SOBAJIMA YASUSHI

傍島康始|ブログ

やがては返ってくる

 

目の前の人を大切に、その時々で出会う人を大切にしようという考えがあります。

これは、人として優しいとか、よく練れているということもあるでしょうが、それ以外の理由もそれとなく潜んでいるような気がしてなりません。

どれくらい多いかはわからないですが、仕事と生活を分けると言いますか、オンとオフを分けるような人が多いように思います。

仕事の場面では、取引先の人や同僚の人などには丁寧に接する、いろいろ手を尽くすとしても、自分がひとりのお客として飲食店や何やでサービスを受ける場合にそうでないことがあるかもしれません。

スイッチを切って、余計なことを遮断するのも手でしょうが、少しばかりは開いておくのが良い気がします。

友人・知人ではなかろうが、自分に近い関係か否かを別にして、目の前で接するのが人である限り、どのような場合であっても、どちらかと言えば良い印象を持ってもらえるようにするのが良いのではないかと思うのです。

やがては返ってくるもの。

どこで何がつながるかはわからないもので、いつ自分の仕事で関わりが生まれるかもわかりませんし、車や家のように金額の大きい買い物をするような場合に関わることもあるでしょう。

その時に、以前の自分の振る舞いいかんによって、差し障りなくコトが進んでいても、便宜を図ってもらえないとか、値引きがないとかあるかもしれません。

これは、自分自身気がつくことがないところで、相手の胸中やさじ加減のところで実はもう少し"おまけ"があったのかもしれません。

たとえば、100万円の取り引きで、発注の分量がもう少し増やせた≒売り上げが上がったかもしれないし、オプションとして他の話がついていたというようなことです。

あとは、わかりやすいところでは、紹介によって新たな人や会社と出会う、それによって仕事や生活がさらに展開してことも考えられます。

「紹介」というのは、よほど好印象を持ったとか、よほど良い思いを抱かない限り、誰かを連れてこようと思わないものです。

こういうことを思うと、ないよりかはあった方が嬉しいし、自分のことを快く思う人が多い方が、何をするにも有利であるように思います。

上記にあるように、これが単純に優しいとかどうとかいうことではない理由であって、自分の心がけ次第でどうにかなるようなところではないかと思うわけです☆

 

*シェアはこちらから*

時間とともに

 

その人を信用するとかしないとか、その人と密に関わりたいかどうかを判断する場合、決してそればかりでもないけれど、「時間に正確か否か」ということがひとつに挙げられます。

自分自身振り返ってみて、約束の時間に遅れるような人とは結局良好な関係を結んでいないことを思うと、これはだいぶ重視していることだなと思い至るものです。

特に、待ち合わせをしてどこかに行こうという最初の機会に、いきなり遅れるような人はどうしても怪訝に思ってしまいます。

それで不快になるとか、怒りを露わにすることはないものの、それ以降どうしようという気も起こらないということになります。

その時に来る・来ない、遅れるようなことはどうしようもないというか、何はともあれ来ないことにはどうしようもないから遅れようがこちらは待つしかありません。

あらかじめ連絡があって少し遅れるとしても、それがあったところで目減りした信用が埋め合わされるというわけでもないのが、遅れた当人はおそらく気がついていないのでしょう。

こちらもそれを指摘することはなく、何となくうやむやにして済ませてしまうので、同じようなことを人を変えて行ってしまう気がします。

何となく上手にコトが進まないような場合には、一度時間を守っているかどうかを自分に問いただしてみるのが良いのかもしれません。

それはさておき、時間を守ることがどれほど大切なのかを推し量りたいものですが、これは相手の待っている時間が何も生み出さないということに置き換えられるのではないか、そんな風に思うものです。

あるいは、相手の貴重な時間を無為に奪っているとも言うことができるかもしれません。

いずれにしても、思っている以上にこれは相手の信用を得るかどうかに関わっていると認識しておく必要がありそうです。

そして、時間に遅れるにしても、それを上回るほどの魅力とか楽しさのようなものがその人にあるとしたら、そこはいささか寛容にもなるというものです。

もしも相手のことを大切に思うとしたら、相手の時間を"いただいている"と感覚を持ち合わせるのが良いように思います。

ほんの数分でも、早めに着くか遅れるかの印象は大きく変わるものですから、いつも早めに行動するようでありたいものです☆

 

*シェアはこちらから*

しっかりと所以を聞く

 

会話をしていて、だいたい一往復で一回終わることが多い人がいます。

これはどちらからはじまるのでも良いのですが、たとえば「この週末は何かしましたか?」という質問に対して、「はい、河原に散歩に行きました」で終わるような感じです。

聞いてみるのは取っ掛かりとして良いとしても、それに対する答えを聞いてそれで終わりとなれば、そもそも何で聞いたんですか?と思ってしまいます。

会話の内容それ自体はあまり気にしない代わりに、やりとりがスムースに続くことを考えてみるのが良いかもしれません。

聞いた内容にしても、何となく気になったくらいで構わないので、返ってきた答えに対して何らかの反応をする、相槌を打つというのが先んじて良い気がします。

あるいは、それで理由を聞いてみるとか、そうすることが多いのかどうか、誰と行ったのかなど、詮索するわけではないところで会話を広げる手立てはいくつもあるものです。

自分の場合では、別に広げるかどうかは自分の気分もありますし、その時の相手の反応に従えば良いだけなので、必ずしも自在ではないけれど調整ができる部分があります。

また、何も考えず、それでいて上っ面ではないところで有効な会話を続けるには、理由を聞くのが最も効果的かなと思います。

上記の例で言えば、「なぜ(山道や公園でなく)河原なんですか?」とか「なぜ(読書や買い物でなく)散歩なんですか?」と尋ねることになります。

その結果、水の音が聞きたいのだとか、足腰を鍛える意味合いもあるのだとか、なるほど「河原で散歩」ということが立体的に感じられるような気がします。

結構こういうのを聞くのは勇気がいることかもしれませんが、聞かれている方としては「聞いてほしいな=言いたいな」、「よくぞ聞いてくれた!」と思うものです。

自分自身でそうなのだから、きっと多くの人でもあてはまるのではないでしょうか。

誰かと気持ちを通わす、心の距離を近づけたいような場合では、こういう感覚を大切にしておくと良さそうです。

聞くのもそうですが、あまり何も考えないで答えていることもあって、頭で考えることに偏ってしまっては、良い出会いをみすみす逃してしまうことになるかもしれません。

普段のあちこちで、会話それ自体を楽しむ、そういう感覚と面白みを感じていきたいなと思います☆

 

*シェアはこちらから*
« Older posts

© 2019 SOBAJIMA YASUSHI

Theme by Anders NorenUp ↑

Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial