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傍島康始|ブログ

Month: 6月 2017 (page 1 of 10)

車輪のように回転して

 

ひたすらに考えを巡らしていると、

これは堂々巡りなのか?と思うことも、

決してないわけではないことに気がつきます。

 

そういう時、健全な思考が回っているかといえば、

意外とそうでなく、どちらかというと、

何回も、回り道を重ねているうちに、

袋小路に向かっているような感覚なのかもしれません。

 

身体的な動きの面でも、じっとしているのが長いようでは、

きっと、柔軟さも減ってしまうでしょうし、

それがいろいろと滞る遠因ともなっていそうです。

 

腕を大きく回す、頭もぐるりと回し、

何か、開明的なことが思い浮かばないものかと、

期待も大きくふくらむ気持ちなります。

 

血液の循環や流れ、これもまた、

興味の広がる対象のひとつではあります。

 

確か、「ロルフィング」という身体の機能を改善する、

体術というか、施述のひとつのアプローチの仕方が、

筋膜や身体の関節やらの回転によってなされるもので、

人間存在が、頭のつむじに象徴されるように、

回転によって制御・統制ができるものだったはずです。

 

非常に曖昧な記憶・記述で、はなはだしく申し訳ないところで、

詳細はそれぞれに言及していただきたいと思いますが、

回転というのが、切っても切り離せないものである、

その一環としての部分を感じてもらえれば本望です。

 

以前、ズボンを履いて、ベルトを締める時に、

多くの場合では、左からさして、腰を経て、

右に抜けて、仕上げに留めるかと思いますが、

地球の自転(北半球)に合わせてなのか、

時々、逆にやってみるという人がいました。

 

回転とか、円の軌道とかを考えると、

地球は球体、自転・公転で回転しながら、

大きく描いて回っているわけで、

ある意味、宇宙をも含む真理なのかとも思います。

 

円や球に言及するのは、またの機会に譲るとして、

回転ということで、もう少し広げてみると、

回転の持つ力というものは、遠心力もさることながら、

渦の、真ん中に巻き込む力のような、

あくまでも力強い、良い影響をもたらすような力の強さ、

こちらの方を、より積極的に採っていきたいものです。

 

ついでに申し上げるとするならば、

アンモナイトの姿やカタツムリの殻のように、

あの渦巻きは、一種の「永遠」を象徴するもので、

彫刻や芸術の題材となることもあるくらいのものです。

 

また、"運命の車輪"という比喩もあるくらいで、

回転しながら、より良い円が「縁」とつながるように、

さらには、前に進む原動力・推進力となれるように、

ますます回転を増していきたいものです。

 

まずは、自転車にまたがって街に繰り出す、

この頃は機会少なく、全然乗っていないので、

風を受けて走れば、気分はまた健やかにもなるでしょう☆

 

 

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創意工夫の連続で

 

世間には、いろいろな仕事がありますが、

どちらかというと、単調な部類に入る、

レジ打ちやコピー取りの仕事があります。

 

ここにおいては、どれだけ独創性を発揮できるのかではなく、

どれだけ正確にできるのかということが求められます。

 

厳密に言うと、仕事というよりかは作業になるのですが、

そうなると、元々が単調であるだけに、

人によって、どう取り組むかに次第に差が出てきます。

 

コピーにおいては、時間を短縮するとか、

留める位置にこだわるとかがそれに当てはまります。

 

特に、レジ打ちに関しては、自分が客として、

コンビニや飲食店などを利用する時に、

その取り組みの様子を目の当たりにすることがあって、

そっけないふりをしながらも、

内心では、いろいろ観察をしてしまいます。

 

自分が、それほどまでに期待していないということもありますが、

声が小さい、言葉が不明瞭など、あまりやる気を感じなかったり、

「ありがと・やんしたー」みたいな、おざなりなのを聞いたりすると、

すぐさまグッタリする気がして、少し滅入る気持ちになります。

 

