自分の知っていること、知りたいと思うこと、または、知らないことなど、知っているかどうかにはいくつかの段階があります。

また、誰かと話すとか、ブログやTwitterなどで発信するような時に、興味があるかどうか、その濃淡もあるかと思います。

こういう組み合わせで考える時に、自分はよく知っている、相手はそれを聞きたがっているのだとしても、それを話題にするかどうかは別のところにあるのではないか、そんなことも思うものです。

たとえば、自分にとって本を読むとか、調べ物をするようなことは、いつもやっていることで、特別言うようなことでもないと思っているのですが、足跡を記すようなことで、「今日は何々を学びました」と投稿するのも良いかもしれません。

人によっては、何を食べたかの記録とか、どこかに行った写真を並べるかもしれないし、それらを通じて、"人となり"が伝わるようなこともあるような気がします。

仕事、趣味、特技など、自分と相通ずるところがあれば嬉しく思うでしょうし、それが異なることであっても、それはゆえに興味を持つようなこともあるでしょう。

自分が情熱を傾けていることも、その時々で変わるように思いますが、時期に関わらず、「そこ、知りたいのか」という発見もあって、いつも一致するばかりでもないのだなと思うわけです。

おそらく、今、自分のやりたいことや表現したいことがあって、それが同時に、多くの人にとっても歓迎すべきものであれば、それが最も理想的と言えるでしょう。

巷のブームとも関係なく、タピオカより豆乳だ、ナタデココだと貫くようなことであり、それがまた強く支持されるようなことかなと思います。

個人的には、ハードロック/ヘビーメタル研究、黒いTシャツ について追求しているのが楽しいけれど、もっと求められているのは、普段何を考えているかとか、何を食べているのかとか、他のことなのかもしれません。

迎合するわけでもないけれど、そういう意見があるのなら受け入れることもあるでしょうし、少なからず参考にすることはあり得ることです。

ともあれ、何かを話さないことには手応えを感じないものですし、何かを表さないと反響も得られないわけで、自分の思うことをひとつの仮説として、いろいろ試していくのが良いように思います☆

 

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