ここ何週かは、週末に来るとひとつ文章ができる感じで、

特に決め込んではいませんが、そうなっています。

 

そして、本一冊は8万字〜10万字程度あれば、

300ページの内容でできあがるアイディアに、今はしびれています。

 

字数ばかりを重ねるだけでなく、充実した内容が必要ですが、

今回は3,000文字でお届けとなります。

 

テーマが必ずしも前景化していない点で、

どういう話の筋なのかは、パッと見にはわかりづらい、

それでも読み応えはそれなりにあると思います。

 

これで今月は<保存用>×3で、8,000文字程度となり、

似たようなペースで1年続けていけば、

分量としては、一応クリアということになります。

 

以下、どうぞゆるりとご覧くださいませ。

先日、しみけんさんのTwitterを見ていて、"一番の変態は「一人の女性を浮気せずに抱き続ける男」"ということで、その数がおよそ1,000人中の3人らしい(@avshimiken:2018年1月18日 3:32)。

これが日本国内でのことなのか、あるいはどの年代なのかといった、どのような道筋を経て導き出されたデータなのか、対象の選定や調査の方法など、細かいところは気になるところですが、

そこばかりが今回の主題ではないので、随所に冴え渡る"しみぺディア"の信憑性に、今回もまた頼ることにしておきましょう。

男性自身がひたすらに一途であるとか、女性がそれほどに魅力的であるとか(いわゆるファム・ファタルなのか?)、しかるべき理由や背景があるにしても、

そうして話を進めていくに、上記の割合は0.3%を前後するあたりで、これは全体から見るとその数字のまま、だいぶ少ない≒少数派と呼んで差し支えはないように思います。

ここで問いたいのが、もしもこのカギ括弧内にある前提が理想のひとつとされ、全体的に望ましいと(およその)合意がなされている場合、

それにも関わらず少数に留まっているのはどういうことなのか、その望ましいと思うことの理想の高さや崇高さ・険しさゆえに、到達することの困難さを物語っているということなのかもしれません。

あるいは、そうなっていることが、少数派である多くの帰結であるように、むしろ異端であるとか、異常であるとかとらえられている場合(今回では"変態"と称されているように)、

