これは、特に日本でということになるのでしょうか、

普段の会話では、お金の話と性の話はしない方が良いという、

清廉潔白とでもいうような清貧・潔癖さがある気がします。

 

暗黙の了解とでも言うのか、表立って言う人は、

ほとんどいないようなことも聞きますし、

個人的なところでの実感もあります。

 

それでも、生きて生活をしていく上では、

お金を使わないことには、モノやサービスは手に入らないし、

性的なこともなければ、家族や子孫が増えることもありません。

 

そして、逆説的に禁忌的な扱いをしたり、

秘匿するようにしたりすればするほど、

人の興味がかき立てられるということがあります。

 

人の不幸の話や失敗の話は、蜜の味がするという、

仄暗いものにはより一層ということもあるのでしょう、

人の口に戸を立てることはできにくいわけです。

 

そうして、知ると行うとの順番が入れ替わってしまうだけに、

かえって、知識や知恵がないことになったり、

そのまま犯罪につながるようなことになったりと、

どこかしら"ゆがみ"が出てくるようにも思います。

 

最近はまたその傾向が強いのかもしれませんが、

聞くところによると、小学校での性教育に関しても、

肝心なところを迂回し、曖昧にして説明してしまい、

かえって、よくわからないということにもなっているらしく、

伝えるべきことがしっかりと伝わっていないようです。

 

こういうお金や性に関することを、

決して崇めるだけでもなく、貶めるだけでもないようにして、

堂々と真正面から向き合ってみることで、

人間本来の資質や根源的な営みのようなことまで、

深く知り得るような気がしてなりません。

 

誰にとっても、知らないよりかは知っていた方が良くて、

最初から知ろうとしないのとは、一線を画するものです。

 

人の営みとしては、だいたい数千年に渡ることで、

こういうものを学問的に突き詰めると、

ひとつは、文化人類学にまで行き着くのでしょうが、

きっと多くの市井の人にとっては、

自分のことや身の回りのことで手一杯であったり、

今日や明日くらいのことにしか思い至らなかったりして、

個人の幸せとか満足とかには執着はするけれど、

果たして、市民的成熟とか大人としての振る舞いとかには、

興味を持つのかどうかは、わからないところではあります。

 

ここで言う"市民的成熟"の、言葉の意味合いとしては、

どこかの市町村の⚪︎⚪︎市に住んでいるということではなくて、

個人的な解釈を入れつつ、わかりやすくとらえると、

"生きる知恵と力のある人の状態"なのかなと思っています。

 

それがまた、"大人"でもあるということになるのですが、

たとえば、本屋でいうところの哲学や思想のコーナーや、

宗教や歴史のコーナーに立ち寄るのかどうか、

どちらかというとあまり足を向けない方面であるのは、

自分自身を振り返ってみても、当てはまるのはあります。

 

それでも、私自身はもともとが考えるのが好きで、

しかも小難しく考えるのもかなり好きなので、

どこの学派・流派に所属するようなものではなくても、

ぜひとも考察を深めて、普段に取り入れたいと思うのですが、

逆に、普段の生活でこういう深みを持つようにすると、

耳を貸してもらえないとか、会話が成り立たないとかあるので、

むやみに口を開けないというのはあるでしょう。

 

それだけに、興味はあって調べはどんどん進むほどに、

会話の成り立つ可能性もどんどん狭まるという、

対立することを上手に成り立たせられるかどうかが、

今の課題の大きなひとつとなっている背景があります。

 

そして、内容に関わることだけでもなくて、

話の深さみたいなことになると、当然話す人を選ぶので、

基本的には、自分は黙ってしまうのだなと思います。

このあたりの、話す内容を選ぶということと、

自分の話せるかどうかは別問題ではあるし、

個人としても、被害妄想的に陥ることのないようにして、

できるだけ客観的に分けて考えているわけですが、

どうしても不可分なところもあるような気がします。

 

私の、個人としての資質というところと、

興味の持つ分野や領域というところでの、

免れ得ないものもあって、

どちらかというと少数というか、

目のつけどころの希少さとその組み合わせがあるのですが、

世のことを本質的に考えるということでは、

それはそれで、真っ当な気もするところです。

多数決ばかりが、必ずしも正解ではないように、

事実と真実がまた少し異なることにも似ている気がします。

 

