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傍島康始|ブログ

Month: 6月 2017 (page 2 of 10)

略称の並ぶを見て

 

企業や団体、チーム名、キャッチフレーズ、その他の多く、

正式名称は、多少長かろうとも、

アルファベット3文字で表される略称で、

呼ばれることがあります。

 

少し前によく聞かれた"DIY"は、

"Do It Yourself"と、「自分でやる」、

「自分のことは自分でやる」という意味になります。

 

パンクバンドでは、機材の搬入、セッティング、

ブッキング(出演交渉)、移動、グッズの手売りなど、

活動のほぼすべてを、自分たちでやるので、

それを"DIY精神"なんて呼ぶこともあり、

一方では、世のお父さんが、休日にはホームセンターに行って、

本棚や犬小屋を作ったり、野良仕事に精を出したりするというのが、

そのように呼ばれていました。

 

自分自身、一筋縄ではいかない性分もあって、

時に"FUA"、表記的には"FYA"が元来の、

ある種の「怒り」の部分が頭をもたげてきます。

 

それは、手前で何とか処理するものですから、

特別、ここで取り上げるような類でもありません。

 

それにしても、アルファベット3文字の略称が多いのは、

この、まさに3文字であることが、バランスが良いとか

親しみやすい理由が、何かしらありそうですが、

今をもって、究明できないところではあります。

 

逆に、"FARUBFUFQIVFNUUECFQUBRUIOVIUWE…(適当)"では、

そもそもが覚えづらいし、これの正式名称を知ろうとすれば、

それはまさしく、あの「寿限無寿限無〜」のごとし、

戦慄を覚えるくらいに、べらぼうに長いものになりそうです。

 

果たして、どういうものが秀逸かなと周りを見回してみれば、

音楽の"BPM"なんかは、"Beats Per Minute"で、

一秒あたりのビートの刻みを表す単位・指標ともなっています。

 

余談ですが、国の機関や団体なんかでの、

漢字がやたら長くなるのも覚えづらく、

8文字以上並ぶと、読み解くだけでも一苦労になります。

 

アルファベットにしても、漢字にしても、正式名称のわかりやすさが、

略称にしたところでも引き継がれそうですから、

最初にどう名付けるのか、ここのセンスがモノを言いそうです。

 

あとは、特定の分野で多用されるような場合、

パソコンのシステムとか、化学・科学の分野とかでしょうか、

これ見よがしに用いるのは、通ぶってしまいそうで、

どうも馴染めないなと思う一面はあります。

 

とかくいろいろあって、どうしようもない気分になったとしても、

その時に思い出したい"PMA=Positive Mental Attitude"、

両手を高々と上げてみれば、気分は爽快となることでしょう。

 

それだけは忘れないようにしておきたいものです☆

 

 

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記号的に透かしてみれば

 

人は、「見た目が9割」とか、第一印象が大切だとか、

まずもって外見が与える印象が大きいことが言われます。

 

顔や、表情においては、目鼻立ちの良さ、

背丈や体格においても、同様に取り沙汰されがちですが、

それよりかは、全体の雰囲気という方が、

よほど大切なことのように思います。

 

結局、清潔感があるかどうか、髪は乱れていない?

身だしなみにどれだけ意識が向いているかという、

基本的なことが、よほど大きく作用しそうです。

 

これは、服装や身につけるもの、所持品など、

どのような印象を与えたいかの"逆算"によって、

与える印象を、コントロールできるということでもあります。

 

1990年代くらいの、プロ野球選手では、

キハチネックレス、セカンドバッグ、外車のキーみたいな、

それがわかりやすい、服装・格好であったわけです。

 

または、ちょんまげ、着物、刀となれば、「侍」となるわけで、

それほど難しく考えなくても、できるのかなと思います。

 

実際にプロ野球選手であるとか、侍であるとかも大切ですが、

自分がどうなっていきたいのかの投影でも良く、

それはある意味、記号的に先取りするということになります。

 

