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傍島康始|ブログ

Month: 7月 2017 (page 2 of 11)

空は空にして空なり

 

自分は空っぽだ、そんなことを思うと、

少しばかり寂しい気持ちにもなるものです。

 

空虚、空洞とは、中身がないということで、

それは、満たされていないということにもつながるものです。

 

これは、決して月極駐車場の「空」ではない、

実存とか、満足とかに関わることのように思います。

 

月極も、「げっきょく」と読んでいけないことは、

蛇足ながら、つけ加えておきますが、

このあたりを掘り下げていくとどこにつながるものか、

かなり手探りで、マンホールの下を行くことに近いものがあります。

 

自分は何も持たない、何もないということは、

いくらかの知識、経験、仲間などのあらゆるものが、

十分には備わっていないという認識・自覚になり、

ある意味では、自分を低く見積もり続けることになります。

 

これは、実際にはコップから水が溢れるように、

満ち満ちてはいないということではありますが、

コップの中に半分水がある時に、どう捉えるか、

その差異が、結局その後のことを決めている気がします。

 

その詳細は、ここでは割愛しますが、

ただ、どんな人にとってもありがちですが、

別の人から見れば、良いと思う、素晴らしいと思うことを、

肝心の本人が気がついていないことがあります。

 

得意と苦手が表裏一体、つまりはそういうことかもしれません。

 

そのようにして翻って考えてみると、

「空」であるのは、ある種利点にもなり得るわけですね。

 

呼吸や意識で、自分の真ん中を通る風のひと吹きのように、

ただひたすらにスーッと通すというのは有効で、

途中に、遮るものがないということは、

滞ることがないということにつながります。

 

心に曇りのない、不純物がないのは、

そこに映るもの、入るものが良いものであれば、

そのままに良いものであり続ける可能性があって、

その純粋な状態は、むしろ奨励されることでしょう。

 

いろいろな煩悩というか、執着というか、

日々過ごしていくには、煩雑な事柄が多いもので、

何か無心になるというのも、必要なことかもしれません。

 

そういう時にやるべきこと、やってみたいことのひとつには、

"ひとり電通"みうらじゅんさんがかつて手がけた、

「アウトドア般若心経」で、街中で見かける看板でお経をなす、

それを修行と見立て、取り組むべきものがあります。

 

こういうのをやり遂げる時、きっとあなたは何かを得るでしょう☆

 

 

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海か山かのどちらを

 

夏の厳しい暑さも、すっかり当たり前になってきて、

夏季休暇を利用して、息抜きや気晴らしをどうするか、

少なからず思案する頃合いかと思います。

 

ひとつ、ヨーレイヒーと声高々に、山を行くのは楽しそうです。

 

または、寄せては返す波に身を任せ、戯れるのも楽しそうです。

 

夏の行楽と言えば、大きく分けて「山」なのか、

「海」なのか、あなたにとってはいかがでしょうか?

 

これかあちらか、どちらかを好むとしても、

決して、もう一方を毛嫌いするわけでもなく、

むしろ、こういう時には、なぜそれを選んだのか、

双方の立場から、議論を闘わせるのも有効かと思います。

 

以前、何かしらで目にしたんですが、多くの日本人にとっては、

議論(ディベート)が、本質的には苦手というのがありました。

 

逆に、欧米ではこれらが活発に行われているわけですが、

それはなぜなのかというのを考えてみれば、

自分の立場や意見を、明らかにするか選ぶかして、

しかるべき主張を筋道立てて通すというのが、

文化的に奨励されているというのがあるでしょう。

 

喧々諤々と、時に激しく議論はするけれど、

それはあくまで議論の上のことだけで、

それぞれの立場を貶めるわけでもないし、

逆の立場の相手を打ち負かすわけでもないことを、

前提として、知っているのが大きいと思います。

 

日本では、この部分を分けて考えるのが苦手で、

議論の内容と、議論する相手を同一視してしまいがち、

意見と人格を重ねて見てしまうというのがあるそうです。

 

仕事や生活においても同様かなとも思いますが、

仕事の成果や生活の仕方は、極めて属人的であっても、

当人の資質や性格とは、必ずしも一致するわけではない、

その発想をあまり持たない人も多いような気がします。

 

自分自身も、分けて考えられているかは不明ですが、

せめてそうであろうと心がけているのはありますし、

立場が変われば、モノの見方が変わるのもあるので、

そこでの感じ方に、興味を強く覚えるのはあります。

 

建設的な意味で、ああでもないこうでもないと交わし、

それによって、新たな発想、気づきも多く出るでしょうから、

時間や機会の許す限り、やっていくのが良いと思います。

 

そうして、自分自身が「山」か「海」かどちらをより好むのか、

どちらかと言えば「海」を選ぶなと思いますが、

いろいろ考えられる、その理由のひとつとしては、

「山」の魅力をまだ知り得ていないというのはあるでしょう。

 

「山」派の人がいれば、ぜひご教授いただきたい今日この頃です☆

 

 

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時代を読み解くには

 

このところ、本を読んだり、人の話を聞いたり、

さまざまな言説や意見に触れていると、

今後の社会、世の中がどう進んでいくのか、

自分たちの立ち位置や振る舞いとも合わせ、

決して深刻でなく、真剣に考える機会が増えています。

 

日本においても、高齢者が多くなる一方で、

働き盛りの若い世代がいないし、むしろ減っていく、

仕事の仕方や中身も、どんどん変わっていくことが、

もう今の段階で、かなり明確に予想されてきています。

 

機械や技術の分野でも、数年単位で大きく様変わりしているし、

世の中の常識みたいなものも、当然移り変わっています。

 

日本において、世代において、その置かれた状態によって、

どのように考え、行動していくのかは影響を受けますが、

それよりも、個人としてどうしていきたいのか、

こちらの方を先に考えていくことが必要なのかもしれません。

 

個人のことを起点にして見つつ、全体的にも同様にして見る、

視点をあちこちと動かして、冷静に判断していきたいところです。

 

個人においては、医療の発達で長生きはできるようになる、

しかし、長生きするためには、長く働かないといけないという、

自分のことは自分で面倒をみなくてはいけない状況があります。

 

次第に、成り立たなくなっているものとして、

終身雇用、年金受給、医療費負担などがあって、

それを加味して、さてどうするのかと、

そこになって直面する問題が幾つかあります。

 

ただ、意外と、目の前のことで一生懸命で、

もっと全体的に、自分の人生や生活を考える、

そんな機会を持たない人が、かなり多いように思います。

 

少なくとも1年くらい、せめて数年先くらいまでは、

仕事や生活が成り立つくらいの見通しが立っていると良いですが、

数ヶ月くらいをどうするかで追われてしまうこともあるでしょう。

 

世界はいつもシフト=推移していくわけで、

どこに確固たる正解があるわけでもありません。

 

先人ですら、未曾有の状況に、四苦八苦していることでしょう。

 

自分の身を担保として、実際がどうであるのか、

壮大な実験をしているような気がしますが、

後戻りややり直しが利かないという点においては、

少しばかり悲壮感が漂ってしまうかもしれません。

 

しかし、信頼できる人たちの視点を借りてみれば、

何をどうするべきかが、少しはわかってくるので、

それをひとつひとつこなしていくのが良さそうです☆

 

 

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