喜び、幸せ、楽しい、嬉しいなど、種々の"良い"感情を抱くことは、日々の生活において少ないよりかは断然多い方が好ましいものです。

いろいろな考えを持つ人がいて、(必ずしも)そうではないと見る向きもあるでしょうから、これを一般的なものとはできないし、概ねとか、わりとあてはまるかなというようにして考えてもらえたら良いなと思います。

良い感情の見えるカタチとしては、そこにきっと笑顔もあるでしょうし、物事もさほど深刻に受け止めないで、前向きな健全さでもって対処するような姿勢もまたあることでしょう。

仕事やスポーツのような、シビアに勝敗や成果が試されるような場面においても、決してふざけるとか手を抜くところではないところで、緊張をほぐしておくのが良いと考えられます。

適度な緊張感は気持ちの張りにおいて良さそうですが、緊張してしまうがあまり萎縮してしまい、良いアイディアやパフォーマンスが出てこないということは往々にしてあるかもしれません。

このあたりの按配はどう受け止められるかは、周りの人の判断になる部分もあるので一概には言えないものですが、少なくとも、自分の中ではどういう心持ちなのかをいつも知るようにしておいた方が良いとは言えそうです。

また、自分ではない、誰かにそう思ってもらいたいと考えるにしても、先に自分がある程度その状態になっていない限りは、伝わるものも伝わらないことでしょう。

たとえば、ミュージシャンが楽しそうに演奏していたり、歌っていたりすれば、観ているこちらとしても手拍子をしたり、カラダをリズムに合わせたりと、自然に楽しい気分になってくるものです。

ミュージシャンの側にしても、最初から音楽自体を楽しんでいるのもありますが、時間を前後して先に喜んでいる誰かを思い浮かべてプレイしているのはあると思います。

このあたりのことは、もっと深く言及ができるところなのですが、自分の思考や言葉がまとまりきっていないので、引き続き考察を進めておきたいところです。

話を先に進めると、それでもお互いにとって楽しい時間を過ごしたいという前提においては気持ちが揃っているとも考えられるので、ともに積極的な参加意識がないことには、話は始まらないような気がします。

 

そういう一過性のものから、人生の一大事まであてはまると思いますが、恋愛や結婚においてもそうであることは、結構後回しにしてしまっている場合もあるのかもしれません。

相手のやることなすことはやたら目につくことはあっても、自分がどう振る舞っているのか、気持ちを含めての振り返りがおろそかになっては良くはないもので、"幸せにしてほしい"とか"愛してほしい"みたいに言っている人は、自分から働きかけることはしないのか?と疑問に思ってしまいます。

これもきっと、"幸せになりたい"とか"愛したい"のように、能動的な意識であるとか、先に自分から行うという姿勢が大切で、あとは相互作用の繰り返しになることでしょう。

高杉晋作の辞世の句である「おもしろきこともなき世をおもしろく すみなしものは心なりけり」とは正鵠を射たもので、自分の心持ち次第で世の中をいかようにもできるという意味合いがあるので、積極的な態度をいつも持っていたいものです☆

 

 

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