そこを目指したい人は個人の判断や主義・主張で、他の人にとっては特にどうということのない案件なのかもしれません。

一顧だにしないとでもいうような…。

多数ばかりが正義ではないし、少数派を看過して良いわけではないけれど、大きな趨勢にはなかなか抗いにくいのも事実であって、

是なのか非なのか、世の中の雰囲気はどちらみたいなところが感じられると、鵜呑みにするわけではないところで、判断するためのひとつの指標となるのはあるでしょう。

ここで正常か異常かの、定義付け・使い分けもしておきたいところですが(もしかすると専門家がいそうだから)、地域や時代によって一括できないような多様さがあって、

その時々に、どのような価値判断の規矩を用いるのか、文化や歴史なども巻き込みながらそれに左右されるのは免れ得ず、

わかりやすいところでは、天動説と地動説との葛藤であったり、それぞれの宗教的戒律に従う生活様式であったりするのかなと思います。

自分の持つものの見方が、どのような文脈から採られているものなのか、あるいは、どのような影響を受けてそうなっているのか、

ものの見方それ自体を俯瞰するような、少し離れて観察する態度も時には必要だということになるでしょう。

最近では「チーズダッカルビ」が話題になっており、"意外とミーハー"な私も早速ご相伴に預かることができました。

結構、火が入るのが早いので、チーズが焦げないようにして、絶品なるところまで持っていくには、それなりに場数をこなすような、こなれた手腕が必要な気がしましたが、

ここでは、単純に自分が食べたいからなのか、周囲で話題になっていて、かつ"インスタ映え"もするから食べたいのか、

流行に乗ることの、自分との距離感もまた知っておくに越したことはないように思いました。

時代そのものが呼吸するように移ろうものでもあるので、その息づかいをそれとなく知りながら、合わせる/合わせないを鑑みて、ともに歩んでいくのが良さそうです。

なぜ、このようなややこしい理路を取り上げて、ここまで引っ張っておいたのかというと、

読む行為それ自体には、時間も要しますし、知的体力も消費することになります。

興味のが持てない人はそもそも通り過ぎているでしょうから、ここまで読み進めているだけで、大いに感謝を申し上げたい気持ちでいっぱいなのです。

まことに、ありがとうございますm(_ _)m

そして、最後まで到達した時には、少しでも新たな知見なり、異なった感覚なりを得てもらえたら本望なので、

こちらとしても腕まくり(今は寒い季節なので、意気込みとしてですね)をして、せっせせっせと文字を紡いでいくように臨んでいく次第です。

そうは言っても、はじめは硬い" スルメ"みたいなものなので、お茶やコーヒーを手元に置きながら、ゆるり楽しんでもらえたのなら、それこそ望外の喜びなのです。

少しずつやわらかくなっていかないと、深い味わいも訪れてはこないので、しばらくの辛抱は欠かせないような気もします。

ワインを寝かせることで、馥郁な香りが出るのにも、それとなく似ているものです。

これまた先日のことなのですが、タモリさんの1992年に出演した番組「講演大王」(スゴいタイトルですね:日本テレビ系列)の内容がまた感嘆を通り越して、驚嘆に値するものでした。

内容の本編自体は、それぞれの時間を用いてじっくり観賞していただきたいのですが、

なぜタモリさんが、若者のクリスマスイブやバレンタインデーの過ごし方に異議を唱えるのかを、哲学者のキリケゴールの言説を引用したり、当時のソ連の崩壊と重ねてみたりして、

額に汗を浮かべながら、それこそ20分の持ち時間たっぷりに"情理を尽くして語る"姿勢に大いに心打たれるものがありました。

何かと移ろいの早い普段にあっては、表面をなぞることで終始しまったり、結果ありきみたいなところで、どんな心中なのかまで思いが寄らなかったりして、

そうなると、こちらとしても言葉を飲み込んで、ほとんどを削ってしまったり、そういうことがあることすらほのめかすこともしなかったり、

自分以外、所詮は他人であるかもしれないけれど、"わかり合う"スタートラインにもつけないのは少し残念な思いがするものです。

そうなれば、極限まで削除を尽くしたひとこと、ふたことで済ませる他はなく、そうでしかないのならそうするしかないのは、それ以上致し方のないところです。

しかし、個人において、思索を深めることは、地下に井戸水の水脈を掘り当てるような作業に近く(石油でも可)、

脳みその限界に挑むようにして、知恵の地表なるものにスコップを差し込んでいくことは、誰しもやっていくと良いことのひとつであるように思います。

そうして、何か掘り当てた時の喜びを、自分の中だけに留めておくのは惜しくも思うので、きっと誰かには届く、その一心でどこかに表していくのも良いことだなと思います。

それにしても、人ひとりと言えども、生きている年月の重みや厚みは誰しもあるもので、まずはそこに敬意を払わないといけない気がします。

それが自分自身に取り入れたいことや追体験したいことなのかは、相性とか波長みたいなのもあるので、それ相応の態度で臨めば良いとは思いますが、

一見だか一聴だかして、そんなに即座にわかるような、浅薄なものではないと思っています。

浅いとか、即座にわかると思っているそれ自体が、ややもすれば浅慮なのかもしれないと懐疑する、そんな姿勢も頼もしく目に映るかもしれません。

冒頭の話に戻りますが、「一生、あなたのことを愛し続けます」と言葉にできるような出会いがあると良いなと思い、絶えず求めてもいきますが、

そのためには、直接の因果関係はないものの、手元のところではキリケゴールを読むところからはじめていくのも良さそうです。

あとは、「メッセージの宛て先」とか「好き-□ッ□□=愛」みたいなトピックも興味をそそられるところですが、それはまた別のお話になりますので、今日はこの辺で切り上げたいと思います☆

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