自分が何を知っていて何を知らないのか、そういうことを網羅していける頭の働かせ方をしていけるのが、知性溢れる営み・活動かなと思います。

あるいは、自分の知性の調/不調について知ることができる=確認することができるような、そういう頭の働かせ方、これもまたできると良いものです。

結構陥りがちなのが、自分はこれだけ知っているんだぞ!と誇示するような態度で、一体この世の中の限りなく膨大な知恵や知識のどれだけを知っているのか問いただしたい思いがします。

どれだけ物知りだという人においても、おそらく氷山の一角にも満たないでしょうし、脳の働きにおいても生きているうちに使うのはほんの数%というものなので、推し量ってみればあに何をいわんやということになります。

自分の身の程を計ることもできないで、何を知っているというのか、そこでは人の叡智への敬意や自らの謙虚な姿勢・心構えをいつも携えておくのが良いように思います。

自分はいつも発展の途上であるので、自分のことを「頭が良い」なんてことは思わないわけですが、それでも前述のような人の振る舞いを見て「うーん、どうにも頭わりーな」と思ってしまうことはあります。

それでも、人のことをとやかく言う余裕もないので、そういう場面に出くわした時には、あー自分はこういうことのないようにしようと、ひとつの学びに結びつけるだけなので、それで十分でなのでしょう。

また、多くの人がそうなのかもしれませんが、自分の知らないことに出くわした時に堂々と「知らない」と言えないとか、自分の知らないことは枠外のこととして見えない(ふりをする)ことがあるように思います。

こういう時こそ千載一遇の機会であって、知らないことを知る機会、それも直に教えてもらえる機会であるでしょう。

自分が人である限り、人に関わる話はすべて無関係ではないし、すべては「後学のために」耳を傾けておくのが良いはずです。

興味を持つとか、実際にとりかかるかはわからないけれど、知っておくこと自体は何の労苦もないわけで、一旦は受け止めておくのが正しいように思います。

とにかく、自分は何もわかっちゃいない、すべては学びなんだとか、相手に教わることばかりだと思っていれば、自ずと敬意や謙虚さも溢れるものですし、それが人の叡智にアクセスできる近道なのかもしれません☆

 

*シェアはこちらから*