もしくは、これは、ごく稀にではありますが、

非常にハツラツしていて、思わずこちらもキリッとするような、

出会えて良かったという人もいて、こういう人の働きぶりは、

効率や成果を越えて、大いに嬉しい気持ちになります。

 

特にアルバイトにおいては、「時給以上の働きをしなさい」と、

実際にもらえる額面にとらわれない姿勢が求められますが、

これは、決してたくさん働かせたいということではなくて、

そういう頑張りは、別の形で返ってくるというわけです。

 

こういうのを心がけて、やろうとしている人は、

たとえば、正社員としての登用の声がかかることもあるだろうし、

お客さんからの覚えがめでたくて、ひいきにされるなど、

その後の展開において、思わぬ恩恵を得ることになります。

 

自分自身、いつもやっていることにそういう姿勢を持って、

懸命にやっているのかといえば、まだまだ改善の余地はあって、

やさぐれて「ありがと・やんしたー」の側にならないように、

気をつけていきたいし、良くなってもいきたいものです。

 

また、買い物をする時には、ほとんど袋をもらわないので、

向き合う相手が自分の反映であるのなら、それも意識して、

「袋、いりませーん!」と威圧的にならない程度に毅然として、

お互い、気持ちの良いやり取りを重ねていきたいものです。

 

少し意識してみれば、創意工夫できる場面はいくつもあって、

その、それぞれを楽しんでいくのが良さそうです☆

 

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居心地の良さと引き換えに

 

新しい場所に行ったり、新しいことをしたりするというのは、

これから何が起こるか、わからない部分が多いだけに、

ともすれば、不安ばかりが先行してしまうかもしれません。

 

それだけに、準備に余念がなく、気を張り詰めるために、

意外と、物事が滞りなく進むことが多いようにも思います。

 

多くの場合、安心・安全を求めるのが常ですから、

早いところ、そういうものを手に入れたいとなるわけです。

 

ただ、これが興味深いことでもあって、

十分に安心で安全な状態になるということは、

気は緩み、どこかしら隙も生じてくるものです。

 

居心地の良さとは裏腹のもので、引き換えになるもの、

油断や慢心を招いてしまい、物事が停滞することもあります。

 

不安な状態にせよ、安心できるそれにしても、

結局のところは、慣れが怖いということになりそうです。

 

武道でいうところの、「居着く」とはまさにそうで、

たとえば、足の裏が地面にペタッとついて、

瞬時に動こうとしても、少しの時間差が生じ、

そのわずかな差で、生き死にが決定してしまうわけです。

 

この場合においては、常に足裏の一部しか地面に接していないとか、

常に何かしら動きを持っていて、どうにでも動ける状態であるとか、

決して落ち着かない様子が、良いものとして考えられます。

 

身体の全体ということで言えば、重心を下げ切らない、

ある程度、浮いている部分を、用意しておくとも言えそうです。

 

このように、程度の差はあっても、

落ち着きがないのは、ひっくり返せば、

新しいものに興味を持つとか、

次に進むのに身軽であるということかもしれません。

 

野球の、ボールを打つのもそういうところがあって、

打つために、バットを思いきり振るとしても、

上手にヒットにつなげる人のバットは、

ボールが当たるまで、上下に細かく揺れているそうです。

 

良い意味でのためらいがあって、それだけに細かい調整ができる、

そういうミクロなところでの戦いがあるということで、

目には見えているけれど、捉えがたいことが起こっています。

 

普段では、同じようなことを、同じように行っていると、

その力の入れ具合が減じてもくるだろうし、

あるいは、失速するかのようになくなることもあって、

できることなら、早い段階で回避しておきたいところです。

 

そのために、心も身体も、いつも動いている状態をつくって、

いつも何かしらの知的な欲求とか、好奇心とかを刺激して、

前のめりに追い求める姿勢を、自然と取れるのが良いですね。

 

これはまた、生存上においても効果を発揮しそうなので、

そのための勘を養いつつ、発揮していきたいところです☆

 

 

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