そして、興味を持った分野なり領域では、

先行して、必ず誰かが携わっているという事実はあるので、

この世に生起している事柄である限りは、

こちらが後々になって興味を持つにしても、

携わっている人に敬意を表したいと思っています。

 

あとは、極端に言ってしまえば、

結構声を発することを厭わしく思うところもあって、

寡黙と饒舌の、ちょうど良い中間を保ちづらいのもありますが、

内容的に言えるかどうか、話せる相手かどうかの他に、

言葉を発することに伴う当然の反応とか反映とか、

口をついて出た言葉は取り戻せないところでの、

責任や自信があるかどうかも関わってくるように思います。

 

簡単に言えば、言葉は"言霊"と言われるように、

普段の考えている事柄や考え方自体が出てくるもので、

しかも、自分の身の置く環境や状況にも変化をもたらすので、

あまり迂闊なことばかりは言えないのはあります。

 

あとは、自分のいうことが曲解のないように、

言った内容がまっすぐに届いてほしいという、

願いの裏返しが、理由としてもある気がします。

 

あるいは、そういうことを話す自分のことを、

ほんのわずかでもわかってもらいたいとか、

興味を多少は持ってもらいたいのもあるでしょう。

 

内容や文脈にもよるので、ここでは単純化してみると、

赤色という場合に、自分は紅色の方を伝えたいのに、

どうしても赤色は赤色でしか伝わらないというのは、

こちらの伝える技量の不足を省みると同時に、

受け取る側の知っている範囲というのもあるかもしれません。

 

こういうのは言葉の問題でもあって、

そういう言葉があるから伝わるものですし、

そういう言葉を知っているから伝わるというのもあります。

 

それはそれで乗り越えられないところもあるので、

今は、静かに微笑んでいながら、挨拶はする程度で、

加えて、何かあれば気配りをするというところで、

波風のない、差し障りのないようにしている傾向はあります。

 

それでも、自分の中での風通しを良くしておいて、

滞りのないようにしておけば、

それはまた快活であるように思います。

 

そうして、ここまでだいぶ長く書き記してきて、

言いたいことの骨格はできてきたように思いますが、

実際には「まえがき」の段階の、今はまだ途中で、

これからどのように展開していくかも重要なのですが、

基本的には、日頃は言えない、それでも興味のあることで、

しかも人間理解にとって、必要なことを書き綴ろうかと、

普段言えないのなら、いっそ書き記していこうと切り替えて、

ここ数ヶ月くらいで思っていることを思うがままに、

それでも、何かしらひとかたまりとなるように、

ガッチリとまとめていきたいなと思っています。

 

コトの発端が何に由来するのかはわからないものの、

今年の初めからほんのり思っていたのはあったのでしょう、

状況的に、前にも後ろにも進めないような時期に、

何かを打破したいと思いつつ、いろいろ探っていて、

チュートリアル・徳井義実さんの番組をきっかけにして、

AV男優の「しみけん」さんの存在を知ることになりました。

 

こうして、はっきりと知った=認識した今年の2月以降に、

性的な内容を真ん中にしながら掘り下げていって、

これは男女それぞれの理解とお互いの性差に基づく理解と、

人間そのものの理解に大いに役立つことであるし、

少し派生もして、お金の流れや人との関わりを考えるのが、

日増しに、どんどん加速したのがあります。

 

そうして、今年の8月から10月のあたりではまた、

多くの人に言えない内容が、自分の興味の強いところで、

少し気持ち的に行き詰まったことをきっかけにして、

何とか打破すべく、あれこれ手がかりをつかもうとして、

興味のあることを、興味のあるままにとことん突き進んだら、

ひとつの興味が次の興味にどんどんつながる体験を得て、

その後に、何とかすっきりする感覚を得ることができました。

 

あくまで、個人の見解にはなってしまうのですが、

ここから考えられることで、実際の検証をしつつ、

これはかなり本質的なことなのではないかということもあって、

上手に伝わると良いなということがあります。

 

