでいたことがあると思います。

 

あの時の精一杯に恥じないように、今はまた別の精一杯で、

前に進んでいこうという気持ちもあるものですから、

行きつ戻りつ、それでも前を向くことを忘れてはなりません。

 

終わってしまえば、すべては無に帰すだけなのだとしても、

記憶やその時の気持ちは、鮮明に覚えていることのように思います。

 

そうして、自分なりの歩みが続いていくことが、

今後も長く続いていくための足がかりにもなっていきそうです。

 

映画のエンドロールも、本編の作品があってこそ、

そういうことの順番を取り間違えないようにしたいものです☆

 

 

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