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傍島康始|ブログ

多くを呼び寄せる

 

特定の人や場所の元に人が寄りつくかどうか、そういう観点のもとにじっくり見てみるとそこには一定の傾向があるように思います。

わかりやすい例で言うと"パワースポット"ということになるのですが、そこに行くと元気になるとか、何か良いことがもたらされることがあります。

神社仏閣のある場所自体もそうですし、「**成就」の祈祷やお守り、マイナスイオンも関係あるのでしょうか、自然豊かな場所や山の奥でも心やカラダに影響があることを期待するものです。

そして、"パワースポット"として成り立っているのならば、それを満たす要件を知ることで、これが場所に限らず、特定の人や人の集まる機会においても、同様のことがあるのかもしれない、そのようにも考えられるものです。

場所で考えるとわかりやすいので、身近な発想として「あそこに行こう、今度はまた別の・・・」となりやすいですが、たとえば、多くの人を惹きつけるとか魅了するような人は、一体どのような人になるのでしょうか。

音楽やミュージカルなど、それぞれの特徴もあるでしょうが、こういう分野において日本武道館や東京ドームに多く人の集まる様子を思い浮かべてみると良いかもしれません。

あるいは、サッカーや野球においても、スポーツという切り口になりますが、これもまた多くの人が集まることがあるものです。

胸の空くような大いなる可能性のひとつとして、落語独演会@東京ドームが成り立っても何ら不思議ではないわけです。

また、滅多にないような大きな機会でなくても、身近なところでも一緒にいると安心するとか、元気な気分になるとか、そういうステキな人はいるものです。

そういう人はいつも笑顔だったり、身だしなみがしっかりしていたりして、見ても関わっても良い気持ちをもたらしてくれます。

そして、わざわざ気分を害したり、不安な気持ちになりたい人がいないように、いかに自分が良い状態でいるのか、それが人の集まる最初の心がけなのかもしれません。

気分が良い、楽しいところに人が集まるのならば、何をするかは別として、まずは自分がすこぶる快活でいることが大切と言えるでしょう。

単純かもしれないけれど「快」を求めるのは、根源的なものかもしれないので、それを知って実際に行ってみる以外に、何を望もうというのか、おそらくはそういうことなのでしょう。

良い気持ちでいることは、同じように良い気持ちでいる人にもつながってくるので、チャンスという名の良い機会にも多く出会っていけそうです☆

 

 

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考える葦である

 

人の多く行き交う様子を眺めていると、それぞれの歩き方からわかることは多いような気がしてきます。

しっかりしている人は足取りもしっかりしているし、うっかりしている人はやはりうっかりしている足取りになっているように思います。

靴のサイズが適切かどうかもありますし、ヒールの高さと歩きやすさのどちらを優先しているか、足元を見ることは興味深いものです。

"歩く"という行為自体は、左右の足を交互に前へ踏み出して、それで行きたい方に向かっていくわけで、だいたいの人は生後1年かそこらあたりで歩きはじめ、何らか歩き続けているわけです。

それは、意識せずとも呼吸をしているようなものかもしれなくて、自分の歩き方が果たして良いものかどうかなんて、振り返ることはあまりないことでしょう。

それだけに、普段からその人がどう振る舞っているかの大半が、歩き方にも反映されているように思います。

どういう傾向や特徴を持っているのか、人それぞれに導き出されるとして、それが長年続くようであれば、逆にその人の思考や行動全般における"振る舞い"を規定しているようにも見えてくるものです。

靴底の減りやヒールの傾きを想像するとわかりやすいのですが、偏って力が加わればそこが消耗していき、しかし、その力の加わり方に変わりはないので、さらに同じように減っていくことになります。

そうなると、内股の人はより内股に、ガニ股の人はさらにガニ股になっていきます。

あるいは、O脚・X脚の類もこういうことでより助長されてしまいます。

いつのタイミングかで気がつき、修正するようであれば良いのですが、そのままにしていくことで骨格がゆがみ、カラダ全体のバランスも崩れてしまうでしょう。

カラダのゆがみはまた、精神的なものにも影響してきて、頭痛が続きイライラするとか、歯のかみ合わせが悪くて、ゴハンを食べるのに支障が出るとか、実際には歩き方からつながっていくものです。

特に高齢になってきて足腰が弱り、思うように歩けなくなると、途端に老け込むとか、気持ちやカラダが萎えるようなことが多いものです。

それだけ、歩くということが思っている以上に大切なものであり、生命の維持そのものに関わっているとすれば、今のうちから良い歩き方を覚え、キビキビと地面を蹴っていきたいものです。

どんな過酷な運動やトレーニングをせずとも、歩くそれ自体を楽しむことでもたらされるものは大きいなと思うのです☆

 

 

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使い道を挙げておく

 

たとえば、「一万円の使い道」でも良いし、定期的に入ってくる給料や収入の何%かを使うことでも良いのですが、普段から考えておきたいことのひとつであるように思います。

そのいくらかまとまったお金の使い方というのが、使う人自身の考えや人柄を表すし、その使い方次第で何が起こるのかも変わってきます。

同じ金額でも、ゴハンを食べに行く、モノを手に入れる、旅行に行くなど、できることは多くあるし、それぞれに体験して見知ることもあるわけです。

そして、誰かにプレゼントを贈るとか、一緒に何かをすることもできて、決してひとりで完結するものでもありません。

これらは金額の多寡でもないところで、むしろ多くの人を巻き込むようにして、できる範囲構わないので、意識しながらどうにか続けていくことで、その後どうなっていくかの結末は大きく変わっていくように思います。

深いところでは、お金というものをどうとらえているのかという話に切り込んでいくわけで、多く持っている人は多く持つだけの考えや行動を取っているということが、おそらく共通のものとしてあることでしょう。

多くの場合、宝くじの高額当選や他の突発的なものにしても、相当な大金を手にしても結局ほとんど残らないというのは、そういう考えを持っていないということに由来しているわけです。

また、手元に入ってくる金額に対しては敏感なもので、逆に出ていく方、使う方についてはあまり考えていない人が多いかもしれません。

自分自身は、今は具体的に何かが欲しいというような物欲があまりなくて、それだけに他の使い道で、かつ、有意義なものはないかと考えています。

発想のひとつとして、お金が社会の中で循環するエネルギーみたいなものとして考えてみると、生活に必要な以外で貯めてばかりいるのはあまり好ましくありません。

これは、自分の声を出したり、意見を述べたりすることに近いもので、我慢のし過ぎは心やカラダに大きな負担がかかるし、残高の数字は増えるかもしれないけれど、それなりに使わないと息が苦しくなってしまうものです。

使うにしても、「消費・浪費・投資」の発想も持ち込んでみるのも大切かなと思います。

もう少し具体的にこうした方が良いみたいなこともあるのですが、自分自身が身をもって知ろうとしているところでもあるし、詳しくはまたどこかで取り上げていきたいなと思っています☆

 

 

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