今一度、繰り返しながら確認してもいきたいのですが、

内容的には、露骨・露悪的な表現に偏らないようにして、

かなり大人向け、しかも市民的に成熟している人に対してか、

ここ最近で強く思うことを思うままに言葉にして、

必ずしも論文調ではないけれど、引用も随所に取り入れつつ、

大きくひとまとめにしてみようと思っています。

 

下世話にならず、下ネタでもないようなところで、

思わず首肯してしまうような内容になるのが理想です。

 

このブログの読者ということを考えてみて、

日頃から読んでいる人はいるのか定かではありませんし、

まー、読んでいる人もいても少ないでしょうから、

自分の頭の中をできる限り再現できるように、

自分にとっては、文字で可視化できるようにして、

今年の、個人的な"ありったけ"としたいと思います。

 

そして、"ありたっけ"ということでは、

脱線や寄り道も意図的に多くすることでしょうし、

少し関係のないことなのかなということも散りばめても、

何かしらは関連があるし、考える糸口となるように、

計画的な無計画を実行していきたいなと思います。

 

分散しながらも、ひとつのところに収束するように集まる、

そういう、ひとつひとつの星の瞬きは個別であっても、

夜空に架かる銀河のようなものを連想してもらえれば、

これから続く内容は、ロマンもありそうだなと、

そこはかとない期待も、それとなくあるものです。

 

また、これもまた意図的にやる場合もあることでしょう、

重複や繰り返しはどうしても何度もあるでしょうし、

逆には、どこかが抜け落ちているかもしれませんが、

全体の領域を押し広げながら、深みをもたらすようにして、

できるだけの範囲を網羅できるようにしていきます。

 

そういうところでの、色合いの濃さの違いはあっても、

それもまた味わいのひとつとして読み進めてもらいたいですし、

そして、どうにも前段と繋がらないとか、

思いつきのように話が飛ぶような場合には、

章立てを変えるとか、別の項目にするとかして、

無理のないように、できるだけ読みやすいように、

配慮をそこかしこにしていくように心がけていきます。

 

あとは、自分の知的な依拠としては、

内田樹さんの影響がかなり大きいので、

そういうのも自ずと浮き上がってくるであろうことも、

加えて、伝えておこうと思います。

 

 

そうして、長く「まえがき」を書いているのにも、

確かに理由があって、ここまで引っ張っていて、

ただ単に冗長にしているわけでもないのです。

 

少しずつ気持ちをほぐして、読む態勢をつくってもらいつつ、

徐々に、言葉や文章の連続に慣れてもらいながら、

ここから本題にガッツリと入っていこうと思うのですが、

それでも、わかりやすいように特定の筋道を辿って、

しかるべきところにストンと落ち着くような、

完璧な計画や準備が、事前にあるわけではないです。

 

タイトルすらもどうしようかなと思いながら、

とにかく内容ありきで考えていこうと思っています。

 

そんな内容に関して言えば、

さしあたっては、考えたい主題を掲げておくことで、

それほど見当はずれなところには行かないだろうとは思うので、

それを全体を支える背骨のようにして、

自分自身も頼りにしていこうと思います。

 

これは、しみけんさんとは盟友の、

つまりは、AV男優の長年の仲間のひとりである、

森林原人さんの著書、「偏差値78のAV男優が考える セックス幸福論 」にあるようなことに付随して、

果たして、"幸せなセックス"とはどういうものかであるとか、

"幸せなセックス"をするにはどうすれば良いのかとか、

このあたりを主題と掲げていきたいと思います。

 

これを、自分なりの願望として置き換えると、

"心身ともに深いつながり"を持つにはどうすれば良いのか、

私は、分類上ヘテロ(だと思う、今のところは)なので、

そういう女性と知り合いたいし、そうなりたいなと思って、

そういうところとも結びつけていこうと思っています。

 

森林さんの「セックス幸福論」では、

ページを開けば「セックス」の文字がたくさんあって、

ともすれば"僕"、"あなた"、助詞の"てにをは"くらいに、

相当に連呼しているのが、相当に他の本とは異なることを、

異様な異質さをどこか発揮しながら明らかに示しています。

 

まさにタイトルに偽りなしと、感服する思いでいっぱいです。

 