見る人も、相手がどのような人かを推し測る時に、

このような記号的な認識をして、判断するわけです。

 

同じ人であっても、仕事ではスーツを着たり、

家では、リラックスした格好になったりもします。

 

場面ごとに合わせた、適した服装や格好もありますし、

どの時点で、目に入るかというタイミングの問題もあって、

外にいる時は一層、見られていることを意識するのが良さそうです。

 

それが、自分で似合うかどうかはわからないもので、

どうしても好みで選ぶことが多いのかもしれません。

 

相当に、自分の内面や外見の両方を熟知していて、

極めて適切に選び出せるのであれば、何の問題ありませんが、

そうでなければ、どこかしらが惜しいというのが、

多くの人が陥っている状況かもしれません。

 

非常に、オシャレが進みすぎて、行きすぎて、

余人をもってして理解しがたいという、

奇抜さもどう処理していけば良いのかもあります。

 

それは、どうやって着るのですか、

洗濯はできるものなんですかと問いたくなります。

 

そうなると、基本に立ち戻って、

清潔感のある身だしなみを心がける、

面白みはなく、無難なのかもしれませんが、

良い印象をもってもらうには、

最適なのかもしれません☆

 

 

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現代的感覚を越える

 

それは、時代の流行、変化と言うのでしょうか、

その時代が、歴史の全体から見てどういう位置づけなのか、

「〜時代」、「〜主義」と呼ぶ分けることがあります。

 

少しばかりお堅い領域である、

国内外の政治や経済ということのみならず、

文化的なところでも、特徴づけるものが多くあります。

 

1920年代から起こっている動きとして、

近代主義=モダニズムと呼ばれるものがあって、

伝統からの脱却であるとか、前衛的であるとか、

新たなものを模索するという試みがなされています。

 

美術や建築の分野で多く語られるのかもしれませんし、

その詳細については、特に言及はしません/できませんが、

それは、同時代的に包括する大きな潮流であるから、

子細を述べるのに、十分な知識も余白もないということです。

 

ただ、ひとつだけ言いたいことがあるとすれば、

どれだけ前衛的、先鋭的なものであったとしても、

時間を経るにつれて、どうしてもその新奇さは失われ、

その渦中にいる人たちでさえ、年齢を重ねるうちに、

いつのまにか権威的になることもあるかもしれません。

 

また、そのようなモダニズムを継承したり、

新たに越えたりような動きとして、

ポスト・モダン、ポスト・モダニズムが出てきています。

 

ある意味では、反抗(アンチ)とか反発(カウンター)として、

一定の強さで、モダニズムを意識していることから、

呼称の連続性とは裏腹に、両者は相容れないのかもしれません。

 

そのように、対立はするものかもしれませんが、

お互いが強烈に意識することで一層、

こういう動きが刺激されるということで、

時代の大きな"うねり"となり得るのだなと思います。

 

「ポスト」という言葉は、郵便のあの赤いのではなくて、

ここの語義的には「〜の後の」という意味になります。

 

そうしてまた時間が経つにつれて、現代へと続くのですが、

果たして、「"ポスト"ポスト・モダン」は訪れているのか、

あるいは、別のものに成り代わっているのかという、

素朴な疑問が頭の中を、スーッと過ぎります。

 

いつ、そのポストに突入するのか、

あるいは、別の流れが主流となっているのであれば、

その台頭しているものと重複するということになります。

 

個々人が生きていく中で、無自覚に歴史の証人となっても、

何をどうするのか認定する、審判みたいな人はいないのだから、

流れる時間の中で、少し過去と現代を行ったり来たりしてみると、

このような、いびつさ、連続体としての不完全さを感じます。

 

そうしているから、突然変異のように時代の分岐点とか、

大きな転換点が、突如起こることもあるのですから、

温故知新と唱えながら、過去の出来事に学び、

これからの未来へと、今から続くようにしていきたいものです☆

 

 

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