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傍島康始|ブログ

Month: 7月 2017 (page 1 of 11)

暑さをもって制する

 

この、うだるような暑さの日が続くとあっては、

いかにして、この暑さを処するべきなのか、

茹で上がる前に、何とかしたいものです。

 

日陰を歩く、風のあるところに向かいながら、

風鈴の、涼しげな音色に、心和ませるも良し、

冷たい飲み物、食べ物を取り入れるも良し、

思いつけば、いくつも出てくるものです。

 

そして、暑さに対して、涼を感じるだけでなく、

暑さをもって暑さを制する、ただ油断は禁物、

そんな処し方を、ひとつ提案したいと思います。

 

暑い、暑いと言って、仕事や行動に支障が出るくらいなら、

ひとしきり汗をかいて、体温の上昇を気温に任せるのでなく、

自らの運動によって、むしろ積極的に上げてしまう、

そうすれば、汗が引けば、通常の気温が普通に感じられるでしょう。

 

上級者になれば、サウナの中で腕立て伏せ、スクワットをすれば、

そうとうに過酷な暑さにも耐えられるようになりそうですが、

同じくらい、脱水症状や目まいなどのリスクも伴いますから、

自己責任と、安全な範囲での実行を声高に伝えておきます。

 

ただ、これは結構道理のひとつなのかなとも思いますが、

暑いと感じるような感覚、あるいはその基準が、

置かれている状況や、自分自身の取り組みによって、

いくらかは相対的なものになり得ることがあるかもしれません。

 

たとえば、炎天下の中を走るとしても、

30分で限界を迎えてしまう人と、60分走れる人では、

前者の人は走れて30分、後者の人はもう半分は走れると、

同じ条件にあって、受け止め方や解釈が異なりそうなことが、

こういうことから、明らかにうかがえそうです。

 

これは決して無理をするとか、時代錯誤な我慢をするということでなく、

自分のできる範囲=限界を押し広げるような努力をすることで、

以前は大変だったものが、今はそれほどでもないということになり、

それだけの余裕ができれば、また別のことでも同じようにできるという、

積み重なった自信がさらに積み重なるということになります。

 

その意味では、暑さを回避して、涼しさを求めるばかりでなく、

暑さに正面からぶつかってみるのも良いのかなと思います。

 

たくさん汗をかいて、新陳代謝を活発にしてみれば、

身も心も引き締まり、より充実した夏になることでしょう☆

 

 

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目のつけどころを見てみる

 

モノの観察眼。

 

いつも何を思って、何を見ているのか、

それは、人それぞれにあることでしょう。

 

おそらくは、興味や関心のあることが中心になって、

気にしているから、目に入ったり、耳に入ったりするものです。

 

たとえば、ここで何を取り上げて、書き記していくのか、

そのためには、興味や関心だけでないところでも気に留めて、

もっと多くのことを拾い上げていく必要があります。

 

そうすると、難しさを感じるかもしれませんが、

ある意味、あらゆる物事が対象になってくるため、

目に入るもの、耳に入るものすべてがあてはまります。

 

そこで、少し意識を傾けることによって、

数の多さも拾い上げられるものですし、

いくつものことが連鎖反応のように結びついてきます。

 

集中すればするほど、これはできるようになる気がして、

普段の心がけが、上達への近道なのかもしれません。

 

おそらく、これはまた発想の豊かさともつながることで、

以前、音楽におけるコードを、色に置き換えるというのがありました。

 

結構前に見たものなので、記憶が正確ではないのですが、

「A」コードは赤、「D」コードを緑にして、

それをA→D→A→Dとやれば、スイカのイメージになると、

音を色に置き換えるのは、受ける印象が異なるなと、

ミュージシャンの頭の中を垣間見た気になりました。

 

そう考えていくと、見たままから何を思うのかもそうですが、

何かに置き換える、別のものと結びつけるなどしていけば、

ひとつ見るだけでも、いくつものアイディアが浮かんできそうです。

 

写真を撮ることでもそうですが、この世界をどのように切り取るか、

それによって表れてくるもの、表したいものが出てくるので、

何かを思うのなら、何かしら発信していくのが良いでしょう。

 

ここまで雑多に考えを張り巡らせていくと、

どちらかというと視覚に頼る部分が多いのかなと、

「目は口ほどに言う」なんて言い回しもあるくらいですから、

それは、だいぶ正鵠を射ていることになるでしょう。

 

ここでまた、興味深いことのひとつがあって、

自分と誰か、向かい合って見つめ合う、

相手の目の中に映る自分を認めるのは、

相手を見ているようで自分を見ているという、

倒錯した感じになること請け合いです。

 

最後に、あなたが世界を見ている、それと同時に、

あなたもまた、見られているわけで、

それを念頭に入れておくと良いと思います☆

 

 

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不規則にも慣れるように

 

今はもう引退してしまいましたが、

ハンマー投げの室伏広治選手の、現役当時の練習の様子が、

テレビで紹介されているのを見たことがあって、

印象に残ったひとつとして、筋肉への刺激を変えるため、

新聞紙を握って、握力を鍛えるというのがありました。

 

通常は、グーパーグーパーと手のひらを開いたり閉じたりして、

あるいは、握るため用の器具を用いたりしてやることが多いですが、

それはある意味、規則的な動きであるため、単調な繰り返しになり、

より実践的であるためには、また別の工夫をする必要があります。

 

人間の動きはもっと複雑であるし、競技においても同様で、

いくつかの身体の部位を連動させていくことが大半なので、

練習の段階から、より実践的な動きをしていくのが、

良いパフォーマンスにつながるという具合になります。

 

筋力トレーニングでも、人を担ぐのもそうですし、

たとえば、ベンチプレスにおいてもプレートだけでなく、

両脇にチェーンを垂れるようにぶら下げて、

その揺れ具合で重さのかかり具合が変わっていくのが、

近年、かなり取り入れられているように思います。

 

外側の筋肉を大きくする、発達させるのも大切ですが、

こういう不規則な動きを取り入れることによって、

内側のも合わせて、強化できるのはあるかもしれません。

 

そのように考えていくと、競技の練習もそうですし、

筋力トレーニングにおいても、時期や時代によって、

有効と考えられる方法や考え方が変わっていくのがあります。

 

最終的な完成形がないということでもありますが、

逆に、それだけ人間の能力開発の部分では、

可能性がまだまだ秘められているということなのでしょう。

 

このあたりの領域を考えるのも面白いものですが、

それはまた別に機会に徐々にやっていくとして、

先の、方法や考え方が変わっていくように、

競技もそうですし、物事のルールも変わっていくものだなと思います。

 

社会や共同体、その他のいろいろで、

大筋で守るべきルールは、大きくは変わらないものですが、

実際、それをルール化して、運用していくことで、

詳細の部分で変えていく必要が、少なからず出てくるものです。

 

そうすると、いつも同じであることはそうそうなく、

一定の振り幅を持って、変わっていくことがわかります。

 

つまり、多くの時間が経てば、ルールは変わっていきますし、

活躍や貢献の多さによっては、影響力を伴って、

自らもルールを変えていくことができるかもしれない。

 

もしも、そういうのをひっくり返せたら、極めて痛快ですね☆

 

 

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