ちなみに、いっぱいに語感の近い「おっぱい」とは、

授乳時に、お母さんが赤ちゃんに問いかける、

「もうおなかいっぱい?」という問いかけが、

赤ちゃんにとっては「おっぱい」と聞こえる説があって、

生まれて間もなく、耳も発達していない赤ちゃんにとっては、

そう聞こえることもあるのだろうと、納得のする限り。

 

このあたりは、しみけんさんの多種多様な雑学、

通称"しみペディア"が冴え渡ってくるところです。

 

とにもかくにも、ここから考えていくことでは、

しみけんさんや森林さんの著書にあることを土台にして、

セックスとは?みたいなところから掘り下げていこうと思い、

そのベースとなるものをここに挙げておきたいと思います。

 

そして、自分の身に置き換えても、

そうした"幸せなセックス"を体感してみたいし、

"心身ともに深いつながり"を持ちたいので、

なぜそれを追い求めるのかの背景みたいなところも合わせ、

いろいろ出していけるとリアリティーが出る気がします。

 

そうして、しみけんさんの著書では、

AV男優しみけん ~光り輝くクズでありたい

SHIMIKEN’s BEST SEX 最高のセックス集中講義

森林原人さんの著書では、

上記の「セックス幸福論」に加えて、

8000人を抱いたエリート校出身AV男優・森林原人のケーススタディで学ぶ 「人生最高のセックス」でもっと気持ちよくなる

あとは、各種インタビューとかコラムみたいなところで、

良いなと思うことを順次取り上げていきたいと思います。

 

おそらく、言っていることや考えていることは、

そう大きくは逸脱はしていないとは思うので、

もちろん時期ごとや表現の仕方で異なるところはあっても、

多くの、基本のところはそう変わらないと思っています。

 

そして、さっそく余談ではありますが、

なかなか元気が出ないな〜というような気分の時は、

しみけんさんのYouTubeチャンネルの、

しみけんチャンネル」を観れば、

たちまち元気になって、小さな悩みも吹っ飛ぶので、

参考までに、ここに紹介しておきます。

 

 

現在、AV男優は女優の約10,000人に比べて、

プロと呼べるとか、プロとして活動しているのは約70人程度で、

見方次第で、相当に稀有でプロフェッショナルな存在です。

 

しかも、しみけんさんも森林さんもキャリアは約20年くらい、

年間400本以上の作品にずっと出続けているので、

これまで肌を合わせた女性は、今は10,000人に迫る勢いです。

 

ここで少し強調しておきたいのは、

ゲッターズ飯田さんが、手相を見て占うようになって、

5,000人を越えたところから当たるようになって、

10,000人を越えてきたら外れなくなってきた逸話があって、

これは美談で、たくさんやるとわかってくるとなるその一方で、

しみけんさんや森林さんの場合では、

10,000人近くの多くの女性と肌を重ねてきていて、

そうしてタイプ別の性格や傾向みたいなのがわかってきても、

何となく手放しで素直に賞賛できない雰囲気はなぜなのか、

やっていることの是非は当然あるにしても、

わかっていること自体のスゴさはあるような気がします。

 

ここでは、AV業界がどうであるとか、

出演がどうとかの問題は議論の中心ではないので、

大きく紙幅を割いてまで取り上げませんが、

人のなすこと、どうしてもグレーなところはありますので、

そういう公正さは持っていこうと思っています。

 

そういう業界で、長きにわたって活躍している、

それ自体が、相当に説得力を持っているのですが、

このお二方は、うら若き女性のみならず、

時々は、男性とかニューハーフとかの場合もあるし、

年齢にしても、上は70歳くらいまであるそうです。

 

それだけの場数を、身をもって経験していることに加えて、

二人とも博学で、医学的な知識もあるということで、

知識と経験の豊富さは、他に類を見ないほどかと思います。

 

そうして、ひとくちに「セックス」と言うにしても、

考え方ややり方など、多くのいろいろなことを含むので、

できるだけ丁寧に解きほぐしていきたいなと思います。

 

この"ほぐす"というところも、

非常に重要なファクターですので、

できるだけリラックスした状態で、

無理のないように読み進めてもらえたら本望です。

 

