自分の、モノの考え方がそうである反映として、言葉を多大に尽くして語るか、ひと言ふた言で済ませたいかのどちらかの両極にある気がします。

たとえば、好みの色合いについて語る時、絵の具のチューブから出したままの「赤」とか「緑」ではなくて、赤で言えば「血液の、少し鉄分の黒さもある濃い赤色」であるとか、「日光に照らされ、葉脈が透けて見えるような葉の緑色」とか、いくらか入り組んでいるように伝えたいものです。

また色については、"原色"というと、"絵の具のチューブから出して他と混ざっていない色"と思う傾向が強いように思いますが、元をたどっていけば自然の中にある色で、自分が本能的にほっと安心するような色が"原初的な色"ということなのですが、これも特に追求する必要がない時には、そっと正すこともしません。

なかなか性急な時間の流れにおいては、仔細穿つように申し上げるより、「赤」や「緑」で包括するようにした方が、七面倒なことは起こりにくいので、それに任せることは多いものです。

自分の中で、「はて、実際にはどうであるか?」と問いかけながら、考えを転がしていく方が観察眼を養うのに都合良く、それで良いではないかと思います。

そうなると、冒頭のように多く話すか、ほとんど話さないかのどちらかになって、他の人から見て「おしゃべり」か「だんまり」かのどちらかの印象になるのかは、こちらの話したい気持ちの程度にもよりますが、意外と聞く方の態度や姿勢だって作用しますよということを、ささやかながら申し上げたいものです。

そして、自分の中で言葉が溢れてくれば、こうして書きつけておけば一応の解消ともなりますので、つらつらとやっているということになります。

目に見えるカタチでどうかとは別に、ある程度「おしゃべり」でないとこういう発信はできないように思うので、声に乗せてお届けできるような機会を望みつつ、そのための訓練を積んでいるという側面もあるように思います。

せめて、密かにはそうですよとお伝えしたい気持ちもあるのですが、それも時と場合に応じていくのが良さそうで、肝心なことだけは怠りのないように反応していきたいものです。

日頃、声高に言いたいことはいつもあるわけではないですが、言いたいことに行き着くまでに取り上げておきたいことはあるだけに、どうしても余分は必要だなと思うわけです☆

 

 

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