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傍島康始|ブログ

のれんに腕押し

 

周りの人や身近な人の振る舞いを見ていて、決して間違いを正すようなことではないけれど、"もっとこうすると良いのにな"ということが散見されます。

それが期待しているような人であればどうにか伝えようとするし、場合によっては何としてでもわかってもらいたい気持ちになることもあるでしょう。

一方で、自分自身もいまだ発展途上の身であるからして、不十分なところはたくさんあるし、改善するところも多くあります。

もちろん言い方のマナーはあるでしょうが、もしもそういう指摘を受けたのなら、早急に取り組むことが必要でしょう。

先日のスピード感の早さのように、すぐさまやるというのが誠実さの表れ・表し方のかなり主要なところであるように思うからです。

それに、単純に考えても自分以外の視点や考えに触れるというのは、実に貴重なことではないか、そんな風にも思うものです。

誰もが自分のことを大切に思うだろうし、他の人からとやかく言われるのは好ましく思わないかもしれません。

ただ、今のままで何も変えないのか、多少は意見を取り入れ、試しにやってみるか、そのどちらかを選ぶのは随分と重要なことのように思います。

時には熱い議論になるかもしれませんが、それは決してどちらが偉いとか、どちらが優れているというようなことを争うことではなくて、良いものは良い、そういう本質的なところを採っていきたいものです。

また、自分自身の知識や知見をひけらかしたいわけではなくて、より良い状態に近づくことがあなた自身にとって役に立ったり、タメになったりするのではないか、それをわかってもらいたいなと思います。

あるいは、すぐさま行動に結びつくような、具体的なあれこれを言うのも大切ですが、なぜそうなのか、どうしてそう考えるのかという下地のところが先にわかると良いかもと思います。

これはまた別の機会に詳しく取り上げたいところですが、そのためには多くの時間と言葉と思考が必要になるので、やたらやれば良いというわけでもないところがもどかしい限りです。

まずは断片的でも構わないから、言うだけのことは言う、あとはその人が何かしら気づいて、それで試すかどうかに委ねるしかないようです。

自分においては、ユーモアたっぷりに伝えたいし、伝えてももらいたい、そうなるように種々の工夫を凝らしておきたいなと思います。

どうなるのかは、これからの推移に任せます☆

 

 

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先に延ばさない

 

仕事においても、普段の生活においても、先に延ばさないとか、後回しにしないことはとても重要だなと思います。

端的に言うならば「巧遅であるより拙速であれ」というようなもので、高い完成度を追い求めて時間が遅くなるくらいなら、多少難があっても速い方が良いというとらえ方になります。

この言い回しは、カタチを変え、言う人を変えているとかして、何度も見聞きしているかと思いますが、できている人は案外少ないように思います。

これは自分においても同様で、日頃から意識的にやっていきたいと思っているのですが、一方で遠慮しがちなところもあるので、より強く意識して行動に移していきたいと思います。

このあたりの道理が飲み込めるかどうか、そして、実践していけるのか、このあたりが肝になってくるように思います。

たとえば、早くて損することより、遅くて失うものの方が多い気がするとすれば、同じことについて、速いバージョンと遅いバージョンを"極端に"やってみるのが一目瞭然となります。

仕事においては、特に自分ひとりで完結することはほとんどなくて、誰かと協力し合いながらでき上がっていくものです。

部署とか会社の中でのことでもありますし、お客さまやクライアントにとってはもっと直結してくる話です。

アイディアを出すにしろ、レポートを出すにしろ、何かしらあるのなら早く出して、それで修正していけば良いのですが、期限が迫ってからでは、どんなに良いものであってもブラッシュアップ(磨き上げる)時間がないことになってしまいます。

お礼や報告についても同じで、記憶の薄れるほど遅いタイミングで丁寧に言われたところで「?」となってしまうことでしょう。

多少表現がおかしくても、率直に気持ちを伝えることで、かえってよく伝わるということはあるはずです。

このあたりのいくらかでもわかっていれば改善のしようがありますが、そのことに気がついていないとか、他のとらえ方によって妨げられているとすれば、一体どうすれば良いのでしょう。

それについては、良くない方で巻き込まれるというよりかは、自分自身でどんどん実行していて、その大切さ・重要さを迂回して伝える方が良いのかもしれません。

時間は有限なのだから、せっかちなくらいに早くやる、それくらいがちょうど良い良いようにも思うものです☆

 

 

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素直に聞いて

 

人の振る舞いを見ていて、それは良いところは自分にもどんどん取り入れていきたいからなのだけれど、これは良いなと感心することがあります。

そのひとつとして、知らないことに出くわした時に、その場で率直に聞ける=尋ねることができるのは素晴らしいなと思います。

知らないことが無知なのだとしても、その知らないこと自体が恥ずかしいのではなくて、知らないままにしておくことの方がうんと恥ずかしいことかもしれません。

知らないことを知っていない、気がついていないのはまた別の切り口になるのですが、そういう疑問を投げかける意識の余地があるかどうか、それも多少関わってきます。

「代替」は本来は「だいたい」なのだけれど、それを「だいがえ」の方が正しいと思っているような、信じて疑わないようなこともあるでしょう。

よほどのものでない限り、間違いを指摘するのかどうかは悩ましいところですが、知ったり聞いたりする時には仔細含めて尋ねるのが良いでしょう。

そして、そういうことを繰り返していくと、当然自分の中に知識が蓄えられていくし、知らないことを随時聞く、何度もそういうことが積み重なってくると、いつしか流れが変わって、周りの人がかえって親切に教えてくれるようにもなるものです。

素直さ、謙虚さ、日頃からこういうものを持ち得ているか、何を知っているのかと同等かそれ以上、生活を営んでいく上でとても大切なことのように思います。

本質的なこと、日々を過ごすのに必要なことは、特に知っておけば良くて、その披露の機会がなかろうが構わない気がします。

これは自分の気質もあるのでしょうが、必要な分を必要なだけ最低限知っているだけでは、何だか心許ないような気になってしまいます。

自分の許容量というキャパシティーを増やす意味においても、風船をふくらますようにせっせと詰め込んでいきたいものです。

当然、漏れ出るものはあるでしょうし、あまり出番のないものは入れ替わることもあるでしょう。

それでも構わないからやっていくことで、種々雑多なものが自分にとってもそうですし、何においても有用なものが手元に増えてくるはずです。

世の中の知識や知見においては自分の知らないことばかり、知ることを楽しむようにしている、そういう観点から大切にしていきたいなと思います☆

 

 

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