そして、セックスとジェンダーの違いもあるし、

ここにフェミニズムを絡めるのは複雑になりそうだし、

初めは慎重に展開していきたいところではあります。

 

また、「セックス」自体、広義な意味合いを持つため、

その時々で、適宜言い換えをしながら、

言葉の持つ意味がそのまま伝わるように、

あまり誤解のないように同じことを思い浮かべるように、

工夫をしながら、やっていきたい気持ちもあります。

 

 

まずは、できるだけわかりやすいところから取り上げて、

人間の三大欲求とは、「食欲、睡眠欲、性欲」とあって、

前の二つは、基本的にはひとりで完結できるもの、

残りの「性欲」に関しては、相手の存在を必要とするものです。

 

それだけに、社会的な生活や、文化的な生活をするために、

欲望を丸出し全開にするわけにはいかないけれども、

丸ごと抑制するのも困難であるという葛藤があるものです。

 

それでも、今回の主題でもあるように、

誰かと肉体的や心理的につながれるというのは、

個人の存在にとって、満たされるのもあるでしょうから、

大いなる可能性を見出していきたいところではあります。

 

これを、少し置き換えて考えてみると、

何でも食べられ、どこでも寝られ、誰とでも仲良くなれる、

そういう資質にも当てはまるような気がして、

グローバルでもある今の世界にとって、

それぞれの能力を高めることは、有利に働く気がします。

 

これは、リスクとデンジャーの差異の話でもあるのですが、

とにかく何らかの危機的な状況になったとしても、

程度の限りはあっても、どこでも生き延びることができるし、

そして、誰とでも仲良くなれるのであれば、

助け/助けられることも多くなっていくことでしょう。

 

こういう時に「ワンピース」のルフィであるとか、

坂本龍馬のような人を思い浮かべてもらえると、

かなり具体性を持って、考えられるような気がします。

 

どこかで、武道的な発想を取り上げようと思うのですが、

そこを取り巻くいろいろなことを考えるにしても、

どうやら坂本龍馬のやっていたことは、

こういうことをかなり知っていたんだろうなと思うし、

だからこそ、歴史的な功績をあげることもできたのだろうと、

密かに思っているので、それも明らかにしていきたいものです。

 

予告的には、リーダーシップの真髄のいくらかが、

こういう発想でたどり着けるような気がしていて、

あとは、実践で試していくのみのところはあります。

 

 

この三大欲求の、特に「性欲」ということに関しては、

もう少し文化的なのか理知的なのかに置き換えると、

恋愛とか結婚とかと関係が出てくるものになります。

 

最近、耳にして明快に言い得ているなと思ったことの、

(たくさんあるのですが、その)ひとつとして、

恋愛と結婚とセックスは異なるというのがありました。

 

これらは、今はひと続きのものであるとか、

同じ枠に収められている傾向がかなり強いのですが、

それぞれ、感情、制度、行為と分類してみれば、

異なるカテゴリーの言葉を用いていることからも、

おそらく感じ取ってもらえると思うのですが、

含む意味合いも異なっているように思います。

 

ここでのセックスとは、性行為ということになるのですが、

現代の日本では、恋愛をして結婚をする、

逆に言えば、結婚をするために恋愛するところもあって、

そういう関係であるから、結婚を前後しながらも、

性行為をして、お互いを知ろうとなっています。

 

これは、近代日本の社会の歩みという観点からでは、

少なくとも1980年代半ばくらいまでは、

お見合いであるとか、両家の親が相手を決めて、

それで結婚に至る場合が多かったように思います。

 

結婚式の当日になって、相手の顔を知る、

結婚をしてから相手の人となりを知るようなこともあって、

その後に"好き"であるような愛情を持つことはあっても、

最初にそれがあるわけでもないことがわかります。

 

日本の伝統的というか封建的な制度のもとで、

もちろん、その是非はあるんでしょうが、

その反動かどうかも定かではありませんが、

欧米の影響も受けつつ、

恋愛をすることによって、

自分の相手は自分で見つける傾向が、

今では多数を占めているように思います。

 

そういうことで、恋愛をする=感情の動きをもって、

それが、結婚という制度にそのまま進んで、

上手に成り立たせている人たちも多くはいますが、

常に恋愛状態になって、交際相手はいる、

しかし、結婚までは話が進まないとか、

恋愛はしていない、交際期間が短くても、

結婚が長く続いているような人もいるのは、

この両者が必ずしも同じでないことに理由がありそうです。

 

そして、ここに性行為ということでのセックスを持ち込むと、

そういう、一度でもお互いの肌を合わせたから、

相手(の心、気持ち)は自分のものと思っても、

行為と感情、行為と制度では、異なる枠組みなので、

相手が同じように思うのが最も好ましいものですが、

そうでない場合も致し方ないというのもあることでしょう。

 

逆に言えば、別のものとしても切り離せるので、

結婚しながらも同じ相手に恋愛感情を持つこともできるし、

あまり推奨はできないので、小声で言いたいのですが、

結婚の相手とは別に、他の相手に恋愛感情を抱くこともあるし、

場合によっては、肌を合わせる=抱くこともできるわけですね。

 

あとは、個人の感覚的に、妙齢の女性の7〜8割は、

行為としてのセックスはできると思いますが、

それをもって、そのまま好きになることはないし、

不謹慎かもしれませんが、頭の中のどこかでは、

別の人を思い浮かべていることもあるかもしれません。

 

行為は行為であるという、同語反復でしかないものですが、

行為によって、感情が引っ張られることもあるし、

そうでないこともある、制度にしても同じようにと、

それぞれを切り離しながら、結びつけるという、

相当に高度にかつ柔軟に考えることができる人か、

説明はほとんど不要で、直感的にわかっている人であれば、

恋愛沙汰で大きな問題を起こしたり、

抱えたりはしないのだろうなと思っています。

 

私は、もちろん前者の考える方ですし、

どちらにしても、そちらの立場を好みます。

 

そして、無事に?結婚にいたったとして、

ドキドキできるのは約2年とも言われていますが、

これはもう生物学的なところで致し方のないなと思います。

 

これはホルモンの分泌や作用によるもので、

それまでは、興奮すると分泌されるドーパミンによるもので、

どちらかというと刺激の強い快感が先行するものですが、

人はやがては刺激に慣れてしまうところがあるために、

ずっとはドキドキはしていられないものです。

 

そうして、相手に寄り添うことで得られる安心だとか、

相手がいることによって自分がいかに幸せかと思うことで、

関係が維持していくことがひとつの望ましいカタチで、

ここでは、セロトニンというホルモンに移っていきます。

 

同じ結婚という形式・形態でありながら、

時間の経過によって、成り立たせる方法が異なるのは、

お互いにいる時間の多さや、理解の深さなどは増すので、

ある意味では、当然のことなのかなと思います。

 

最近はまた離婚が増えているようで、

結婚している場合が少なくなっているのにも関わらず、

およそ3組に1組は離婚しているようです。

これはどういう基準で測定しているのかもありますが、

結婚自体が、全体の8割くらいすると考えてみると、

その3分の1が遅かれ早かれ離婚するのであれば、

独身と言われる人は、全体の半数くらいになるのかどうか、

そう考えると、結構危機的状況でもあります。

 

事実婚や再婚みたいなのも含めると、

多少は変動するでしょうが、

おそらくは、それも良い感じに相殺されて、

大きくは変わらなさそうです。

 

2050年には、日本の人口が9,000万人くらいになるそうで、

制度としての結婚が成り立ちにくいのであれば、

子どもが少なくなるのは、無理のないところです。

行為としてのセックスを、制度と切り離してしまえば、

自然な営みとして、子ども自体はできるとは思いますが、

ここで制度としての結婚を重視するのであれば、

心や生活、その後の子育ての準備ができていないうちは、

そういう子どもはできるだけ少なくした方が、

子どもにとっても不幸なことにはならないと思います。

 

そうすると、結婚をしたい/する人が減ることが、

人口の減少には、かなり直結して影響があることが、

ここから読み取れるのではないでしょうか。

 

 

ここで、行為とセックスを取り上げてみたいのですが、

人間の場合では、生殖、快感、安心の、

3つの目的に分けて考えることができるそうです。

 

子どもを増やすということでは、そのまま生殖になりますが、

最近の、ひとりの女性が生涯に子どもを産むのは、

だいたい平均して1.8人みたいなことなっていて、

そうすると、1〜2人が多いことになっています。

 

本当に、生殖ということだけであれば、

数年に一回とか、数回で済んでしまうので、

これ以外の意味合いがあるのが読み取れる余地があります。

 

これは、イギリスのコンドーム・メーカーである、

「Durex」の2005年あたりの調査結果なのですが、

年間のセックス回数では、1位ギリシャの138回に比べ、

日本は45回で、平均して1週間に1度程度になります。

 

また、相模ゴム工業の調査では、年代関係なく、

平均して1ヶ月に2回程度で、年間は24回になります。

 

これらは、どういう世代とか、調査の仕方とかで、

結果が変わってくるのはあるでしょうが、

生殖だけでないセックスはあるにしても、

諸外国に比べれば少ないということがわかります。

 

これは回数を多くしたから良いものでもないですし、

国や地域による、お国柄みたいな特徴もあるでしょう。

 

日本においては、労働時間の長さが指摘されることもあって、

そういうところまで意識や体力が向かない傾向もあって、

結局は、どう読み取るのかが重要なのかなと思います。

 

1回あたりの内容の濃さやかける時間の要素もありつつ、

それでも、肌を重ねる回数が生殖である場合以上に多いのは、

快楽とか、安心とかによるものなのかなと思います。

 

行為としてのセックスでは、性病の心配もあるし、

女性にとっては、妊娠やそれに伴う体型の変化という、

少なくないリスクもあるし、心への影響も当然あるので、

避妊にまつわるようなところでも、十分に注意は必要です。

 

そうして、快楽を求めるのも良いのですが、

そこでは、刺激の強さみたいなところが強調され、

まさにプレイとしての側面が強くなりそうなので、

ひとまずは安心について考えていきたいと思います。

 

安心というのは、根源的には孤独の克服であるという、

そういう埋めがたいものを埋める行為という考え方もあって、

自分がひとりでないということを、行為をもって知り、

場合によっては、生きていて良かったという感情を持って、

それが、生きる希望となり得ることもあるそうです。

 

肉体的につながることが、精神的にもつながるという、

相関関係があることが感じ取れそうではあります。

 

ここでは、ひとつ"幸せなセックス"とか、

"心身ともに深いつながり"を持つヒントがあるようで、

しかも、こういう感情が湧き上がることに憧れを思います。

 

これはまた、自分ばかりが快感や満足を得るばかりでなく、

相手にとってもそうであるということが大切で、

コミュニケーションということで言うのであれば、

自分のしたことや言ったことが、相手にとってどうなのかが、

ひとつの答えであると考えられています。

 

これは、セックスに限らず、人との付き合いの中で、

自分ばかりが得をしようと思っているのでは、

相手からの反応は良くないのは当然ですが、

もしも相手のことを思って、いろいろやってみた結果、

返ってくる反応で最上級とされるものは、

「気持ち良かった」とか、「良かった」ということでなく、

どうやら「ありがとう」になるということです。

 

これは他の場合で考えてもそうであるようで、

それだけ、相手が欲しいと思う状態なのか、

あるいは、モノとかサービスとかになるのかはありますが、

相手の欲しいものがほとんど完全に満たされる時には、

「ありがとう」となるわけですから、次には引いて考えてみて、

自分は何をするのが最も良いのだろうとなるわけですね。

 

結構、独りよがりの人は、周囲の人からは、

「マスターベーション」だとか「オナニー野郎」だと言われ、

どちらかと言えば、自己満足の世界に浸っていますが、

まさに、先にセックスにおいてそうであるのは、

他のことでもあてはまるのだなとしみじみ思っています。

 

もしも自分が得たいものがあるのであれば、

まずは相手のことを思いやっていくというのが、

ここでは、ひとつ強調しておきたいところです。

 

そして、多くの「ありがとう」を集めることが、

自分にとっても、とても有利・有効なのは、

そういう理由からも言うことができそうです。

 

 

<その2>に続く…。

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